第17話 襲来
富山湾上空
分厚い黒雲により肉眼では殆ど何も見えず、2機のF-35はレーダーに頼って飛行していた。ターゲットの表示は、もうすぐそこに迫っている。
『こちらスティール1、アンノウンに接近中。指示を請う』
『こちらAWACS、ターゲットを目視で確認できるか?』
『いいや、雲のせいで何も……待て、いたぞ』
雲の隙間から覗く、コウモリのものに似た巨大な翼。パイロットの目は、それをはっきりと捉えていた。
『ターゲットは航空機ではない。生物だ。おそらく"アメジストドラゴン"だろう』
アメジストドラゴン……1週間前、焼津漁港を襲ったドラゴンのコードネームだ。紫の光沢を持った鱗から、この名に決定した。
『了解だ、スティール1。全兵装使用許可、直ちに"アメジスト"を殲滅せよ』
非常事態に伴う超法規的措置により、アメジストドラゴン出現時に限り即時交戦が認められていた。
パイロットは操縦桿のトリガーを引き、機関砲を発射する。弾丸は確かに全て命中していた。しかし、ドラゴンは平然と飛行を続けている。
『こちらスティール1……機銃掃射を行うも効果無し! 目標は未だ健在!!』
『落ち着け。ミサイルを使用するんだ』
『……了解』
パイロットは機体をドラゴンの背後につけ、目標をロックオンする。距離や角度からしても、絶対に外さない位置だ。
『スティール1……FOX2!!』
機体から赤外線誘導ミサイルが発射される。ミサイルは煙で奇跡を描きながら、正確にドラゴンを追随していく。数秒後、空中で爆炎が炸裂した。
『ミサイル命中を確認!』
レーダーでも、確かにミサイルの直撃を捉えていた。しかし、パイロットの前に現れたのは信じられない光景だった。
ドラゴンは、なおも悠然と翼を羽ばたかせていた。雲の中のため視認が難しいが、外皮には傷一つ付いていないように思える。どんなに頑丈な航空機でも、ミサイルを受けてまともに飛べるなどあり得ない。だが、この生物は……。
『ミサイル、命中するも効果無し! 繰り返す、ミサイルが効かない!!』
その報告に、管制官もまた動揺していた。ミサイルが効かないとなれば、F-35ではドラゴンに対抗できないということになる。
『スティール隊、直ちに撤退せよ! これ以上交戦するな!』
パイロットは命令に従い、機体を反転させようとする。その瞬間、ドラゴンと視線が交差した。
ドラゴンが身を翻し、殺意に満ちた目で戦闘機に突撃してきたのだ。スティール1は即座に操縦桿を前に倒し、急降下して間一髪衝突を回避する。
『スティール2、逃げろ!!』
しかし、僚機の方は間に合わなかった。
F-35がドラゴンに激突し、爆散して無数の破片に変わる。絆を育んだ同僚の死を、パイロットはただ見ているしかなかった。
『AWACS! スティール2がやられた!!』
『集中しろスティール1! 敵に背後を取られてるぞ!』
操縦桿を握る手から血の気が引いた。
レーダーを見ると、確かに6時の方向に敵の機影があった。パイロットは本能的な恐怖を感じ、機体を左旋回させる。
刹那、燃える物体が高速でコックピットを横切った。
『な、何だ!?』
物体は一直線に飛び、瞬く間に彼方へと消えていく。それは火球と呼んで差し支えなかった。もし旋回していなければ、間違いなく餌食になっていただろう。
――――あのドラゴンが撃ってきたのか……!?
ヘルメットに覆われた額は、冷や汗でびっしょりだった。どうにか意識を保ちながら、機体を蛇行させる。
火球はさらに2発、3発、4発と続けざまに襲いかかってくる。逃げられない……そう察するのに、時間はかからなかった。
『スティール1、脱出しろ!!』
そう命令されるが、脱出用のレバーを引く余裕すらない。疲労とGにより身体は限界だった。
次の瞬間、コックピットは炎に包まれた。
式条中佐率いる即応部隊は、ヘリで一路甲信越地方を目指していた。
式条たちはブラックホークの3機編隊で向かっていたが、既に東部方面隊が即応している手筈だ。
"富山湾にアンノウン現出。空軍がスクランブル"
その報告が入ったのは、つい先ほどであった。
式条は直感していた。焼津漁港を襲ったアメジストドラゴンが、再び現れたのだ。
『こちら本部、緊急報告だ!』
突然、無線に通信が入った。
「こちらフォックストロット、どうした?」
嫌な予感を覚えながら、式条は聞く。
『F-35が2機、富山湾沖合で撃墜された!』
「馬鹿な……」
できれば誤報だと思いたかった。
F-35は最新鋭のステルス戦闘機だ。世界中を見渡しても、性能で勝る機体は数える程度しかない。それほどの戦闘機が、いとも容易く撃墜されてしまった……それが事実なら、ドラゴンの脅威度はさらに跳ね上がる。
「"アメジスト"は今どこへ向かってる!?」
一拍子置いて、本部から応答が返ってきた。
『"アメジスト"は現在、長野方面へ向け飛行中。国民への甚大な被害が予想される。第1空挺団及び特殊作戦群を投入する。その他即応可能な全部隊は、長野県上空で待機せよ』
長野県……偶然とは思えなかった。
「アメジストの目的は、"サファイアドラゴン"と"アルビノドラゴン"か……!?」
直感の告げるままに、そう呟く。
「アルビノドラゴン」とは、中見原町で式条たちが交戦した個体につけられたコードネームだ。最大の特徴である純白の鱗からその名に決まった。
「本部! 敵は恐らく、中見原町を目指している!! 今すぐ部隊を急行させろ!!」
その時には、直感は殆ど確信に変わっていた。
『中佐……中見原にはまだ、大勢の住民が』
寺島から不安げな通信が届く。
そうだ。あの町にはまだ、1万人の住民が残っている。アメジストが他の2体と合流する気なのか、はたまた殺す気なのかは分からない。だがもし戦闘にでもなれば、どれだけの人命が奪われるだろうか。
式条は、全身の神経が凍りつくを感じた。心臓の鼓動が、ヘリのローター音にも劣らないほどに大きくなる。
「パイロット……直ちに中見原へ向かうんだ急げ!!」
式条は喉が張り裂けんばかりの声で叫んだ。
その日、平和だった町に、漆黒の空から悪魔が舞い降りた。
人々はその姿に恐怖し、畏怖した。
悪魔がその大きく裂けた口を開くと、家々は一瞬にして地獄の炎に包まれた。
炎の海に影を浮かべた悪魔は、己の力を誇示するかの如く、轟くような咆哮を放つ。その光景は、身の毛もよだつほどおぞましいものだった。
だが、同時にどこか神々しくもあった。




