第22話 ドラゴンを滅ぼす武器
グアム島北部に位置するアンダーセン空軍基地。そこには、多くの戦闘機や爆撃機が無傷のまま駐機されていた。
本来は東アジア防衛の要所であったが、ドラゴンのあまりに迅速な攻撃のために、出撃すら叶わぬまま現在に至ったのだ。
閑散とした滑走路へ小型ジェットが1機、轟音と共に着陸していく。機体カラーは黒であり、民間機とも軍用機ともつかぬ異様な雰囲気だ。その尾翼には、人間の目を模した奇妙なエンブレムがこれ見よがしに掲げられていた。
多くの空母や随伴艦が停泊する広大な入り江。式条は独り軍港に立ち、大自然によって築かれた要塞を眺めていた。海鳥の声は聞こえない。ただ、さざ波の音だけが空虚に響いている。
――――仮にハワイへ逃れたところで、一体何になる?
式条はそんな疑問を抱いていた。
幸運に幸運が重なり、ハワイがドラゴンに発見されなかったとしよう。だが、その後は? 本土からの支援も何もない中、島の人間たちはどうやって生きていく? 数少ない資源を巡って殺し合いが始まるだけだ。
全ては気休めにしかならない。根源を断たなければ。ドラゴンを……イーラを倒さなければ。
「式条大佐」
女性にしては低めの声が、式条の意識を引く。聞き慣れた声だった。
「イーラに勝つ手段でも思い立ったか? 鞍馬?」
式条は冗談交じりに、部下である鞍馬少佐に尋ねる。
「まぁ、あるわけないが……」
うわ言のように呟き、式条は再び入り江に視線を向けた。
鞍馬が何をしにここへ来たのかは分からない。きっと、単なる気晴らしだろう。
「それがあるとしたら?」
それは、鞍馬とは別の女性の声だった。式条は驚いて、声のした方を振り返る。
「あ、あなたは……」
鞍馬の横に立つ、白衣を着込んだ女性。端正な顔立ちに、少しばかり乱れた黒髪。如何にも生真面目といった風貌だ。
式条の記憶の中にも、その女性はいた。
「朝霧博士……」
「お久しぶりです。式条大佐」
朝霧葉月……かつて富士田承之介の助手を務めていた、サーガ機関の職員。式条が彼女と話すのは、インフェルノドラゴンの事件以来だった。
「こんなところで会うとは……最近は驚かされてばかりだ」
意外な対面に、式条はたどたどしく愛想笑いをする。
「私はあなたに用があって来たのです、大佐。アメリカ本土からここまで」
「……どういう意味です?」
朝霧の目的が、式条にはまるで見当もつかなかった。
「俺に用?」
「はい。あなたに是非とも渡したい物が」
「物……ですか」
「ドラゴンを滅ぼせる武器です」
朝霧は至って真剣な顔で、そう言ってのける。
式条にはとても信じられなかった。これはロールプレイングゲームではないのだ。そんな都合良く、魔法の剣など出てくるものか。
「それは素晴らしいですね。それはどこに? エベレストの頂上に刺さっているとか?」
皮肉交じりに聞く式条に、朝霧は淡々と答えた。
「私の手の中です」
式条は言われるままに視線を移す。彼女の手には確かに、アルミ製の大きなケースが握られていた。手首と取っ手を手錠で繋いでいることから、余程重要な物だと察せる。
朝霧は一旦ケースを置くと、指紋認証やコード入力といった作業を始めた。さながらセキュリティシステムのフルコースであり、ケースが開放されたのは1分以上が経った後だった。
「これをご覧ください。ただし、絶対に触れないように」
朝霧に促され、式条と鞍馬は恐る恐るケースの中身を覗く。まさか核ミサイルの発射ボタンかと、式条は考えていた。
しかし、実際にあったのは20個ほどの小さなアンプルだった。式条はウィルス兵器の類を連想し、即座に身を固める。
「これは……一体?」
「D.G.ウィルスです」
「…………!!?」
式条は驚かされた猫のように後ずさりをした。
D.G.ウィルス……その威力を直接目にしたわけではない。だが報告書を読んで、どれほど危険な物質かは熟知していた。数ヶ月前のバイオテロで、多くの人間をドラゴンに変異させた悪魔の兵器だ。
「あんたは……正気ですか!!?」
思わず声を荒げる。
そんな恐怖の殺戮兵器を"ドラゴンを滅ぼす武器"などと、正常な思考とは思えなかった。
「これが何かご存知でしょう!?」
「勿論です」
「メサイアが使用した兵器ですよ!? あの、テロリストの集団が!」
「正確にはメサイアではなく、海成天人です。彼とメサイアは……」
「どっちだって構わない! テロリストの作ったウィルス兵器だ!!」
式条は精一杯の睨みを効かせる。しかし、朝霧は全く怯まなかった。
「テロリストが銃を使ったからと言って、あなたは銃を手放しますか? 誰がどう使うか、これが全てのはずです」
反論しようとした式条を遮り、彼女は続ける。
「私たちはこの数ヶ月間、D.G.ウィルスの研究に全霊を注いできました。来たるべきドラゴンとの戦争のために。空気感染を防ぎ、感染者が変異後も自我を保てるよう改良する……容易ではありませんでした。しかしサーガ機関は、その全てを実現させました。人類を存続させるという、私たちの使命……その結晶が、この『Ⅱ型D.G.ウィルス』なのです……!」
それまでとは打って変わり、朝霧の言葉の端々には激情が込められていた。まるで、「これが自分の生きた証だ」とでも言わんばかりだ。あまりの迫力に、式条は気圧されてしまう。
「倫理に反することは分かっています。しかし人類の未来のためならば……私は喜んで外道に堕ちましょう」
D.G.ウィルスを武器とする……つまりはこういうことだろう。
兵士たちにウィルスを投与し、ドラゴンに変異させた上で、イーラの軍勢と戦う。確かに生存率は飛躍的に上がるし、あわよくば勝機も見えてくるだろう。しかし、重大な問題もある。
「感染者を人間に戻す手段は無いんでしょう?」
その質問に、朝霧は伏し目がちに頷いた。
「ありません。ですが人間のまま戦っても、兵士たちは無意味に散ることになります。それは大佐もよく理解しているはず」
朝霧は自身の手首から手錠を外し、それを式条の手首に嵌めた。D.G.ウィルスのケースは今、式条の手に握られている。
「これは、あなたに託します」
そう言って、朝霧は手錠の鍵を渡す。
「どうして俺に……?」
「あなたが正しい人間だからです」
彼女の目には、一点の曇りもなかった。
「あなたには富士田博士のような破滅願望も、海成天人のような狂気もない。使用しないと決まれば、アンプルは火に焼べてください。しかし、もし部下の皆さんを生かしたいなら……世界を救い、ご家族を救いたいなら……是非ともご一考願います」
そう言い残し、朝霧は踵を返す。
式条はしばし、手に持ったケースを見下ろしていた。これは間違いなく悪魔の兵器だ。これを使用するということは、悪魔に魂を売ることに等しい。
だが、それがドラゴンに勝つ唯一の道ならば。
悪魔を殺すためには……悪魔の力が必要なのかもしれない。
米海軍基地 作戦司令室
「D.G.ウィルスだと?」
「これがあれば、我々がドラゴンの軍勢を築くことができます」
式条の説明にも、日米の高官は苦々しい顔をするばかりだった。
「……その改良型D.G.ウィルスに、お前の言うような効能があったとしよう。それで、部下たちは納得すると思うか? 人間であることを簡単に捨てられると?」
吉村陸幕長が鋭く問い詰める。
「勿論、これは志願制とします。ウィルスはせいぜい500人分しかないですし、生存者の救助には人間の兵士が不可欠でしょう」
「馬鹿を抜かせ。誰が好き好んで怪物になることを望むというのだ!」
「必要とあらばこの俺が」
「…………!!」
式条と吉村は互いに睨み合う。その気迫に、周囲の軍人たちは誰も口を挟めない。
「お言葉ですが陸幕長、もう人間の尊厳が云々と言っている場合ではない。覚悟を示すならば、今がその時なのです」
式条はウィルスの入ったケースを掲げる。これこそが人類最後の希望なのだと、円卓を囲む全員に向けて示した。
しかし、意見を述べる者はいなかった。誰もが押し黙り、周囲の出方を伺っている。非人道的とも言える決断を下し、人類史に汚名を刻む覚悟を持つ者は、1人としていなかったのだ。
式条は諦めかけ、力なくケースを下ろす。
「……私はカンザスの生まれでな、幼い頃に父を亡くしてからは、母と共に暮らしてきた」
唐突に身の上話を始めたのは、リースマン中将だった。
「母はカンザスの地を愛していた。私が海軍兵学校に入った後も、そこに住み続けている。もちろん今もな。もうだいぶ老いているし、避難などしていないだろう」
リースマンが何を言いたいのか、式条には分かった気がした。カンザス州といえば、アメリカの中部に位置する州だ。つまり米軍の最終防衛線が突破されれば、真っ先にドラゴンの襲撃を受けることになる。そして当然、核ミサイルが頭上で炸裂する可能性もあるのだ。
「政府の核攻撃計画については知らんが、ドラゴンに焼かれるか、核に焼かれるかの違いでしかないだろう。私には妻も子もいない。だから、家族は母だけだ」
リースマンは真っ直ぐに式条を見た。その表情はさっきまでの威厳ある顔つきではなく、悲愴を纏った縋るようなものに変わっている。
「教えてくれ。イーラを倒せば、本当にドラゴンを止められるのか!? 本当に私の故郷を……母を救えるのか!?」
リースマンの声が震える。
「確証はありません。ですが、現状最も可能性の高い手段でしょう。と言っても、0%が1%に変わる程度のものですが」
決して誇張はしなかった。イーラを殺してもドラゴンは止まらないかもしれないし、そもそもイーラを倒せなければ作戦はお釈迦だ。依然として、成功の確率は低いと言える。
しかし、リースマンには僅かな可能性に賭ける覚悟があるようだった。
「D.G.ウィルスでドラゴンの大部隊を築き、東京を奇襲してイーラの首を斬る。ということでいいんだな?」
「その通りです」
「極めて無謀な作戦だな……賛同する馬鹿はどれだけいる?」
リースマンはその質問に、自分自身で挙手をした。
それに追従するように、将校たちが次々に手を挙げ始める。さらに日本側からも、賛成の声が続々と上がった。
だが、最後まで険しい顔をする者もいた。吉村陸幕長だ。
「……これで我々は地獄行きだな」
吉村は低く呟く。
「地獄なら、もう慣れたでしょう?」
式条はそう返して、寂しげな作り笑いを浮かべた。




