第20話 東京潜入
東京。世界最大級の人口密集地。夜が更けてもネオンが輝き、人の往来が決して途絶えない……そんな都市だった。数日前までは。
だが今や、眠らない街の姿は見る影もない。ビルからは明かりが消え、通りからは人の姿が消えていた。まさにゴーストタウンだ。
最初の攻撃から24時間のうちに、日本のほぼ全土がドラゴンに占領された。国防軍が最後の砦と定めた三沢基地は呆気なく陥落し、国内の抵抗勢力は一掃されたに等しかった。
離島は辛うじて無事であったが、惨禍に見舞われるのも時間の問題だ。
東京タワーの周りを、数体のドラゴンがグルグルと飛び回っている。付近にある芝公園で羽を休めていた梵は、その様子を無心で眺めていた。
ドラゴン達は、積極的に街を破壊するようなことはしなかった。目的はあくまで人類の殲滅であり、残された文明の方はどうでもいいのだろう。その証拠に、東京のビル群は大半が無傷だ。
公園内は、多くのドラゴンで溢れていた。他の個体と戯れている者、人工物に興味を示す者、だらしなく寝そべっている者……彼らは個性豊かだった。超自然の力を持っていても、内面は普通の生物と大差ないのだろう。
そして彼らを統べる黒竜はというと、どこか虚ろな目でずっと雲を見つめていた。
「そうだ、イーラ」
驚かさないよう、梵は控えめな声で名を呼ぶ。
「どうした?」
「ちょっと相談があるんだけど」
「悩みが尽きないな、お前は」
イーラは軽く笑う。今のはからかわれたのだろうか?
「俺にとっては重要なんだよ」
「解っている。いいから話してみろ」
「実はさ……」
それは美咲に関する相談だった。彼女をこちら側へ誘うにしても、人間である以上ドラゴン達の反感を買う恐れがある。最悪の場合、処刑されてしまうことすらあり得るのだ。それを防ぐためにも、王であるイーラの口から、はっきりと許可を得る必要があった。
梵はこれまでの経緯を事細かに説明する。美咲がどのような人間で、自分にとってどれだけの存在か。たとえNOと言われても、一歩も引かない構えだった。だが、意外にもイーラの理解は早かった。
「我は一向に構わん。しかしだな……」
そう言ったイーラは、奥歯に物が挟まったような顔をした。
「しかし、何なんだ?」
一応の許可は下りたようだが、言葉を濁されては困る。
「やっぱり、他のドラゴンが納得しないってことか!?」
梵はさらに食い下がった。それに対しイーラは極めて落ち着いた雰囲気で、首を横に振る。
「いいや。人間の1匹や2匹、他の者が気にかけるとも思えない。そこは問題無いだろう」
「じゃあ何が問題なんだ!?」
「その人間自身だ、若者よ。そのミサキとやらは、異種族の世界の中で生きることを望んだのか?」
「……!!」
その言葉に、胸を強く殴られたような衝撃を受けた。美咲は、新たな世界で生きることを望んでいない……?
「いいや……そんなはずは……」
「お前はその者に、直接尋ねたのか? その者は頷いたのか?」
「それは、まだだけど……」
鋭い指摘に、チグハグな回答をすることしかできない。そんな梵に、イーラは淡々と続ける。
「人間は本質的に群れで行動する生き物だ。同族のいない世界で、生涯を終えられるほどの強さがあるとは思えん」
「……」
「それに、人間は自らの血縁者を重視する傾向がある。お前の父のような例外を除くが。もしその人間に家族がいるのなら、共に葬ってやるのも情けというものではないか?」
反論が見当たらず、梵は無言で俯く。
言われてみればそうだ。どれだけすれ違っても、父親は父親。大切な人間に決まっている。簡単に捨てられるはずがない。捨てられるとすれば、むしろ自分の方では……。
……いやいや、ネガティブに考えすぎだ。美咲も、それに雪也だって、最後には理解してくれるさ。共に命を賭けて戦った仲間なのだから。
「ムニャ……うるしゃい……もうちょっと寝かせろぉ……」
夢の中に片足を突っ込んだような声が、梵の意識を引き戻した。
声の主はブリードだった。どこから持ってきたのだろう、大きめの漁船を抱き枕代わりにして、大きないびきを立てている。どうやらただの寝言だったようだ。
イーラもブリードを見下ろして、呆れたように目を細める。話の腰を折られたことに、いささか不満げだ。
「……とにかく、我がどうこう言うことではない。お前の判断で決めろ」
梵は何かから逃避するように、曇天の空へと飛び立つ。
だが上空で気流に当たっても、無人の大都市を眺めても、心が晴れることはなかった。むしろ光が失われた景色のせいで、不安の芽がさらに育っていく。
美咲がもし誘いを断れば、彼女は他の人間と共に死ぬことになる。かといって無理やりに連れ出しても、イーラの言った通りになるだけだ。
――――あの時、美咲を助けていなければ……美咲は見知らぬ少女のままで、長野の白いドラゴンについても知ることはなかった。そうなっていれば、こんなに悩むことも無かったのだろうか。
梵は大きく息を吐き、東京湾の向こうを見渡す。
その時だった。
海面すれすれを、猛スピードで飛び抜けていく"何か"が見えた。"それ"はまるで疾風のように、一直線に東京へと侵入していく。
「は……?」
思わず声が漏れた。その飛行物体に、見覚えがある気がしたからだ。
周囲のドラゴンが興味を示さないことから、物体もまたドラゴンであると推測できる。体色は、よく目立つ純白だった。
――――まさか、ここへ来たのか……?
梵は半信半疑のまま、白いドラゴンの追跡を始めた。
白竜の背に乗る美咲は、体を丸めて少しでも目立たぬようにしていた。今でこそ怪しまれていないが、もし美咲の姿が敵に見られれば、たちまち正体が露見してしまうからだ。
「で、友達と泊まってた場所は何区にあるの!?」
美咲は風の音に負けないよう、大声で質問する。
空母を発ってからどれだけの時間が経過しただろうか。美咲と雪也は、ようやく東京への帰還を果たしたところだった。
まずはじめにすることは、雪也の友人の安否確認だ。
「確か……文京区だったと思う」
「ちょっと、本当に大丈夫なの!? もし間違ってたら、見当違いの場所を探す羽目になるんだからね!」
「分かってるよそんなこと! 東京ドームが近くに見えたから多分大丈夫だって!」
非常時の軍の基本計画に基づけば、逃げ遅れた都民は地下に避難させているはずだ。東京脱出の時間がほぼ無かったのは明らかだ。よって2人は、地下鉄に多くの都民がいるのでは、と考えていた。
「それで美咲、あいつらがいそうな地下鉄の駅は!?」
「後楽園駅の辺りだと思う!」
「よっしゃ! で、どこにあるんだ?」
後楽園駅は、それからすぐに見つかった。大きな駅ビルに、分かりやすく看板が掲げられていたためだ。
敵の目に注意しつつ、雪也は人間の姿に戻る。ドラゴン達は完全に油断しているようで、侵入者に気付く個体は全くいなかった。
2人は姿勢を低くして、ビルの内部に入っていく。
「……あれ?」
しかし、そこはもぬけの殻だった。ショップなどが立ち並んでいるが、人の気配は一切なく、話し声も聞こえない。そのせいで、2人の足音はホール内によく反響していた。
「本当に……ここで合ってるのか?」
「うん、大丈夫だと思う」
「は? なんで分かるんだよ」
美咲は黙って、近くの売店を指差す。
「あれが……何なんだ?」
「ほら、よく見て」
「んん??」
一見何の変哲もない売店だったが、雪也は小さな違和感を覚えていた。どこか、普通の店と違っているような……。
「あっ!」
雪也はようやく違和感の正体に気付いた。売店には、商品が1つも無かったのだ。
「よっぽど人気の売店だったんだな」
「馬鹿ね。誰かが全部持ち出したのよ」
「分かってるっての! 冗談だ冗談!」
金品目的の略奪犯が、わざわざ売店の軽食を盗むはずがない。地下に避難している人々が、食料確保のために可能な限り運んだのだろう。
美咲と雪也は、地下街へと続くエスカレーターを降りていく。当然電力が通っているはずもなく、照明もないため足元もよく見えない。2人はスマホのライトを照らしつつ、1段1段を慎重に下った。
「ん?」
その時、ライトに数人の人影が浮かんだ。
「そこで止まれ!」
「うぇ!?」
人影は、銃を持った兵士たちだった。先頭を歩いていた雪也に、全員の銃口が向けられる。フラッシュライト付きのライフルだったため、周囲は一気に明るくなった。
「待て待てそんなもん向けんなって! 俺たち怪しいもんじゃねぇよ。ただの中学生だ」
とっさに美咲を庇いながら、雪也は弁明する。
「確かに……略奪者ではなさそうだな」
隊長の男は、部下たちに銃を下ろすよう合図した。
「すまないな。この状況だ。ならず者が現れぬとも限らんもので。さぁ、こっちへ」
言われるままに、雪也と美咲は迷彩服の男たちについて行く。
「君らは、今までずっと地上にいたのか?」
「ええっと……そうだ。俺たちだけでここまで逃げてきた」
雪也は適当に嘘をついた。本当の事情を話すと、それこそ面倒なことになりかねない。
「フフ……逞しいな。もう心配ないぞ。ここなら安全だ」
軍人たちに案内された先は、広々とした地下通りだった。照明こそ消えているものの、無数のランプや蝋燭のおかげで視界は十分明るい。2人が予想した通り、そこには何百何千という避難民が身を隠していた。




