第15話 家族
東京都内 防衛省
日が沈み、夜の帳が降りた頃、式条憲一は木原中将のオフィスを訪れていた。テレビでは相変わらず、焼津漁港襲撃に関するニュースが続いている。
木原中将が来るまでの間、式条は部屋に置かれた小さめのテレビでそのニュースを眺めていた。
『……スタジオには、関東大学統合生物学研究所の大久保教授にお越しいただいています。よろしくお願いします』
『よろしくお願いします』
ニュースキャスターが、50代くらいのスーツを着た男性と挨拶を交わしている。やや頭髪の薄いその辺にいそうな男性だったが、おそらくその分野では権威なのだろう。
『早速ですが、謎の生物を捉えたこちらの映像をご覧ください』
画面が切り替わり、当時漁港にいた一般市民が撮影した映像が放送される。逃げる途中にスマホのカメラで撮られたものだ。この映像は色々なチャンネルで数え切れないほど流されていた。
空を飛ぶ生物は、式条が見たドラゴンにそっくりだった。だがこのドラゴンは、2体よりも幾分か大きいように見える。また、全身の鱗も紫色であるようだ。
『この生物について、教授はどうお考えですか?』
『正直、全く見当もつきません。コンクリートの建物を破壊するほどの炎を吐く生物など、本来あり得ないんです。この生物の出現で、従来の生物学の常識は完全に崩壊しました』
式条がテレビに見入っていると、突然部屋の扉が開かれる音が聞こえた。振り返ると、そこにいたのはこの部屋の主である木原中将だった。
「やあ式条、呼び出しておいて待たせてしまったな」
「いいえ中将、いい休憩時間になりましたよ」
木原中将は2つの湯呑みに緑茶を注ぐと、片方を式条の前のテーブルに置いた。もう片方を持ちながら、式条の向かいのソファーに腰掛ける。
本当は酒でも飲み交わしたいところだったが、こんな事態の真っ只中だ。いつ何が起きるかわからない。
「2人で飲むのは久々だな」
「出来ればもっと落ち着いてる時に飲みたかったですね」
木原と式条は、ほぼ同時に茶をすする。
「それで式条、美咲ちゃんは無事か?」
「ええ、今は家で大人しくしてます」
「それは良かった」
木原は白髪の混じった髪を掻き上げ、口元に弧を描いた。式条もそれに笑顔で応える。
こうやって和やかに話していたかったが、そうもいかない。木原は早速本題に入った。
「政府は国家安全保障会議を招集し、対応を本格化させている。これ以上国民に犠牲者を出すわけにはいかんからな。そこでお前を、我が軍の現場指揮官に任命したい」
それを聞いた式条は、すぐには首を縦に振らなかった。
現場指揮官ということは、部下の命を直接委ねられるということだ。判断ミスをすれば、大勢の部下が危険に晒される。
あの白竜の場合、我々を殺そうとはしていなかった。だが焼津を襲ったドラゴンは違う。明らかに敵対の意思を持っている。
そんな奴と戦えば、どれだけの部下が死ぬかわからない。
「式条、お前の不安はわかる。だが、他に任せられる者はいない。私の直属の部下だった頃から、お前の優秀さはよく知ってる。自分を信じろ」
式条はゆっくりと首を縦に振った。
不安要素は星の数ほどあるが、軍人である以上覚悟を決めねばならない。
「わかりました。私が引き受けます」
「よく言ってくれた。何としても奴を殲滅してくれ。我々はお前を全力で支援する」
木原が式条の肩をポンポンと叩く。
「お前の部下たちだって立派な軍人だ。命を賭す覚悟はできてる。彼らを信じてやれ」
そう続けると、初老の顔に再び笑顔を浮かべた。
式条は手元のお茶を一気に飲み干すと、何気なくテレビに目をやった。さっきと同じく、教授がこの事態についての見解を述べている。
『この生物が新種なのか、人工的に作られたものなのか、あるいは宇宙から来たものなのか、それすら分かりません。しかし、異常事態が起こっていることは確かです』
『では大久保教授、今後何が起こると予想されますか?』
『あれは1体だけではないかもしれない』
テレビから聞こえてきた言葉に、式条は全身を締め付けられるような不安を覚える。
『爬虫類は一度に複数の卵を産みます。つまり、彼らは一気に繁殖するかもしれないのです。もし彼らがねずみ算式に増え、群れを作ったら?』
教授は語気を強め、見る者に訴えかけるように話す。
『それだけじゃない。もし彼らが知能を有していたら? もし彼らが、新たな支配種だったら? ……人類は滅ぶかもしれない』
教授の言葉は、式条の恐怖心を掻き立てるのに十分だった。
長野県 中見原町
梵は、永代家の好意で彼らと共に食卓を囲んでいた。
キッチンの方からは、嗅いだことのないような美味しそうな匂いが漂っている。
梵にとって、一家で食卓を囲むのは初めての経験だった。前にいた家では、里親たちが食事を終えるまで黙って見ていなくてはならなかった。無論、料理を作ってもらうなどあり得ないことだ。
だから、「座って待っていていい」と言われた時は心底驚いた。ましてや初対面だというのに、無償で食事を恵んでくれることに衝撃を受けずにはいられなかった。
"これは罠ではないか?"という疑念まで抱いてしまう。
「……ほう! 梵くんは横浜から来たのか!」
夕食を待っている間に雪也の祖父が帰宅し、色々なことを質問された。祖父は梵に興味津々のようだった。
中には実の親のことなど答えにくい質問もあり、梵はたじろいでしまう。
「爺ちゃん……いきなり聞きすぎだよ。ソヨが困ってるだろ」
見兼ねた雪也が助け舟を出す。祖父は「おお、すまんすまん」と言ってようやく質問責めをやめた。
祖父の名前が永代和彦、祖母の名前が永代智子というらしい。
2人とも60代半ばに差し掛かっていたが、年齢を感じさせないほどに健康的で活発であった。
雪也の前向きな性格のルーツもここにあるようだ。
「はい、おまたせ~」
そう言って、祖母の智子が、できたての料理を3人の元へ運んで来る。厚い肉を焼いてソースをかけた料理のようだったが、梵はそれに見覚えがなかった。
「おお! ハンバーグじゃん!」
雪也が両手を掲げて喜びを表現している。
ハンバーグ……名前は聞き覚えがあったが、実際に見たのは初めてだ。ポカンとする梵を、雪也が不思議そうに見つめていた。
「お前、ハンバーグ嫌いなのか?」
「いや……その、初めて食べるから」
「「「えぇ!!?」」」
永代家の3人が、一様に驚きの声を上げる。その表情は、目を丸くするという表現がぴったりだった。
「えっと……ほとんどインスタント食品しか食べたことなくて……」
梵はバツが悪そうに説明する。だがその説明が、永代家の面々をさらに困惑させることになってしまった。
これ以上は何も話さない方がいい。梵はそう悟った。
「……まあ、とにかくいただきましょう」
微妙な空気を断ち切るように、智子がハンバーグを4皿、テーブルに置く。
梵の目の前にもハンバーグが置かれた。初めての匂いが鼻腔をくすぐる。分厚い肉からは常に湯気が立ち、かなりの温度があることが伺える。
「それじゃ」
「「「いただきまーす!」」」
そう言って、彼らは一斉にハンバーグを頬張り始めた。梵も慌ててそれに追従しようとする。
フォークで肉を切ってみると、中からさらに湯気と肉汁が吹き出していた。その量のあまり、思わず身動いでしまう。
雪也たちを真似て肉を一口サイズに切り、たっぷりとソースをつけて自分の口に運ぶ。
熱さでむせそうになるのをこらえ、肉を噛み砕いてみる。やや弾力があり、肉汁が口の中に溢れ出す。それは酸っぱ味のあるソースと絡み合い、やがて喉の奥に流れ込んでいく。
美味しかった。本当に美味しかった。
こんな料理は、人生で初めてだ。
さらに二口目、三口目と食していくと、やがて手が止まらなくなっていった。
こんな料理、生まれて初めてだ。
「ソヨお前、どうして泣いてるんだ?」
食べるのに夢中になっていると、唐突に雪也にそう言われた。
「……え?」
泣いている? そんな馬鹿な……。
だが頬を触ってみると、確かに一筋の雫が曲線を描いていた。
「え? 何で……どうして……」
堰を切ったように、涙が溢れ出して来る。両手でそれを拭おうとするが、涙は押し寄せる波飛沫のようであり、止めることができない。
老夫婦も、そんな梵の様子に気付いたようだった。
「あの……すみません。えっと……」
必死に弁解しようとするが、言葉をうまく話せない。言い訳も思いつかない上に、呼吸するだけで精一杯という有様だった。
「ほら智子! やっぱりうちの味おかしいんだよ!」
「えぇ!!? そんなはずは……」
「いやあの……なんだか、嬉しくて……」
梵の言葉を聞いた3人は口をつぐみ、この少年が歩んできた暗い生涯を垣間見た。
きっと果てしなく長い間、辛い思いをしてきたのだろう。そう思って、3人は悲しげな表情で梵のことを見つめる。
少年の涙は、しばらく止まることはなかった。




