第16話 特訓
長野県 中見原町-2029年7月16日
陽が西に傾き始めた頃、梵は町の外れにある山を登っていた。前を歩く雪也に何とか追いつこうとするが、雪也は運動に慣れているのか、スピードを緩める気配は全くない。
息が上がり始め、全身に汗が滲む。雪也との距離はどんどん離れていった。
昨夜は永代家で一夜を明かすことになった。行くあてもないので、しばらくは完全なる居候をすることになるが、幸いにも老夫婦は快諾してくれた。
だがそれ以外の状況は依然芳しくない。
自分の能力のことについては何も分からず終い、国防軍に追われ、更には謎のドラゴンが日本を襲撃したのだ。
最早、いつどんな事態が起こるかわからない。
"んじゃ、俺がドラゴンの力の使い方を特訓してやるよ"
雪也のその一言で、梵の特訓が始まった。
着地もまともにできないようでは、戦闘になっても一方的に叩きのめされるだけだ。雪也は情報は持っていなかったが、その代わりドラゴンとしてのスキルは多彩だった。
雪也には学校や部活があるため早朝からはできないが、午後に数時間練習するだけでも効果はあるはずだ。
「よーし、着いた! っておせーよソヨ!」
「ハァ……いや……雪也が速すぎるんだって……」
息も絶え絶えになりながら、梵はようやく山の頂上に到達した。
梵は"飛べば一瞬で来れたんじゃ"と思ったが、口には出さなかった。
山頂付近に木はまばらで、ドラゴンの巨体が動くにはもってこいだった。振り返ると、さっきまでいた中見原町の景色が一望できる。
山特有の冷たい風が前髪を揺らすと、梵は大きく深呼吸をした。大自然の空気は美味しく、どんどん体に取り込みたくなる。
「はい、じゃあ第1回目の特訓を始めまーす」
雪也が右手を挙げ、スポーツでやるような宣誓をする。
「う……うん」
どう答えていいか分からず曖昧に流すと、雪也は人差し指を立てて左右に振り始めた。
「ダメダメ。"はい師匠!"とかそんな感じで」
「は……はい、師匠……??」
適当に挨拶を終えると、早速レッスンが始まった。
「はいじゃあまずドラゴンに変身して~」
言われた通り、梵は人間体から青いドラゴンへと瞬く間に変化する。
人間体の身長は雪也の方が少し大きかったが、ドラゴンになると完全に見下ろす立場だ。
「えっとぉ~~……次は空に上がって、ちょっと飛んだらここに着地してみてくれ」
梵が翼を羽ばたかせると、その巨体がフワッと宙に浮き上がる。それを2回、3回とと繰り返しているうちに、すぐに山全体を見下ろせる高さにまで上昇した。
青竜はしばらく滞空した後、旋回しつつ渦を描くようにして元いた場所へと降下していく。
最初はゆっくりと、そして徐々にスピードを上げる。重力に体が引っ張られるが、コントロールを失わないように翼で高度を調節する。
地面がどんどん近づいてくる。雪也の姿も、自分がさっきいた場所とはっきりと見えた。山頂が目の前に迫った時、梵は勢いよく両足を重力の方に突き出した。
そして失敗した。
なんとか足は地面に着いたものの、そのまま勢い余って前に転倒してしまい、頭で地面に直線を描きながら胴体着陸をしてしまった。
山にはまっすぐに抉られた傷がつき、さながら隕石が落下したかのようだ。
「はは~ん、なるほどね。翼の角度が悪いな」
梵はドラゴンのまま、雪也の評価に耳を傾けた。
「もっとこう……ピョン! って感じで、着地直前にハッ! って感じだ」
雪也は身振り手振りを交えて一生懸命説明しているようだが、側から見れば錯乱した猿の物真似にしか見えず、とてもじゃないが人に伝わるものではなかった。
にも関わらず、雪也は「さぁやってみろ」という視線を向けてくる。
「いや……全く分からなかったんだけど」
「え? マジか」
雪也は少し悩んだ後、自分もドラゴンに変身した。実演してみるつもりのようだ。
白竜は一瞬で天に舞うと、さっきの梵と同じように何度か旋回し、続いて地面に向かって急降下してきた。
そして地上間近になると翼を帆のように張り、空気抵抗を増やして急激に減速した。そのまま土埃すらほとんど上げず、大きな音もないまま梵の目の前に降り立った。
それは流れるように美しく、実に見事なものだった。
「さぁ、お前もやってみろ」
そう言われたが、実際にできたのは特訓4日目になってからだった。
「ふぅ~頑張ったな。今日はもう帰るか!」
特訓を終えた少年たちは、肩を並べて帰路についた。
太陽が半分ほど山々に顔を隠し、空には闇夜が迫っている。真夏ながら風も冷え始め、疲労と空腹の体には一層堪えた。
山の緩やかな傾斜を下りながら、2人は楽しげに会話を弾ませていた。この数日間で、互いのことはかなり打ち明けている。
「……雪也は、いつドラゴンになれたんだ?」
「う~んと……5年前だったかな」
「結構早かったんだ。やっぱ驚いた?」
「そりゃあもう死ぬほどビビったさ! 婆ちゃんとか気絶寸前だったし」
笑う雪也につられて、梵も思わず笑みをこぼす。
思えば、こうして他人と打ち解けるのは過去にはあり得ないことだった。だがこの怪物の力を通して、美咲や雪也に出会った。
たとえ人間ではなくなったとしても、あながち悪いことばかりではないかもしれない。
このまま何も起こらず、平和な日々がずっと続けばいい、梵はそう思っていた。
石川県 国防空軍小松基地-2029年7月22日
2機のF-35戦闘機が、ジェットエンジンを吹かして滑走路を飛び立とうとしている。つい先刻、防空指令所よりスクランブルが発令されたためだ。
『富山湾沖合にアンノウン現出。スティール隊、タキシングを許可。順次離陸せよ』
『スティール1了解』
『スティール2、ウィルコ』
『上空では早期警戒管制機の指示を受けろ。貴機の幸運を祈る』
F-35が機首を上げ、轟音と共に上昇していく。空には黒雲が立ち込め、夕方だというのに夜更のような暗さだ。その光景はひたすらに不気味であり、まるで悪夢の中のようだった。




