第14話 狂い始めた世界
『もう一度繰り返してください。その巨大な飛行生物が炎を吐いたんですか?』
『はい! 多数の目撃者がそう証言しているそうです!』
スタジオのニュースキャスターと、ヘリに乗るリポーターが問答をしている。
梵と雪也は、テレビに映し出される衝撃的な光景を凝視していた。
中継ヘリからの空撮映像でも、地上の混乱ぶりがよく分かった。緊急車両や軍用車両、中継車が押し寄せ、規制線の外側では多くのマスコミや野次馬がその推移を見守っている。
複数の建物が押し潰されたように倒壊し、軍やレスキュー隊が生き埋めになった人を助け出そうと悪戦苦闘する。
海沿いのタンクが爆発炎上し、その猛火に消防士たちは為す術もない。
「おいおい……マジかよ」
雪也が思わず言葉を漏らす。
"炎を吐く巨大な飛行生物が現れた"
テレビでは確かにそう言っていた。
2人は同時に同じ結論に至り、目を見開いて顔を見合わせる。
「なあ、これって……」
雪也の質問が終わる前に、梵は首を縦に振った。
『えーここで、漁港が襲撃された直後の映像が視聴者から寄せられました。ご覧ください』
キャスターの解説と同時に、スマートフォンのカメラで撮影したらしい映像が放送され始めた。
映像はコンクリートや人々の足をしばらく捉えた後、ようやく前方に固定される。
撮影者は息を切らしながら死に物狂いで走っているようで、そのせいでカメラが上下に激しく揺れる。
周囲には大破したトラックや、なんとと小さな漁船までもが転がっていた。
撮影者の恐怖心が画面越しに伝わってくる。命懸けで捕食者から逃げる草食動物を見ているようだ。
『おい! あれ! あれ!』
撮影者と共に逃げていた男が、突然振り返って後方を指差す。それに従うようにカメラを持つ男も踵を返し、黒煙の舞う空を映し出した。
そこにいたのは、コウモリのような翼を広げ、天空の支配者の如く飛び回る生物……梵や雪也とよく似た、ドラゴンであった。
ドラゴンは空中を何度か旋回した後、満足したように雲の中へと消え去った。
映像はそこで終わり、唖然とするキャスターの姿が映される。おそらく、この映像を見た日本中の人々が、未知の存在への恐怖を抱いたことだろう。
『ええ……何とも、衝撃的な、映像でした』
キャスターがたどたどしく話す。彼も明らかに動揺している。
『これはまるで……空想上の生物、ドラゴンのようです。とても信じ難い光景です』
梵には一体何がどうなっているのか全くわからなかった。
また新しいドラゴンが出現した……ということなのだろうか。
そもそもドラゴンとは何だ? 何故そんなものが存在してる? 何故自分にこんな能力が備わってる?
「雪也……一体どういうことなの?」
と質問してはみたものの、当の雪也も驚愕と困惑の表情を浮かべていた。
「さあな……ただ、あいつが味方じゃないことは確かだ。俺達みたいに人間が変身してるのか、全然違う何かか……」
「ていうか、ドラゴンって何なの?」
「俺が聞きたいくらいだよ。能力の使い方は色々試したけど、ドラゴンそのものについてはちっとも調べてないからな。とにかく、魔法みたいに人間に変身したり、炎を吐いたりできる……ってことしか知らない」
梵はもうそこで諦めた。
白いドラゴンに会えば何かわかる……と考えていたが、彼もまた自分と同じ状況に置かれた、何も知らない少年だったということだ。
それでも、こうして出会えたことが無駄だったとは全く思わなかった。
「なぁソヨ、しばらくウチに泊まっていくだろ?」
「え?」
不意に質問をされて、梵は答えに詰まってしまう。
「だって一文無しで行く場所もないんだろ?」
「まぁ……うん」
「じゃあ決まりだな!」
またも雪也は勝手に決めたが、梵は内心安堵していた。
情報以外にも、彼に教わりたいことは山ほどある。ドラゴンとしてのノウハウや、いざとなった時戦うための技術だ。
焼津のドラゴンについては一旦置いておこう。今の自分たちにはどうしようもない問題だ。
静岡県 焼津漁港
ヘリコプターから降りた富士田は、体を伸ばす間も無く目の前の光景に息を呑んだ。
レスキュー隊員が、瓦礫の中の生存者に向けて必死に呼びかけている。また別の場所では、消防士が懸命な消火活動を続けている。陽が西に傾き始めているが、何百という人々が1秒たりとも休むことなく救助活動を続けいた。
焼け焦げるような悪臭が周囲に漂う。地べたには数十の人間が横たえられ、そこにシートがかけられている。おそらく犠牲者だろう。
「お父さん! お父さん!」
その犠牲者に寄り添うように、遺族と思われる人が悲痛な叫びを上げている。シートの隙間から、骸の一部が見えた。皮膚が焼け焦げて黒ずんでおり、赤い肉も所々に顔を覗かせている。ひどく苦しんで死んだのだろう。
だが、死んでいるのなら幸いだ。これ以上、苦痛を味わわなくて済むのだから。
「富士田博士! やっと会えた……」
不意に聞き慣れた声が、富士田の耳に入る。声のする方を見ると、白衣の女性がこちらに走り寄って来ていた。助手の朝霧だ。
「あぁ、朝霧くん。どんな状況だ?」
と言い終わった時、朝霧の後ろに黒いバンが止まっているのに気付いた。車の側面にはSAGAの文字と、人間の目を模したシンボルマークが描かれている。
富士田はそのシンボルをよく知っていた。サーガ機関のエンブレムだ。
サーガとは北欧神話の女神の名であり、「何かを見、知らせるもの」という意味がある。世界を監視する組織に相応しい名前だろう。
黒いバンから、スーツを身に纏った数人の男が降りて来る。彼らの胸にも、サーガ機関のシンボルを象ったバッジがあった。ズカズカと歩く彼らに圧されるように、朝霧は黙って道を譲る。
男たちは、富士田の前に壁のごとく立ちはだかった。
「今回はどんな要件ですか?」
富士田が男たちに尋ねる。彼らが来る時は、組織から何かしら重大な指令が下る時だ。
「富士田博士。この度の襲撃で、組織はドラゴンをレベル5の脅威と認識しました。民間人への甚大な被害が予想される非常事態です。そこで組織は貴方を、この問題の最高責任者に指名しました」
「私が……ですか?」
最高責任者……つまり、現場における最も高い位だ。
「この分野で貴方以上の研究者はいない。日本支部の管理権も、一時的に貴方に付与されます」
男は抑揚のない声で、極めて事務的に述べた。まるでアンドロイドのようだ。
「サーガ機関にしては椀飯振舞いですな」
富士田は自分の組織を少し皮肉ってやったが、やはり男は眉一つ動かさない。こういうタイプの人間は苦手だった。
実のところ、富士田自身も組織の全貌をよく知らなかった。情報は徹底的に管理・分割され、末端には最低限しか与えられない。
世界に存在する未知の脅威に対処する組織とのことだが、サーガ機関そのものについてはその程度しか知らない。
組織を統括しているのが何者なのかすらわからないのだ。富士田にはそれが、たまらなく不気味に思えた。
「これが指令書です」
そう言って、男はタブレットを1つ渡してきた。富士田が受け取って画面をスライドさせると、英語で詳細に書かれた文がずらりと現れた。
「調査が終わり次第、本部への連絡をお願いします。それでは我々はこれで」
それだけ言うと、男たちは足早にその場を後にした。すると、後ろに控えていた朝霧が再び歩み寄ってくる。
「では博士、調査を開始しましょうか」
「そうだな」
老いた博士と若い助手は、早速仕事に取り掛かることにした。