第28話 海成梵vs永代雪也
東京の空で、1000体近いドラゴンが死闘を演じている。火炎が空を裂き、火球が流れ弾となって地上へ降り注いだ。互いに強靭な肉体と再生能力を有しているため、戦況は膠着状態だった。
つい2日前にドラゴンとなった人間たちは、確かに経験不足だった。にも関わらず、イーラの軍勢と渡り合うことができている。イーラ側のドラゴンたちもまた、同族との戦いなどまるで経験がなかったためだ。
互いの弱点は把握していても、そこを突く術を持たない。戦略など皆無の、本能的な戦いが続いていた。
花火のように舞い散る火炎の嵐を、梵はマンションの屋上からじっと眺めていた。数日前まで、美咲と共に暮らしていたマンションだ。
梵は、イーラたちの戦いに参加する気は毛頭なかった。一応イーラの側についたとはいえ、地球の支配などに興味はない。あるのは、もっと個人的な問題だ。
この場で会う約束をしていた、かつての友人……。彼と決着をつけることが、今の梵にとって最も重要だった。そして、その時は間もなく訪れた。
ビルの合間から、1体のドラゴンが迫ってくる。その個体は上空で繰り広げられる争いになど興味を示さず、真っ直ぐに梵のいるマンションを目指していた。
「来たか……」
ドラゴンは純白の翼を折り畳んで屋上へと降り、同時に人間の姿となる。梵が最も見慣れた姿だ。
「待ってたぞ、雪也」
梵もドラゴンには変身せず、ヒトの状態のまま対峙する。
「ソヨ……もうやめよう。こんなの間違ってる」
「そうかな? むしろ今までが間違ってたのかも」
「友達になって、一緒に戦ったことがか? どうしてそう言える?」
「絶対に相容れない人間はいる。境遇や価値観があまりに違えば、最後に生まれるのは憎悪だ。形の違う歯車を無理やり噛み合わせたら、いつかは両方が弾け飛ぶ」
「俺たちは歯車じゃない。人は変われるはずだ!」
「お前のどこまでも前向きだよな……育った環境が良かったからだ」
梵は自らの姿をドラゴンに変える。雪也もそれに呼応して、白いドラゴンへと変化した。
「覚えてるか雪也? 俺とお前、そして美咲で、ここから夕陽を眺めた時のことを。あの頃は希望に満ちてた。全ての悪夢は終わった、俺はもう独りじゃないって思ってた。……とんだ勘違いだったよ」
雪也は戦いに備えて身構える。
刹那、梵が白いドラゴンに向け飛びかかった。2体はもつれ合いながら、地上へと真っ逆さまに落ちていく。
「どうしてだソヨ!? 俺はお前を、本気で友達だと思ってたんだぞ!!?」
「どうせ最後には用済みになるんだ。悪いが俺はもう……孤独には戻らない!」
ドラゴンたちの身体が、アスファルトに叩きつけられる。巨体が道路を転がり、街灯が次々になぎ倒された。
「ずっとお前に憧れてたよ……初めて会った時からな。強大な悪にも臆さず、信頼できる仲間を持ち、常に誰かの希望になる……お前は本物のヒーローだった。俺が決して追いつけない存在だった! だからこそ……お前が憎くなった」
互いに鉤爪を振り下ろし、喉笛に噛みつこうとしながら、巨体を絡み合わせる。その際に放たれた火炎のせいで、周囲の建物から次々に火の手が上がった。
「お前だって……俺と一緒に戦っただろ! 一緒に大勢の人を救った!!」
「違う……運命は、俺がヒーローになることを許さなかった」
雪也には愛してくれる祖父母がいた。友人がいた。何故自分にはいなかった? ただ運が悪かっただけか? 実の父までもが自分を裏切ったのは、ただの不運なのか?
――――そんな言葉で……片付けられるか!!!
これまでずっと、恐怖と絶望しか知らなかった。夢も、優しさも、愛も……何も知らずに生きてきた。
多くの人間が、大切な誰かを持っているのは解っている。だが結局は、自分の主観が全てなのだ。自分が幸せかどうかが全てだ。
自分がどれだけ傷つこうとも、見ず知らずの他者が幸福ならそれでいい……そんな風に思える人間が、この世にどれだけいる? 少なくとも、自分には到底無理だ。
薄幸な生涯を送る人間は、世界にはいくらでもいるだろう。だが世界を滅ぼす力を持っているのは……
――――この俺だけだ!!
梵の左目が、血のような赤に染まる。大きく裂けた口からは、青白い輝きが漏れ始めた。
「やばい!」
雪也は危険を察知し、瞬時に上空へと飛び立つ。梵からレーザーが放たれたのは、その直後だった。
鉄を溶かすほどの高熱が、斬撃として周囲に振り乱される。近くの建物は切り裂かれ、木々は一瞬にして煤塵へと変わった。
雪也を追って、梵も空中へと舞い上がる。摩天楼を舞台に、2体のドラゴンによる熾烈な戦いが繰り広げられた。
――――お前の手の内なら知ってる。これまで通りにはいかないぞ。
梵から放たれたレーザーが、手当たり次第にビルを焼き切っていく。雪也は木の葉のような動きでそれを躱し、隙を見て火球を放った。
梵はさらにレーザーを撃ち、火球を消滅させる。2体はそのまま、真正面からぶつかり合っていった。
地下鉄赤羽橋駅
地上への出口から、美咲と少年たちは四角く切り取られた空を眺めていた。彼らの親友は今、雲の中で壮絶な死闘を演じている。
「やっぱり、ここで見てるだけなんてできない……」
拓巳が、何かを決心したように呟いた。
「おい待て拓巳! 俺たちの力じゃ、どうしようも……」
「どうしようもない……だからここで、指を咥えて見てるのか?」
反論しようとした亘を睨みながら、拓巳は威圧的に聞く。
「あの青いドラゴンは、雪也より強い。このままじゃあいつは殺される。俺たちは絶対に、誰か1人に命を賭けさせたりはしない!」
拓巳は、絆の象徴であるキーホルダーを握りながら叫ぶ。他の少年たちも自身のキーホルダーを取り出し、しばしそれを見つめた。
「……俺は行くぜ拓巳。雪也には、俺たちが必要だからな」
「俺もだ!」
少年たちは勇ましく声を上げる。それを目の当たりにした拓巳は、思わず口元を緩ませた。
「じゃ、決まりだな」
そんな彼らの会話も、美咲の耳には殆ど入っていなかった。彼女の意識にあったのは、なおも殺し合う2体のドラゴンのことだ。
――――ソヨ、やめて……!
美咲は青いドラゴンに、悲痛な想いを向ける。
――――あなたはこんなことをする人じゃない。お願い、戻ってきて……!!
どれだけ涙を流しても、その想いが届くことはない。梵は雪也の首元に噛みつき、ゼロ距離でレーザーを放とうとする。発射されるギリギリで、雪也は青竜の顎を振り払った。
狙いを外れたレーザーが、近くのビルに直撃する。瓦礫が公道に降り注ぎ、乗り捨てられた車がペシャンコに潰された。
もう、これ以上見てはいられなかった。早くどうにかしなければ……。梵を止めなければ。
「拓巳……」
美咲は弱々しい声で、近くの少年の名を呼ぶ。
「どうした、美咲?」
「私も、一緒に連れていって」
突然の申し出に、拓巳は面食らった顔をする。
「ば、馬鹿言え! 死ぬかもしれないんだぞ」
そう忠告を受けても、美咲は一歩も退かない。
「1人に命を賭けさせたくないのは、私も同じよ」
迷いのない瞳で、美咲は宣言する。その堅い決意は、少年たちにもすぐに伝わった。拓巳は躊躇いながらも、渋々首を縦に振る。
「……よし、絶対俺から離れるなよ」
少年たちと1人の少女は、一斉に地上への階段を駆け上がった。
梵は白竜に対し、至近距離からレーザーを穿つ。今度は闇雲にではなく、正確に狙いを定めてだ。
「うわっ!」
白竜はギリギリで攻撃をかわす。どうにか直撃だけは避けたものの、完全に避け切ることは出来ず、その右翼は真っ二つに切り裂かれた。
「ぐわぁっ!!?」
雪也は声を上げながら、きりもみ状態で落下していく。ビルの側面にぶつかり、巨体がピンボールの如く弾き飛ばされる。どうにか羽ばたこうとしても、切断された翼は虚しく風を切るだけだ。
やがてドラゴンは、どこかの建物の屋上に叩きつけられた。
――――雪也……お前の凄さは俺が一番よく解ってる。俺に飛び方を教えたのはお前だ。だが青は藍より出でて藍より青し……いつまでも昔のままじゃないんだ。
両翼を畳みながら、梵もまた屋上へと着地する。雪也は人間の姿で倒れ込んでいた。一旦変身を解除して、飛行能力を取り戻そうとしているのだ。
勿論、梵はそれを許さない。太く鋭い鉤爪が、雪也の腹に突き立てられた。
「ぎゃああああああああ!!!? ぐっ、あぁあ……」
断末魔のような叫びが、寒々しい夜更けの曇天に響き渡る。鮮血が噴水のように溢れ出し、少年を中心とした血の池が形成された。
「雪也……まだ生きてるな? 痛いだろう? 死にたいほどに痛いはずだ」
雪也はどうにか首を起こし、自身に突き刺さった鉤爪に目を向けている。血反吐を吐き、歯を食いしばり、呼吸すらも辛そうな様子だった。
「俺もお前を殺したくなんかないんだ。だから、一つだけ頼みを聞いてくれ……。俺と一緒に、新しい世界で暮らしてほしい。人類が滅び、ドラゴンが支配する新たな地球で」
梵は懇願するように言う。だが雪也は、小さく首を横に振った。
「前にも……言ったろ……? 俺も……それから美咲も……そんなとこで……生きる気はない……。お前には……悪いけどな……」
途切れ途切れの言葉が、ガラス片のように心に突き刺さる。無数の牙で歯軋りをしながら、梵は息を荒くした。
「じゃあ、ここで死んでもいいってのか!?」
「やれよ……お前がそれで……満足するなら……」
そう言って、雪也は静かに目を閉じる。トドメを刺さずとも、数分とせずに命が尽きるだろう。
梵は覚悟を決める。せめて、苦しまないように死なせてやろう……そう思って、口内を青く輝かせた。
ふと雪也の身体の横で、キラリと何かが反射した。血溜まりの中に、何か小さな金属が浮かんでいる。梵はよく目を凝らす。
それはキーホルダーだった。バスケットボールを模した飾りの付いた、安価そうなキーホルダー。それが何を意味する物なのか、梵は知っていた。
"これが仲間の証だ! 絆の象徴だ!"
昨日、雪也の友人が放った言葉が思い出される。思い返すだけでも、怒りで体が打ち震えた。
――――なんだって雪也は、あんな奴らを"一番大切な親友"だなんて……。
あいつらさえいなければ、雪也は首を縦に振ったかもしれないのに。あいつらさえ……。
そんな言葉が、頭の中でリフレインし続ける。心に溜まる毒素が飽和した時、一つの考えが浮かんだ。
――――そうだ。俺は神に等しい力を持っているんだ。邪魔者は……全て消してしまえばいいじゃないか。
太い鉤爪が、唐突に雪也の腹から引き抜かれる。そして梵は、感情を忘れたような冷徹な声で呟いた。
「あいつら全員を……消せばいいのか」




