第18話 覚悟
永代家では、いつも通り祖母の智子が夕飯を作っていた。
リビングでは、梵と雪也が祖父の和彦に今日のことを色々と話している。静かで、平和な日常の光景だ。
「……ソヨってば、火球作るのがめっちゃ下手くそでよ! 危うく山を燃やしかけたんだぜ!」
「お、おい……あんまり言うなって」
「はっはっは! 仲良くやれてそうで何よりだ」
和彦が大きな声で笑う。梵自身はあまり話さなかったが、彼らの楽しげな会話を聞いて、静かに微笑んでいた。
突然、家全体がガタンと揺れた。
家具が激しい音を立て、あちこちから軋む音が響き、窓ガラスがガタガタと震え、食器が床に散乱する。
家の中の4人は予想外の事態に混乱し、その場に伏せて揺れが収まるのを待った。
「何だ……地震か!!?」
雪也は周りをキョロキョロと見回す。
「いや違う……地震じゃない」
確信があったわけではなかったが、梵はそう答えていた。地震の揺れとは明らかに違った。まるで、何かを地面に叩きつけたような……。
そのまま4人は、玄関から外に飛び出した。
逃げ道を確保しておきたかったし、何が起こっているのかも確かめたかった。だがそれ以前に、生き物としての本能が「外へ出なければならない」と告げていた。
家の前の路地では、20人を超える人々が同じ方向に走っていた。その表情はどれも鬼気迫るもので、異常な事態の発生を物語っている。
和彦が1人の男を捕まえ、「何があった?」と聞くと、男は汗でびっしょりの顔で叫ぶように答えた。
「怪物だ! 怪物が出た!!」
男は和彦の手を振りほどくと、天敵に狙われた草食動物のように一目散に逃げていった。
「怪物って……」
それを聞いていた雪也がつぶやく。
「怪物」という単語だけで、何が起きたのか察することができた。
梵や老夫婦もまた同じ考えに至る。
「まさか……焼津を襲ったドラゴン……」
考えたくはなかった。だがそうとしか考えられない。
1週間前に焼津漁港で大勢を虐殺したドラゴンが、この町に現れたのだ。奴の目的は、おそらく自分たち……。
何故この場所がバレたのかは分からないが、最悪の事態が起こっていることは確かだ。
また、遠くから重い轟音が響いた。何かが爆発した音だ。あのドラゴンが暴れてるに違いない。
視線を上げると、黒い空の一角が濃いオレンジ色に染まっているのが見えた。あの炎の色を映す空の下に、破壊者がいる。
「よし……みんなは先に逃げてくれ。俺があいつを止める」
雪也は炎の方を見て、そう言った。
「何言ってるの! バカなこと言わないで!」
真っ先に反論したのは智子だった。その目には、何が何でも孫を連れて行くという意志が表れている。
「そうだぞ! 早く来い! 一緒に逃げるんだ!!」
和彦もそれに同調する。
しかし、雪也は決して逃げようとはせず、力のこもった視線で祖父母を見つめた。
「爺ちゃん、婆ちゃん。悪いけど、町の人たちを見殺しにはできない。ドラゴンが暴れてるなら、止められるのは俺だけだ」
それを聞いた和彦は苛立たしげに歩み寄り、がっしりと雪也の腕を掴む。
「いい加減にしろ!! 遊びじゃないんだぞ!!!」
和彦が怒鳴り声を上げるが、雪也もまた一歩も退こうとしない。
「ああそうだよ!! 人が死ぬかもしれないんだ!! 見て見ぬ振りなんか出来るか!!!」
雪也は和彦の腕を振り払うと、その場で光を放ち、たちまちドラゴンの姿を形作った。
こうなっては、ただの人間である和彦には何もできない。
「……心配してくれてるのは分かってる。でもごめん、やっぱり俺がやらないと」
雪也はドラゴンに似つかわしくない、静かな声で呟いた。
和彦が拳を握って歯をくいしばる中、今度は梵が前に出る。
「雪也……俺も一緒に戦う」
梵の一言に、老夫婦は再び驚愕した。急いで引き留めようとするが、それより早く雪也が首を横に振った。
「ソヨ、お前は爺ちゃんと婆ちゃんを逃がしてくれ。山の方に逃げれば大丈夫なはずだ」
「1人で戦うなんて無茶だろ!」
いつもは喋ることすら少ない梵が、声を張り上げる。
だが雪也は首を縦に振ろうとはしない。
「悪いけど、お前まで危ない目に遭わせられない。ここは俺に任せろ」
「でも……」
「ソヨ、"師匠"を信じろよ」
そう言って、白竜は鮫のような歯を見せて微笑む。梵は渋々引き下がった。
ドラゴンは翼を広げると、修行の時に見せた以上のスピードで雲の中に飛び上がった。
「馬鹿野郎……」
和彦が悔しそうに歯ぎしりをする。その目からは大切な孫を止められなかったという無力感や、自責の念が溢れ出ていた。
雪也が飛び立った空は、何匹もの黒い蛇が曲がりくねっているような、不気味で恐ろしい暗雲に覆われていた。
「何てことだ……」
式条中佐はヘリから地上を見下ろし、眼下の光景に思わず声を漏らした。
既に30軒を超える民家から火の手が上がり、その中心にはドラゴン"アメジスト"が鎮座している。心なしか、その爬虫類めいた顔に笑みが浮かんだように見えた。
「本部! 中見原町に甚大な被害が出ている! 直ちに空軍の出動を要請!! 地中貫通爆弾が必要だ! 送れ!!!」
『繰り返せ式条中佐。一体何が起こっている?』
あまりに悠長な本部の返答に、式条の堪忍袋の緒が切れた。
「コード・レッドだ!! "アメジスト"が人口密集地を襲ってるんだ!! 分かったか!!!」
烈火の勢いで怒鳴られ、相手は一瞬気圧されたようだが、少し間を置いて式条に応答した。
『……了解、直ちに対処する。終わり』
式条は交信を終えると、自らヘリのミニガンに着いた。
ドラゴンは口に炎を燃え上がらせ、新たな火炎を放とうとしている。あれが放たれれば、また多くの民家が跡形もなく吹き飛ばされ、大勢の命が奪われてしまう。
――――そうはさせない!
式条は引き金を引き、豪雨のような弾丸をドラゴンに浴びせる。
このミニガンの威力は非常に高く、鉄板を紙のように撃ち抜くほどの弾が、1秒間に100発も発射される。普通の生物なら、一瞬でひき肉同然になってしまうだろう。
だがドラゴンは違った。
弾丸は全て外皮で弾かれ、カンカンという虚しい音を立てている。もちろん痛がる様子もなく、ただ鬱陶しそうに空を見上げるだけだ。
ドラゴンの意識をそらし、町への攻撃を止めることができた。だがそれ以上は何もない。
1000発、2000発と喰らわせても、結果は変わらなかった。
「化け物め……」
何故だ? 何故奴は死なない? あいつは生き物ではないのか?
目の前の生物に対する疑念が、湯水のように湧いてくる。あんなものがこの世界に存在しているなんて、信じられなかった。信じたくなかった。
目の前の現実が、夢か虚構のように映る。
――――俺たちは今、何と戦っているんだ?
ふと、そんな疑問が浮かんだ。
つい1週間前までは、人間の敵は人間だった。人間が全ての生命の頂点に君臨し、未来永劫その座は揺るぎない、そう考えられていた。
だがこの瞬間、目の前に、生物としての枷などものともしない存在がいる。人類を、捕食者に怯える類人猿だった頃まで引き戻してしまうような、超自然の存在が。
――――お前などに、人類を蹂躙されてたまるものか。
式条の胸の奥から、無性に怒りが湧いてくる。それは軍人としてではなく、人間としての、種族としての怒りだ。
「死ねええええええええ!!!!」
ミニガンから白煙が上がるのも構わず、ドラゴンを撃ち続ける。
ここで殺さなければ、明日はもっと多くの人間が殺される。何としても、ここで決着をつけねばならなかった。
しかし、ドラゴンは傷ひとつ負うことない。
ドラゴンの視線が、真っ直ぐに式条のヘリを捉えている。その目は、獲物を狙う獣の目だ。
ドラゴンと直接視線を合わせたのは、これで3度目だった。手がガタガタと震え、額から冷や汗が落ちる。
――――殺される!
そう思った時だった。
ドラゴンに向け、どこからか炎の玉が放たれた。それはドラゴンに命中すると同時に大爆発を起こし、無敵の怪物も思わず仰け反ってしまう。
式条は無意識に、火球の飛んできた方角を見る。
「あれは……」
式条は、その存在に見覚えがあった。
アルビノドラゴン……1週間前、突如として出現し国防軍を無力化した奴だ。
"アルビノ"はゆっくりと地上へと舞い降り、もう1体のドラゴンと対峙した。




