第12話 新たな少年
「……謎の生物、というと?」
式条が富士田博士に問う。その答えは大体予想がついていたが、一応確認せねばならない。
「ドラゴンのような生物であったと……」
やはりか。
式条は僅かに頭痛を覚えた。これでこの国には3体、ドラゴンが現れたことになる。
一方その会話を聞いていた寺島は理解が追いつかなかったらしく、困惑の表情を浮かべている。
「あの……富士田博士」
寺島が、恐る恐る富士田に質問をする。
「そのドラゴンって、シベリアに現れたっていうドラゴンと同じでしょうか?」
「おそらくそうでしょう」
富士田は淡々とそう答えた。
寺島は不安そうに式条の方を見る。式条はというと、縁石に座り込んで片手で頭を抱えていた。
「3体のドラゴンは、繋がっているんでしょうか?」
「それは調査しなければ何とも」
式条の質問にも、富士田はあくまで事務的に答えた。
この場の軍人たちと比べて、富士田博士はあまり動揺していないらしい。
とにかく、シベリアの惨劇を引き起こしたドラゴンがこの日本にいる。恐ろしい事態だ。
焼津漁港がどのような状況かは想像もつかない。あれだけの力があれば、何百何千という人間を殺すこともできるはずだ。
「寺島。木原中将に連絡して、この事態の詳細を伝えろ。それからヘリをこちらに回せ。我々も直ちに帰還する」
「了解」
寺島が「みんな! 急いで撤退の準備だ!」と叫ぶと、兵士たちは慌ただしく動き始めた。
今度は富士田が式条に声をかける。
「式条中佐、私は直ちに焼津漁港に向かいます。ドラゴンの正体を確かめねば」
「ええ。サーガ機関とやらの力、頼りにしてますよ」
富士田は少しだけ笑みを浮かべると、足早にその場から去っていく。それを見届けた後、式条は立ち上がって娘の方へ歩き出した。
「美咲」
美咲はそれに答えず、体育座りをして俯いている。物思いにふけっているようだ。
「あいつを心配しているのか?」
式条は先ほどの美咲の言葉を思い出す。
美咲は海成梵を心配していたようだった。奴を助けようとさえしていた。
「どうして奴の味方をする?」
美咲はようやく振り返り、しっかりと式条の目を見て話し始めた。
「私を助けてくれたの。変な男たちに誘拐された時にね」
「誘拐だって……?」
思わず言葉を失った。冗談を言っているのかと思ったが、そんな様子はない。自分が知らない間に、娘がそんな目に遭っていたというのか。
「車に乗せられて攫われた時に、ドラゴンの力を使って助けてくれた。あのままだったら……多分私、殺されてたと思う」
それを聞いたあと、しばらく美咲にかける言葉が見つからなかった。式条は数秒かけて答えを考え、やっとの思いで口を動かした。
「すまなかった」
それしか言えなかった。数年前に病気で妻を喪って以来、美咲には寂しい思いばかりさせている。
軍を除隊することすら考えた。これからは自分の手で愛娘を守り抜いていく、そう決めたはずだった。
それなのに……。
「お父さんのせいじゃないよ。ただ、ソヨがお父さんの思ってるような人じゃないってわかってほしいだけ」
美咲は一切目を合わせようとしない。
"お父さんには何も期待してない"そんな想いがひしひしと伝わってくる。
彼女の言うことが本当なら、あの少年は娘を救ってくれた恩人ということになる。
だが、それとこれとは別問題だ。
「お前の言うことはわかる。だが事態はそう単純じゃない。奴が人間を襲ったことは事実だし、何よりあれほどの力を放置するわけにはいかない」
それに美咲は何も答えなかった。ただ、視線だけで抗議の意思を伝えていた。
「とにかく、お前はヘリに乗って横浜に帰れ。家で大人しくしてるんだ」
と式条が言い終わる前に、美咲はその場から立ち上がった。そしてその場から2、3歩歩くと振り返り、
「お父さんは間違ってる」
とだけ言って去っていった。
式条は何も言わずに寂しくその姿を見送ると、自分も部下とともにそこを後にした。
梵はしばらく雲の上を飛んでいた。
何も言わず、ただ白竜の空路をなぞっている。
確かにさっきはあいつに救われた。しかし、純粋に善意で助けただけなんだろうか。
もし、自分を利用するためだとしたら? もし、誰もいないところに誘き出して自分を殺すためだったら?
そんな思いが杞憂であることを祈りながら、白いドラゴンの後ろ姿を見つめていた。
しばらく飛ぶと、白いドラゴンは荒っぽく降下し始めた。その行く手にあったのは、大きめの立体駐車場だ。あそこの屋上に着陸するつもりなのだろう。
白竜はそれまで物凄いスピードであったが、駐車場を目前にすると急に速度を落とし始めた。
梵もそれを真似ようとするが、スピードが出過ぎていたためか中々制御できない。
ふと視線を前にやると、白竜は難なく立体駐車場の屋上に着地していた。
梵は空気抵抗を増やそうと必死に翼を動かすが、やはり速度は落ちない。
「ちょっ……ちょっヤバい! ヤバい!」
そのまま為す術もなく、頭から派手に駐車場に着地してしまう。この場合は墜落といった方が適切だろう。
まるで、スピードをコントロールできない初心者スキーヤーのようだった。
頭から落ちたドラゴンのせいでコンクリートは大きく抉られてしまい、駐車されていた車もペシャンコになってしまう。
「いてて……」
梵は何とか体を起こし、長い首ごと頭をブルブルと振る。意識は飛んでいないようだ。
「派手に行ったな。大丈夫か? 青いの」
梵の横から、男性にしては少し高めの声が聞こえた。きっと声変わりの最中なのだろう。
「お~い、言葉話せるか?」
再びあの声が響く。梵は意識を朦朧とさせながら、ゆっくりと声のする方に頭を向けた。
そこに立っていたのは、梵と同年代であろう少年だった。半袖短パンというラフな格好で、梵の姿を不思議そうに見つめている。この少年が、あの白竜の人間体なのだろう。
短い黒髪と程よくついた筋肉から、梵よりも健康な少年であることが伺える。
「君は……?」
梵が質問をしようとするが、少年が右手を掲げて遮る。
「聞きたいことは色々あるだろうけど、その図体はちょっと目立ちすぎだ。お前、人間にはなれるよな?」
すっかり忘れていた。確かに、ドラゴンの姿のままではまずい。
青いドラゴンはまばゆい光を放ち、あっという間に人間の姿に戻った。梵の隣には、かつて車だった鉄の塊が転がっている。
少年は、人間となった梵をまじまじと見つめる。
「へ~、お前もまだ子供なんだ。何歳?」
少年の声はさっきと同じく明るいトーンだった。きっと積極的な性格なのだろう。
梵は少年に気圧されながらも、どうにか質問に答える。
「えっと……14歳」
「おっタメじゃん!」
少年は大口を開けて喜ぶ。嬉しさを隠すつもりはなさそうだ。
「なぁなぁ、名前なんて言うの?」
「名前は……」
梵は一瞬躊躇ったが、目の前の少年が悪人とは思えない。心配はいらないだろう。
「海成梵」
「うみなり…そよぎ? 変わった名前だな」
「えっと……友達はソヨって呼んでた」
友達、と言ってもたった1人だが。
「んじゃよろしくな、ソヨ!」
少年は握手を求めようとして、突然「あっ」と何かを思い出したような顔をした。梵もそれに少し驚いてしまう。
「いっけね、俺の名前教えてなかったな」
何だ、そんなことか。
梵は驚いて損をした気分になった。だが確かに、まだ彼の名前を知らないままだ。
「俺は雪也。永代雪也。改めてよろしくな」
雪也と名乗る少年は、再び右手で握手を求めた。