第31話 真のヒーロー
「美咲、こんなところにいたら死ぬぞ……」
梵が警告しても、美咲は去ろうとはしなかった。
「それは貴方も同じでしょ?」
美咲はアスファルトの陥没に入り、梵のそばに座り込む。
「早く逃げろ……俺のことはいいから……」
「何も良くない。貴方には助けが要るはず」
梵は苛立ちを覚える。こんな自分のために、なぜ命を投げ出すような真似をするのか。対価が見合わないにも程がある。
「私は貴方のためにここへ来たのよ」
美咲はさらりと言ってのける。
梵の口から、深いため息が漏れた。
「だったら君は大バカだ……。命を賭けるべき場面を……尽く間違えてる」
「ううん。私が決断したことよ。そこに間違いはあり得ないわ」
さっさと舌でも噛んで死んでおくべきだったと、梵は後悔する。こんなみっともない姿は、恥そのものだ。
「俺は……友達を裏切った。勝手な思い込みで……」
もう、誰かの施しを受けられるような立場にはない。ナイフのように触れるもの全てを切った結果、最後に残ったのは痛みだけだ。
「私も雪也も、貴方に裏切られたなんて思ってない。だから、気に病むことなんてないの」
「そうは言ってもな……」
「これまで一緒に頑張ってきた仲でしょ? 1回や2回喧嘩した程度で、関係が壊れるわけないじゃない」
梵の左手が、温かいものに包まれる。それが美咲の両手であると気付くのには、少し時間がかかった。
「覚えてる? 最初に会った日のこと……。私が誘拐されそうになったのを、ソヨが助けてくれた」
「ああ、そんなこともあったっけな……」
今となっては、遠い昔の話に思える。
あの出来事のせいで、美咲は自分に淡い幻想を抱いてしまったのだろう。身の丈に合わない英雄紛いの行為は、身を滅ぼしてしまうだけだ。
「もしあれが無かったら俺は、今ここで馬鹿みたいに寝そべってたりしなかったかもな……」
「そして私は誰にも助けられず、今頃はどこかの山奥で蛆虫に塗れてた」
「それはどうかな……別の誰かが助けてたかも」
「じゃあソヨは、私を助けたこと後悔してるの?」
「そういうわけじゃないけど……」
美咲は温かく微笑む。
「昨日言ってたこと……私に一緒に来て欲しいって話」
「君を死なせたくなかったのは本当だ。でも、あとは単なる俺のエゴさ……」
ドラゴンの支配する世界で、人間である美咲が生きていけるはずはない。イーラですら解っていたことを、自分は気付けなかった。
雪也だってそうだ。あいつにも、大切な人間はいるのだ。友人ならば本来、共にそれを守ってやらねばならなかった。それなのに自分は、拒絶されたなどと思い込んで……。
そんな梵の考えなどお構いなしに、美咲は続ける。
「あの時は怖かったけど、正直ちょっと嬉しくもあったよ。私のことを、本気で大事にしてくれてるんだって」
「ははは……モノは言いようだな」
自分のしたことは、口渇に苦しむ者に海水を与えるような愚行だ。救うどころか、より悲惨な死に導いていたのだ。
「本当に君が大切だったなら、イーラに立ち向かったはずだ。結局俺が大切にしてたのは、自分自身だけなんだ……」
「それは違うわ」
美咲はキッパリと言い切る。
「むしろ、貴方は自分を蔑ろにし過ぎよ。そんなんじゃ、誰だって壊れるに決まってる。耐えられないほどに辛かったら、誰かに助けを求めないと。私でも、雪也でもね」
「ハハ……君は俺より、ずっとヒーローらしいよ」
それは決して皮肉ではなく、本心からの言葉だった。
特別な力を持つ人間だけがヒーローではない。強大な敵に立ち向かえる者だけがヒーローでもない。
重要なのは、本当の意味で誰かの心を救えるかだ。美咲にはそれができる。それは雪也でも、美咲の父でも、イーラでも同じだ。彼らは常に、誰かにとっての希望の光だった。
それに比べて、俺は……。
「俺は……誰の希望にもなれなかったよ……」
梵は声を上擦らせ、鼻をすする。
とっくに手に入れていた宝を探し求め、利己心を剥き出しにして暴れ回った。その結果、自らの手で宝を傷つけてしまった。これほどの過ちを、どう償うことができようか。
突然、美咲の体が上半身に覆いかぶさった。細く温もりのある腕が、梵の頭を包み込む。
「ソヨ、ちゃんと聞いてね」
美咲の息遣いが、梵の耳元を撫でる。
「貴方は十分過ぎるほど頑張った。だからもう、"命を賭けて世界を救って"なんて言わない。でも、これだけは忘れないで。貴方の蒼く美しい翼は、いつだって希望の象徴よ。決して、影の存在なんかじゃない」
美咲の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
「最初に私を助けてくれた日からずっと、貴方は私の……」
「ヒーローだから」
"ヒーロー"……こんな自分を、美咲は本気でヒーローだと信じている。どうやら彼女は、雪也以上の大バカ者らしい。
梵は呆れ果てたように鼻で笑う。
――――全く……君は最悪の親友だよ。そんな言葉を掛けられたらもう、戦わないわけにはいかないじゃないか。
15機のオスプレイの編隊が、続々と東京の上空へと進入していく。彼らは、民間人救出を目的とした輸送部隊だ。
『こちらペリュトン隊、港区空域に敵影なし。友軍の奮闘に感謝』
『地上部隊からの報告では、要救助者は1000人超。送れ』
ペリュトン隊の指揮官は鞍馬少佐だった。式条の命令に従い、現在は作戦のフェーズ2を実行している。
「各機へ告ぐ。作戦展開地域到着後は、任意の判断で着陸地点を確保せよ。送れ!」
鞍馬は編隊の1番機から、的確に指示を飛ばす。
戦線は新宿区の方まで押し上げられており、現状流れ弾以外の脅威はない。鞍馬は後部ハッチから状況を確認しつつ、眼下のゴーストタウンに目を落とした。
「ペリュトン隊より地上の友軍へ。作戦行動を開始せよ。送れ!」
そう無線に合図を出す。
まず地上部隊が民間人を着陸地点まで誘導し、オスプレイで可能な限り多くの人々を運び出す……そういう手筈だった。
艦隊の壊滅といった事態には見舞われたものの、作戦は未だ健在だ。それだけでも、この上ない戦果と言える。当初は、東京への侵入すら夢物語だったのだから。
と、僅かながらに楽観した直後のことだった。
編隊のすぐ背後で、何かが動いたのが見えた。見間違いではない。空間の一部分が、明らかに歪んでいるのだ。その"歪み"はまるで意思を持っているのように、編隊の後方にピッタリと追従している。
――――あれは、一体何だ?
鞍馬はよく目を凝らす。その時だった。
"歪み"に徐々に色がつき始め、瞬く間に銀色の体を持ったドラゴンが出現したのだ。編隊のすぐ真後ろ、オスプレイの機動性では到底逃げられない位置だ。
『何だ!? どうなってる!!?』
『敵襲! すぐ後方だ!!』
『回避しろ! 早く!』
銀色のドラゴンはその長く鋭い鉤爪で、オスプレイを次々に餌食にしていった。装甲が切り裂かれ、機体が空中で爆散する。搭乗者が外へ投げ出されるのがはっきりと見えた。
――――まさか、擬態能力を持ったドラゴンか!?
今際の際、鞍馬はようやく状況を理解した。
牙の生え揃った巨大な顎が、鞍馬の乗るオスプレイに食らいつく。機体後部は菓子のように噛み砕かれ、残ったコックピットは虚しく東京の街に落下していった。




