9.混乱
「.....蓮見さん、実は結構稼いでるんじゃないの? 具体的に言っちゃうなら、高級志向なお料理のフルコースが食べれるくらいの額」
「.....お前の言う高級志向ってのは600エバで食べられる定食も含まれてんだろうがよ、この万年貧乏人。 稼いだ金のほとんどはジャンヌに返してんだよ」
「なら、私にも貢いでよ! 協力者だよ私!! 蓮見さんがアダムに帰るために色々と頑張ってるんだよ、これでも!!」
9月も二週目、蓮見征史と黒森レキはヌンクの街を歩きながら今日食べる昼飯をどうするかで揉めていた。
頑張ってる蓮見にちょっと早いボーナスと蝶々が気を利かしてくれ、新人手当と給料を頂いてしまった。
それが運の悪いことにレキにバレてしまい、しつこくネチネチと言われ続けること、かれこれ今日で三日目である。
【骸】の被害者がヌンクで出て以来、軍警団の方の仕事が忙しくなったジャンヌは家に帰ることが少なくなったのでこうして二人で食事をする機会も必然と多くなっていた。 これ以上ジャンヌに負担はかけられないので蓮見とレキで協力して出費し合おうという話に落ち着いたはずなのだが、何故かほとんど蓮見が支払う羽目となってしまってる。
レキの猛攻に猛抗議し続けた蓮見、互いに退くに退かない一進一退の攻防の結果はヌンクでも安くて美味いが有名である蕎麦屋で落ち着くことになった。 ジャンヌが絶賛していた軍警団の皆さんがよく訪れる一店でもある。
「麺の固さが絶妙で癖になるな、たしかにここは通いたくなる」
「えぇー、私からしたらちょっと硬すぎるよ。 もっと柔らかい方が好みかも」
「.....そういうことは店の外で言いなさい」
店主と客を敵に回して出禁にはなりたくない、レキはともかく蓮見はこれからも通いたいと思ってる。 しかも巻き込まれる形になるのは本当にごめんである。
なるべく音を立てずに麺を啜る蓮見に対して、レキはそんなこと気にしないとばかりにズルズルと音を立てている。
「ほい、追加の麺汁だ」
「あ、どうも」
蓮見は麺だけでなく、麺にかける麺汁も気に入っていた。 店主である筋骨隆々の男性はにこやかな笑みを浮かべ、そそくさとその場を去って行ってしまった、スキップをしながら。
「ほふひへふぁ、ふぁふひひゃふ」
「口の中のものを食べてから喋りなさい」
なんとも落ち着きのないことこの上ない、レキは口元を抑えて口の中のものを一気に胃の中に流し込むようにゴクンと喉を鳴らす。
「.....もっと味わって食えばいいものをよ」
「そういえば蓮見さんさ、これから図書館に行くの?」
「まぁ、そうだなぁ。 今の時間だとあいつに絡まれることもないだろうし」
以前、どうしても歴史書を読んでいて不可解な部分があり苦渋の決断ではあったが、アレイスターに直接会って話を聞いてみることにしたのだが、これが大失敗であった。
「–––もうあいつとは会話したくない」
「うん、予想はしてたけど、物凄い嫌ってるね」
蓮見にとっても、アレイスターが嫌悪する人物となってしまうのは仕方がなかった。 執拗な絡みと耳障りな声が生理的嫌悪を感じさせていた。
一人大声で何かわけのわからないことを言うのは堪えることはできたが、耳元で囁かれた瞬間、堪忍袋の尾が切れた。
蓮見は麺を啜りながら、これまで調べたことを頭の中でまとめる。
この世界の歴史、文化、文明はある程度理解することができた。 大雑把ではあるが、蓮見が本来いるべき世界はこちらではない。
アダムの方に家も知人も残っているのだから、いつかは帰らなければならない。
「ごちそうさま、行くぞ黒森」
「オッケー! 待ってました!」
先に食べ終わってしまっていたので待っていたのが退屈だったのだろう。
ガヤガヤと賑わう店内を歩き、会計を済ませる。
「ごちそうさま、また来る」
「ありがとよ兄ちゃん! 待ってるぜ!」
※
最近イヴの世界では【骸】の他に世間を騒がせているものがある。
いわゆる都市伝説と言われるもので軍警団が鼻で笑うような存在するかもわからない架空に近いものである。
影法師、いわゆるドッペルゲンガーの存在が不特定多数の人物によって目撃されている。
容姿が瓜二つの人間が存在し、お互いに出会うとどちらか一方が消滅、もしくは両方の存在が消滅するといった伝承が残されている。
容姿だけでなく中身も同じ人間なのだ。 同じ人間というものは世界に二人と存在してはならない。 他人、であればそれで済む話だがドッペルゲンガーはそういう風にはならない。
「影法師の話は二十年前にも噂が広がったみたい」
「.....それが何らかのキッカケで掘り返されて、また話題になってるって感じか?」
「多分、でも、私は違うと思う」
レキは人差し指を口元に当てて、言葉を区切る。
そこから目を閉じ、次に開けた時はどこか悲しそうな瞳を浮かべて蓮見の目をじっと見て口を開いた。
「【骸】、皆【骸】のことが怖いから別の噂を流して安心しようとしてるんだよ。 実態のないものはたしかに恐ろしいけど、今は実態のある恐怖がいつ襲ってくるかわからないからね」
「なるほどな」
噂の出処は不明だが、たしかに辺りの会話に耳を傾けてみるとそれらしき話をしてる人達の姿がちらほらと見られる。
一種の現実逃避、それが街という単位で広まっているということはいかに【骸】による恐怖が人々に染み付いているということがよくわかる。
「なぁ黒森、そういう都市伝説って他にもあるのか?」
「色々あるよー、『神出鬼没の白い少年』『写真の中で蠢く人影』『秒針が反時計回りに刻む壊れた時計』『13番目の人攫い』『雲の上の楽園』とか、どれも古いものだけどね。 あ、でも最近のものなら–––」
「長くなりそうだからやめとく」
こちらから聞いておいてなんだが、思った以上に数が多くて驚いた。
蓮見の元居た世界、アダムにおいても都市伝説は数多く存在している。 職場の後輩がよく話していたことを思い出していた。
どこの世界でもこういった話題はつきものなのだな、と蓮見は思う。
世界は違えど人々は生きて暮らしている、その事実に変わりはない。
だからこそ【骸】によって犠牲者が出てる今の現状は胸が痛い。 特に蓮見はその死体を目の前にしてしまった。
蓮見は刑事ドラマやフィクションの世界でしかこういったことは知らないので、専門家である軍警団に任せる他ない。 下手に介入しては現場を混乱させてしまうだけだ。
蓮見征史は主人公ではない、ただのバツイチのおじさんなのだから。
「え、臨時休館?」
「申し訳ありません、館長が体調を崩していらっしゃるので本日は休館にさせてもらってます」
「そもそもあの人働いてないでしょ」
たしかに昼間は寝るだけ寝て、夜になれば職員にセクハラしながら来館者で遊ぶしかしてないアレイスターはお世辞を言うまでもなく働いてるとはとても言えない。
ヌンクの人百人に聞いて百人がそう答える自信すらもある。
申し訳なさそうに水色の髪の美人司書が頭をペコペコと下げる。
「たしかに館長は食うだけ食って寝るだけ寝てセクハラするだけセクハラするばかりでとても働いてるとは言えないのですが、この図書館はいわばアレイスター様の分身のようなものなのです」
曰く、この図書館に蔵書されてる書物の八割がアレイスターの記憶から製本されたもので今もリンクが続いてる状態で最新の情報が更新されれば自動で更新されるような仕組みになっているらしい。
いわば生き字引、だからこそアレイスター自身もこの図書館から出ることができず、彼の心身状態が不安定になってしまうと図書館そのものに影響を及ぼしてしまうらしい。
.....正直に言おう、蓮見は半信半疑でこの話を聞いている。
少しでも信じようと気になったのは、このイヴの世界が蓮見のいたアダムの常識と大きく異なっているためである。 もし、このイヴの世界がこんなにもおかしな世界でなければ今の話は一切信じず、図書館の中へと無理矢理入っていた可能性もある。
「図書館が不安定になるのはわかったけど、休館にするほどまでなのか?」
「えぇ、リンクが不安定になることによって発生する情報の齟齬はもちろん、図書館全体が迷宮のような構造に瞬時に変わってしまうので脱出するのも困難になってしまう状況にもなりかねませんので.....」
「そりゃ休館にして正解だ」
イヴならではの摩訶不思議な現象である。 そう考えるとあのアレイスターもこの世界に縛られた、いや図書館からは出られない人柱みたいなものなら少しのセクハラくらいは許してやりたいと同じ男であるがための同情がほんの僅かに蓮見の心の中に生まれる。
「あ、お見舞いとかは別にいいので。今回に関しては私の同僚を部屋に連れ込んだことが原因で体調を崩されたので自業自得です」
前言撤回。
やはりどこにも奴に救いはなかった。
「仕方ないか、今日は諦めよう」
「そだね、蓮見さんこの後予定とかってある?」
「.....たった今一つ潰れたよ、ここで今日は夕方まで過ごすつもりだったからな」
「だったらさ、私行きたいところあるからついてきてよ」
「黒森の?」
これはまた珍しいこともあるものだ。
基本的に蓮見が行く場所にレキがついてくる、それに対して我儘を言うこともあるが彼女から望んで行きたい場所があると言ってきたことはほとんどない。
「いいよ、どこ行くの?」
「–––私の実家」
どうやら彼女なりの決意は固まったようだ。
※
隔離駅ペトラ。
あまりの治安の悪さに乗り降りする客が物好きかゴロツキに限られてくるイヴで最も危険な駅都市とも呼ばれている。
軍警団の追っている【人喰い】が一番最初に発見された場所でもある。
軍警団の支部さえも置くことを諦められたそんな危険な場所にケルベロスとジャンヌはサングラスに黒スーツという本来の軍警団の制服ではない装いで歩いていた。
「フィガロに異常は見られなかった。 元々簡素な場所だから仕方ないがな」
「それで次の調査範囲に選んだのはここか、ケルベロス」
「そうだ。 俺はここが一番怪しいと睨んでいる」
以前もケルベロスがここを探索したとき【骸】らしき果実の芯が道端に転がっていた。
ただのリンゴの可能性もあるが、同時に【骸】の可能性であることも捨てきれない。 ペトラは犯罪が蔓延しているからこそ、捜査してもキリがないと桃太郎はある意味諦め気味であったが、ケルベロスはそれさえも怪しいと睨んでいた。
「あの団長が何故わざわざここを避けたか、それも気になる」
「考えすぎじゃないのか。 単純にここを捜査するのはそれこそ人手が必要になってくる。 支部からの支援も求められないからこそ、避けたと考えるのは妥当だ」
「俺も最初はそう思ったさ、けどあからさま過ぎる」
ケルベロスは帽子を深く被り直す。
グルルル、と唸り声を上げるのは彼が信じたくないと思ったときに出る癖だ。
「まるでここペトラを捜査範囲内から外すような言い方を団長はしている。 俺たちをフィガロからケルトの範囲内に閉じ込めておきたいような、な」
「.....ケルベロス、やはり考えすぎだ。 そうすることで団長にメリットは何もない」
「そう思いてぇさ、実際に魔女の姿が目撃されんのはフィガロからケルトの範囲内だ。 けど、あちこちの支部からは【骸】の被害者が出てるって話じゃねぇか!」
グルルル、と唸り声を上げながら八つ当たりをするようにジャンヌを睨みつける。
–––頭を冷やさせないとマズイな、そう判断したジャンヌは近くの店にケルベロスを引きずり込み、水を二つ注文する。
「テメ」
「一旦落ち着けケルベロス。 いつものお前らしくないぞ、何を焦ってるんだ?」
「そりゃ、焦るだろ! 【骸】の流通は今でも続いてる! 俺らの捜査が遅れれば遅れるほど被害者は増えるんだぞ、テメェこそ落ち着きすぎなんじゃねぇか、ジャンヌ!?」
「こういう時こそ冷静に、だ。 ドーベルマンさんならきっとそう言う」
「.....ッ!!」
今にも飛びかかってきそうなケルベロスを諌めながら、ジャンヌも思案する。
捜査は疑問を持ち人を疑わなけらばやっていけない、基本中の基本だ。
だからこそ、何かを見落としている気がする。 気持ち悪いモヤモヤする思いを胸に残したまま運ばれてきた水を一口飲む。
「一旦整理してみよう、私たちは何かを見落としているかもしれない」
「.....そうだな」
ここペトラにおいて聞き込みは信用することができない、なので聞き込みは基本的に行わないのが鉄則である。
実際に足を踏み入れ、自分の目で見たものだけが頼りになる。 これまでの情報を整理したものをジャンヌは一つずつ思いつく限りでメモに書き出す。
・[魔女]が目撃された場所はフィガロ、ヌンクとケルトの街道の二箇所が多い。
・三年前の事件の後もから【骸】が密かに流通していた可能性が高い。
・ヌンクで最初に【骸】の被害者が出たのは八月下旬。
・【骸】の効果が出るのは時間がかかる。 摂取量も関係してくるが、最低でも二ヶ月ほど前から流通されていることを考えた方がいい。
・既に千を越える【骸】がヌンク内だけでも流通している。
・[魔女]自身も【骸】を5エバで売り捌いている。
・[魔女]の一団、【骸】の売買は複数人で行われてる。
「こんなところか」
「そうだな、おかしなところはない」
「なぁ、ケルベロス。 お前が最初にここ最近【骸】が流通し始めてると気付いて調査を始めたのはいつ頃だ」
「七月の上旬くらいだったな」
「.....そうか」
–––ならあの男、蓮見は関係ない。
そのことがわかりジャンヌはそっと胸を撫で下ろす。
「俺が気になるのは[魔女]が今までどこにいて、何故今になって姿を現わすようになったのかってことだ」
「私も気になっていた、複数人の犯行で【骸】を売り流すだけならば、わざわざ姿を現わす必要はない」
「となると、姿を現わす必要があったってことか」
ケルベロスが調査を始めて二ヶ月、被害者が現れたことにより情報がより明確になってきた。
「私たちはそれぞれ実際に[魔女]の姿を見ている」
「あぁ、俺は遠目だったけどな。 近づこうとしたら逃げられた」
「私は私服だったから話しかけられた、このことから軍警団を避けてるのはたしかだ」
ならば、どうするか。
「やっぱ着替えて正解だったなジャンヌ、俺の勘も捨てたもんじゃねぇ」
「.....クソ、悔しいが認めるしかないな。 [魔女]と接触した人物を探そう、【骸】を取り扱ってそうな店を中心に当たる。 幸いペトラにそういった店は少ない」
「ま、それが妥当だな」
「特徴は猫背に全身黒い外套を羽織った老婆、5エバで【骸】を売り捌いてる低身長の人物だ」
ジャンヌとケルベロスは立ち上がり、適当に立ち寄った店を後にした。