第19話 対峙
雪也は地上に降り立ち、町を襲うドラゴンと相対した。
敵の大きさは雪也の倍、40m近くある。目はギラギラと光り、唸り声をあげ、心から殺戮を楽しんでいるようだった。
墨染めの空の下、灼熱の炎の中に浮かぶその姿は、黙示録の一場面を思わせる。
破壊者はゆっくりと、足と翼を器用に使って、雪也の方に歩いてくる。
「来タカ……オ前ヲ探シテイタゾ」
相手のドラゴンから、初めて言葉が発せられる。人間の言語を話したことに、雪也は驚愕した。不慣でたどたどしい日本語であったが、それがより一層不気味さを演出している。
「俺はお前なんかに会いたくなかったんだけどな」
雪也が臆することなく答える。その間も攻撃に備え、いつでも飛びかかれる姿勢を取っていた。
「種族ノ再興……ソレガ我々ノ悲願ダ」
「種族? 我々?」
「我ガ種族ハカツテ、コノ地上ノ支配者ダッタ……。ソノ座ヲ再ビ、奪イ返スノダ」
「ドラゴンはお前だけじゃないってことか?」
もちろん、雪也にはこのドラゴンに協力する気は全く無い。だが、出来る限り情報を引き出しておきたかった。
「ソウダ。遥カ昔我々ハ、長イ眠リニツイタ……。ダガ、間モナク蘇ル。我ラノ王……"イーラ"ガ復活スル! ソノ時ガ、人間共ノ最期ダ」
「なるほどね。人間に取って代わりたいわけか」
話を終えると同時に、雪也は口に炎を纏わせる。相手もそれを見て身構えた。緊張が一気に高まる。
「悪いな。俺はドラゴンがどーのこーのとか全く興味ねぇ。俺は人間だ、お前とは違う!」
「愚カ者メ……」
「その下手クソな日本語を練習してから、出直して来い!!」
両者が同時に吠え、相手に向かって突進していく。長いツノを正面から激突させ、そこから火花が散った。
しばらくはそのまませめぎ合っていたが、徐々に雪也の方が力負けしてしまう。体格や経験の差が如実に現れた結果だった。
雪也は一旦後退し、火炎を放つ。アメジストも対抗してブレスを穿った。炎が撒き散らされ、周囲の住宅へと延焼する。
2体は再びぶつかり合い、肉弾戦を繰り広げる。しかしやはり、雪也はあらゆる面で完全に劣っていた。白竜の体は投げ飛ばされ、家が丸ごと1つ押し潰される。
「くっそ……!」
雪也は無理やり体を起こし、アメジストを睨みつける。
死闘はまだ始まったばかりだ。
梵、和彦、智子の3人は、永代家の近くにある山をひたすら登っていた。
高さはそれほど無いが、道が舗装されていないため非常に歩きにくい。それでも、あのドラゴンが建造物を集中的に狙っているのなら、この山が最も安全な場所ということになる。
そう考えた人間たちは他にもいるようで、中見原町の住民たちはこぞって山に押し寄せていた。
「お婆さん……頑張ってください」
「ハァ…ハァ……ごめんね梵くん。私のために……」
「いいえ、元はと言えば何もかも俺のせいです……」
梵は、後ろから智子を支えながら懸命に獣道を歩いていた。70歳近い老体には、やはり山登りは堪えてしまう。さらについてないことに、今は暗くて視界も悪い。
「さあ智子、しっかり歩け」
和彦もまた、妻の腕を持って歩いていた。彼も智子と変わらない年齢だったが、老いを感じさせないしっかりとした足取りであった。
遠くから、爆音や破壊音が何度も響く。雪也があのドラゴンと戦っている音だろう。雪也のことも気がかりだったが、とにかく今は逃げなければならない。
ドラゴンになって2人を運ぶことも考えたが、かえって敵の注意を引いてしまうかもしれないため諦めた。
すると横から、見知らぬ青年がこちらに駆け寄ってくるのが見えた。
「あの、そこのお婆さん! 大丈夫ですか!?」
青年はヘルメットを被り、迷彩柄の服に身を包んでいる。国防軍の兵士だろう。
「お手伝いしますよ」
若々しい声でそう言うと、智子を背中に背負おうとする。
「あの……私は大丈夫ですから……」
「いいえ、見るからに大変そうじゃないですか」
智子は梵を連れていたため、兵士の申し出を断ろうとした。しかし兵士は有無を言わさずに、素早く智子の老体を背負った。
「さ、ご家族の方もご一緒に」
兵士は背中に人を背負っているにも関わらず、足早に山を登り始めた。その足取りは、手ぶらの梵や和彦よりも軽やかだ。やはり軍人というだけあり、かなりの体力があるようだ。
梵は終始兵士から顔を背けていた。正体がバレたらおしまいだ。暗さが幸いし、兵士は気づいていなかったようだが、いつ露見してもおかしくはない。
和彦もまた、それを察していた。
「軍人のあなたが、どうしてここに?」
兵士の気を逸らすため、適当な話題を振る。
「先日の襲撃以来、ずっと臨戦態勢を敷いていたんです。案の定、奴は再び現れました」
「そうでしたか……」
和彦が兵士と話している中、梵はふと立ち止まり、背後を振り返った。
眼下に広がる中見原町……その中心部では、雪也が依然決死の戦いを繰り広げている。だが白いドラゴンが劣勢なことは、誰の目にも明らかだった。体格も火力も、相手の方が上だ。
梵は歯がゆい思いで、その戦いを見つめていた。
雪也は「信じろ」と言った。だが、このままでは……。
「君、ここも安全じゃない。早くこっちにくるんだ」
さっきの兵士が声をかけてくるが、梵はそれを無視する。
遠くから戦いを見つめる中で、梵の小さな胸にある決心が芽生えた。
白いドラゴンの背中が、地面に叩きつけられる。
どうにか戦い続けてはいたものの、敵の強さは予想以上だった。この数分の間に、雪也は幾度となく命の危機に陥っていた。
劣勢を挽回しようとしても、その度に相手は圧倒的な力でこちらを追い詰める。あの手この手で抗っても、逆にこちらの体力が削られてしまうだけだった。
「ぐっ……クソ野郎……」
敵がまた目の前に現れる。
仰向けに倒れこむ雪也の腹を、紫のドラゴンはは太く頑強な足で踏みつけた。これで身動きはできない。
直後、胸部に焼けるような痛みが走った。
「ぐぁっ……!?」
何が起こったのかと思い、雪也は自分の胸に目をやる。そこには太く鋭利な鉤爪が、深く刺さっていた。
紫のドラゴンは、翼の爪で雪也の胸を抉る。肉と骨の裂ける音がするたび、雪也は悲鳴をあげた。それを見るたび、悪魔はケタケタと嬉しそうに笑う。
意識が遠くなる。必死に打開策を考えようとしたが、上手く思考が働かない。
すると、オレンジ色の光が雪也の顔を照らした。その光は目がくらむほどに眩く、そして暖かい。
ぼんやりとする視界で前を見ると、紫のドラゴンが口に炎を纏わせているのがわかった。自分にトドメを刺すつもりなのだと、本能で察する。これで終わらせる気だ。
「……死ネ」
消えかかる意識の中で、そんな声が聞こえた気がした。
絶望の未来を感じ取っても、どうすることもできない。これは自分の力不足……完全な敗北だ。
雪也は目を閉じて、最期の瞬間を覚悟した。
だが、火球は一向に飛んでこない。痛みを感じる間も無く死に、今はあの世にいるとでもいうのか。雪也はゆっくりと目を開けてみる。
状況を理解すると同時に、その黒と緑の瞳をまん丸に見開いた。
紫のドラゴンは、仰け反って唸り声をあげ、苦悶の表情を浮かべていた。
そしてドラゴンの首にかじりついているのは、ブルーに輝く鱗を持った、もう1体のドラゴンであった。




