第26話 出撃
太平洋上 日本列島より300km地点-2030年12月10日
式条は空母の船首から、水平線の向こうを眺めていた。この海の果てに、帰るべき故郷があるのだ。数日前、無念の内に放棄した祖国が。
イーラ殲滅作戦が承認され、グアムから大艦隊が出航したのは、つい2日前のことだ。日本側は空母が5隻、随伴艦を含めれば、その数は20隻以上に上っていた。米海軍からは、空母ロナルド・レーガンを含む第7艦隊の空母打撃群が参加している。
式条は背後を振り返る。甲板には、戦闘機やヘリは殆ど無かった。代わりにあったのは、数十体ものドラゴンの大群だ。
改良型D.G.ウィルスにより生み出された、最強の軍隊。生きた大量破壊兵器と言ってもいいだろう。倫理的な観点から見れば、決して許されない愚行だ。
だが絶滅の危機を前にして、人は一線を踏み越えてしまった。その決断を下したのは何を隠そう、式条自身である。
志願制とはいえ、多くの部下を異形へと変えてしまった現実に、自責の念が募る。そして何より、自分はまだ人間のままであるという事実に。
最初は、式条自身もウィルスを打つつもりだった。それが指揮官としての、最低限の責任だと考えていた。しかし、それは部下たちに制止されてしまった。
"あなたまでドラゴンになったら、誰が指揮を執るんですか"
"ドラゴンであろうとなかろうと、決死の任務には変わりありませんよ"
結局、D.G.ウィルスの注射器は胸ポケットにしまっておき、いざという時の最終手段とすることにした。使うのは瀕死の重傷を負った時か、もしくは人類の敗北が決定的となった時だ。
「大佐、まもなく二三三○時、作戦開始時刻です」
隣に立つ鞍馬が普段通りの、落ち着いた口調で報告する。
「ああ。お前もそろそろ支度しておけ。忘れ物の無いようにな」
「了解です」
鞍馬は、後発部隊の指揮官だった。
軍の作戦はこうだ。まず、式条の率いる先発部隊が、東京の制空権を確保する。その後鞍馬の率いるオスプレイ部隊が、可能な限り民間人を避難させる。上手くいけば、民間人の犠牲を最小限に抑えられるだろう。
鞍馬と入れ替わるようにして、今度は緑色のドラゴン……寺島が耳打ちした。
「式条大佐、皆が貴方の言葉を待ってます」
式条は改めて、甲板のドラゴンたちを見渡す。
D.G.ウィルスは、朝霧の言った通りの効果を発揮した。全員が理性の残った状態であり、尚且つ体色は緑で統一されていた。混戦状態にあっても、敵味方の識別を容易にするための配慮だろう。
式条は大きく息を吸い、よく通る声で話始める。
「まず、命を顧みずこの作戦に参加してくれた諸君らに、心からの敬意と感謝を表する。今日この時点で、君らが歴史上最も偉大な兵士であることに、疑いの余地はない」
ドラゴンたちの視線は、式条への集中していた。全員が息遣いすらも抑え、式条の演説に耳を傾けている。
「数日前、敵は世界中の都市を破壊し、人類の尊厳を踏みにじった。我々は反撃すら叶わず、国を捨てて逃げ去るしかなかった。敵はこう思っているだろう……人間は弱く、そして臆病だと。
そうだ。敵は油断している。人類が反攻に転じるなど、有り得ないとタカを括っている。我々の存在など知る由もないからな。
我々がドラゴンの力を操れるなど、奴らは夢にも思わないだろう。我々は敵の不意をつく。ドラゴン同士の戦争になるとは、奴らといえど想定していまい。それが敵にとっての命取りであり、我らにとっての勝機となるのだ。
このまま何もせず、座して世界の終わりを待つこともできた。しかし、諸君らはそうはしなかった。神に戦いを挑むことを選んだ。それにより、人類存続への希望が生まれたのだ。
敗北すれば、それで終わりだ。今日が人類最後の日となる。だが勝利したならば……この日は人類史において、最も偉大な日として記憶されるだろう。世界が生きながらえた日として、人々は後世に語り継ぐだろう!
この戦争で死した者たちのために……奇跡を信じ、祈る者たちのために……そして、まだ見ぬ次の世代のために……我々は最後の戦いに挑む! 儚き命を炎に変える!
必ず勝とう。勝って、愛する者に"もう大丈夫だ、世界は救われた"と伝えよう!!
やがて夜明けが訪れ、生きて太陽を拝むことが出来たら、その時は……その時は涙を流しながら、共に勝利を称え合おう……!!」
式条は拳に力を込める。そして、魂の限りの声で叫んだ。
「さぁ、全てを奪い返しに行くぞ!!!!」
「「「グォォォォォォォォォ!!!」」」
ドラゴンたちから猛々しい咆哮が上がる。
それは、人類の生きる意志そのものだった。世界を蹂躙された怒りそのものだった。数多の咆哮はまるで火柱のように、天高く燃え上がっていく。
「大佐、僕の背中へどうぞ」
そう言って、寺島は身を屈める。式条はドラゴンの首に跨った。
――――首を洗って待ってろ、イーラ。かつてこの世界を統べたとしても、貴様はもはや王などではない。貴様の罪を、俺が贖わせてやる。
式条はライフルを右手に持ち、高くそれを掲げる。
「全軍、出撃!!!!」
号令と共に、ドラゴンの兵たちが一斉に飛び立つ。他の空母からも次々に飛翔し、曇天の空はあっという間にドラゴンの大群に覆い尽くされた。
遅れて、人間の兵たちも続々と出撃し始める。空母からは艦載機が発艦し、随伴艦からは複数のヘリが飛び立った。
見る見るうちに、上空で大編隊が形成される。目指す場所は東京、狙うは……イーラの討伐だ。
東京都 港区地下街
「木原中将……たった今、あなたに宛てた電文が」
唐突に部下に報告されて、木原はその場に立ち上がった。
「私に電文だと?」
思わず、同じ言葉を聞き返してしまう。それだけ信じられないことだった。こんな終末の瀬戸際に電文だと? それも自分宛に?
「どんな内容だ?」
「それが……とりとめのない文でして」
「いいから読んでみろ」
部下の兵士は命じられるまま、タブレット端末に目を落とす。
「読みます。"木原さん、いい酒を調達しておいてください。"……何かの暗号でしょうか」
それを聞き終わった途端、木原はニヤリと笑った。
「式条か……!!」
別れ際、式条と交わした会話を思い出す。「平和になったら、また酒を飲もう」という約束を。
「すぐに全員を集め、装備を整えさせろ。民間人にも移動の準備を促せ」
「え……」
前触れもなく生き生きとし始めた木原に、兵士は露骨に困惑する。
「式条は何か行動を起こす気のようだ。こちらも出遅れるわけにはいかん。急げ!」
「は、はい!」
兵士は無線で指示を出しながら、どこかへと走り出す。
木原は今後について、諸々思慮を巡らせ始めた。式条が戻ってきたということは、何らかの勝算があるのだろうか? 焦燥に駆られて無謀な賭けに出てしまった……ということは無いはずだ。それにしても、この数日で一体何を掴んだのか……。
「式条大佐はそれ程までに信頼にあたる人物なのか? 木原くん」
不意に、1人のくたびれた男性が木原に尋ねた。
男性は薄汚れた青い防災服を着用している。その背中には、「内閣総理大臣」の文字が書かれていた。
昨日、木原が地下街を巡回していた時、偶然にも重松首相の姿を発見したのだ。驚愕して事情を聞いたところ、返ってきたのは「国家が滅びるなら、自分も運命を共にする」という答えだった。
「ええ、重松総理。私も最初は、あいつに兵士など務まるはずがないと思っていました。なにせ、馬鹿げた無茶ばかりの男でしたからね」
木原は懐かしさに顔を綻ばせて語る。
「でも、君の予想は裏切られた」
「その通りです。ハハ……。あれは確か、式条が将校にすらなっていなかった頃でした。ある日、式条が指揮する部隊と他2つの部隊で、ペイント弾を用いた模擬戦を行いました。結果、2つの部隊は全滅。戻ってきた式条の服には、ペイント弾の跡は一切ありませんでした。あいつだけでなく、他の隊員も全員無事だったのです」
「ほぅ……」
重松の感嘆の声に、木原は誇らしげに微笑んだ。
「あいつが模擬戦で負けたのは見たことがありません。あいつの戦術は常に、相手の数歩先を行っていました」
「では彼の戦術は、イーラの目をも欺けると思うか?」
そう鋭く質問されると、木原は言葉をつまらせた。顎に手を当て、深く息を吐く。
「それは……もう間もなく判るでしょう」