8.子供達の行方
レイモンが目を覚ますと、そこは何もない空間であった。
周囲の色は何だか、明るい橙色で、ついエミールの瞳の色を思い出してしまい、ただでさえよくわからない状況なのに、余計に苛立ってしまった。
『体周囲シールド』
とりあえず、レイモンは体の周囲にシールドを張って、この空間の影響から逃れようと思ったが、シールドは張られる端から溶けるように消えていく。
吸収されている?
レイモンは少々焦ったが、これ以上、無駄に魔力を消費しないように、そもそも何故この空間に入れられたか、その経緯を冷静に思い出して、対処することにした。
レイモンがセリウスへ緊急報告書をあげてから、いつも通りの孤児院でのルーチンを他の子達とこなしている時であった。
昼食当番であったレイモンは、院長が今日も忙しく、昼食を取れていないため、昼食を院長室へ持って行ってあげるように頼まれた。
レイモンとしては、必要以上に近づかないようにしたかったのだが、他に代わってくれる手の空いている子もおらず、やむを得ず院長室へ昼食を持って行った。
院長室の前で、レイモンがノックをしようとすると、部屋の中で院長とシスター・アリスの言い争いのする声が聞こえた。
昨夜の件で争っているのかと、ここですぐに引けばよかったのに、つい気になって、レイモンは聞き耳を立ててしまった。
「院長、もうこれ以上は無理です!」
「アリス。いい子だから、お願いよ。」
「でも、もう魔力がありません。これ以上やれば、子供達は死に、同時に私は消滅するかも知れません。」
「あなたは魔力さえもらえば、すぐに若返られるでしょう?だったら、もっと継続して若くして欲しいの。ずっとなんて言わない。たった1年でいいわ。彼の子がどうしても欲しいのよ。お願い!」
「1年も継続するなんて無理です!」
「…ねえ、アリス。
あなた、あの新しく入ったレイヤードって子に執着しているようだけど、あの子の魔力が喰いたいのではなくて?あの子、意識的にうまく隠しているけどかなりの魔力もちだわ。
貴族とはいえ、ただの男爵家の子とは思えない程の魔力。しかも、あの高貴そうな顔立ち。もしかしたら、彼は王族の血を引いているのでは?
私は前王妃様と小さい頃、お茶会でお会いしたことがあるのだけど、今の彼にとてもよく似ていたわ。髪の色こそ茶色だけど、あれで金髪だったら、王族の子で通ると思うの。
現国王陛下か、王弟殿下の隠し子なのかもしれないわ。でも、今はただの孤児だから、彼をあの子達みたいに…。」
「お、お止めください!これ以上、子供が消えたら、何も証拠がなくても院長が捕まりますよ!!」
「…もし彼の魔力を喰ったら、どれくらいの期間、あの姿を維持できる?
殺すわけではないし、いつものようにあそこに閉じ込めて少しずつまた魔力を奪えばいいじゃない?」
「院長、どうしてそんなひどいことばかり…。これ以上は本当に無理です。」
「アリス?あなたは命の恩人の私のお願いを聞いてくれないの?
私はあなたを高額で欲しがる愚かな貴族もたくさん知っているわ。でも、私の方がずっと優しくて、そいつらより、ずっとましよ。
しかも、あなたは、ここの子達とも別れなくてすむし、あなたの大好きな美少年に次から次へと会える職場よ。ここを辞めたくないでしょう?
だから、お願い!本当に1年だけでいいの!!生まれたらここで、私の親戚の子として大事に育てたいの。」
「院長…。」
「お願いよ、アリス。
結ばれないのがわかっていても、あの人を愛しているの。いえ、今は愛し合っているの。だから、彼に愛された証の子供だけでも欲しいのよ。」
「…院長に残念なお知らせです。」
「何?」
「実は、若返っているのは、見た目だけなんです。体内はほぼ実年齢のため、例え1年中若返っても、50歳過ぎている院長は妊娠は難しいです。その証拠に、若返っても院長の老眼や腰痛はあまりよくならないでしょう?」
「…嘘!」
「ごめんなさい。こればっかりは本当なんです。」
「嘘、おっしゃい!
…もしそれが本当なら、子供産むのに必要な部分だけでもいいから若返らせてよ。
どうすれば若返るかしら?」
「本当に無理なんです。」
「嘘よ!あなたは体内も若返っているのでしょう?」
「いえ、私自身も体内は実年齢です。老婆になっても、目はよく見えておりましたし、耳もよく聞こえておりました。院長はどうでしたか?」
「…そういえば、普段と変わらなかったわ。細かい字は読みづらくて、焦点を合わせるのがいつも通り大変だったわ。」
「院長、そういうことです…。私にもできることと、できないことがあります。」
「…本当にそうなのね。わかったわ。…子供はあきらめる。
でも、もう1度だけでいいから、彼に若い姿で会いたいの。今度こそ、きちんとケリをつけるから。どうかお願い!!」
「…わかりました。あと1回だけ機会をさしあげます。これが本当の最後です。そして、子供達をこちらに戻します。でも、本当にギリギリなんです。私はしばらく、老婆の姿になりますし、もうこれ以上、彼らから魔力を喰うと彼らは死んでしまいます。」
「ええ。それでいいわ。ありがとうアリス…。」
「はい…。」
「…あら?シチューの匂いが。…ねえ、アリス。魔力は十分に足りそうよ。」
「え?」
「ふふふ。だって、ほら、魔力の供給源が自ら飛び込んできてくれたわ!」
扉前で気配を消していたレイモンであったが、うっかり、手には院長の昼食をもっていた。
今日は美味しいミルクのシチューで、周りに美味しい匂いが漂っていた。
ちっ、気付かれた!逃げなきゃ!!
すぐにレイモンは逃走しようとしたが、院長はレイモンが思っているより魔法が得意だったようだ。
『拘束。』
扉を開けるや否や、瞬時にレイモンを捕らえる魔法をかけてくる。
ふんっ、こんな拘束!
『拘束解除!』とレイモンはすぐに解除し、逃げようとするが、「あらあら、やるわね。本当に何者かしら。」とレイモンの魔力の高さに嬉しそうに笑う院長が、アリスに魔法を発動させる。
『〇●◎移動』
アリスがそう言った瞬間、レイモンは逃げる暇もなく見えない何かに捕らえられ、目の前は橙色の世界に染まり、意識がなくなった。
そして、今にいたるレイモンは、この橙色の世界がアリスの作り出した亜空間ではないかと考えられた。亜空間まで作れる人間はそういない。魔法省の高官か、本でしか読んだことのない、現実ではいないと思われた『魔女』と呼ばれる者くらいである。
シスター・アリスは何者なのか?
院長とアリスの話を盗み聞ぎした際に、「魔力を喰う」という発言があったのを思い出したレイモンは、ここで魔力を使うと吸収されるということは、イメージはアリスの腹の中で喰われているということかと理解した。
二人の話から、昨夜のレイモンの推測通り、アリスの魔力で院長は若返り、恋人と会っていた。そのまま恋人といたいがために、魔力の強い4人の子供達をアリスに喰わせ、何度か若返っていた。そして、レイモンもあっさり喰われたということである。
あんなに子供に優しくて誠実そうな院長がどうして…。
院長のような人徳者でも、恋をすると、エゴイスティックになることが多々あるものだが、まだ幼いレイモンにはそれが理解できず、何か深い事情があるのではないかと思いたかった。
また、レイモンは自分のことを普通の大人よりも有能であると自負していたが、今回のことでいかに自分が力不足なのかを実感するに至った。
よし、ここを出たら、魔法の修行三昧だ!こんな化け物でも対処できるように鍛えよう!!
そう決心したレイモンは前向きにこの状況を打破することにした。
まず、ここの空間に同じように閉じ込められた他の子がいないか、探索の魔法を使いたいが、普通に放つだけでは、先ほどのシールドのように吸収されてしまうので、吸収されないためにも吸収する魔法の性質をよく考えた。
そして、気付くレイモン。
この空間自体がアリスの魔力の溜まり場ならば、レイモン側でも魔力を吸収してやればいいと。
魔力をアリスのように喰らうことは普通の人間には無理なことであるが、他人の魔力を規模は小さいが吸収することは実はできる。もっとも、それができる人間も限られているが、レイモンは実は6歳にして、たまたまそれを知ることができて、既に使用できるようになっていた。
ただ、リーリアをはじめとする魔法の教師達から、その魔法は使用禁止と言われていた。吸収された過剰な魔力が、レイモンの体に大きく影響したからだ。その魔法が使えるようになったレイモンは嬉しくて、魔力をたくさん吸収し、その結果、レイモンの体は巨大肥満児となってしまい、いつもレイモンに会うと可愛いを連発するエミールでさえ、その姿をみて絶句したくらいであった。しかも、その体型は下手をすると、とても心臓に負担がかかり、急死する危険もあった。
でも、このまま助けを待つより、それを試してみる方がいいか。
大丈夫。魔力吸収が過剰にならないように気を付けて、少しずつその魔法を展開してこの空間に穴をあければいいんだ。前の時は吸収できるのが楽しくて、ついやりすぎた結果だから、今回はそれをよく加減すればいいんだ。
そう思って、魔力吸収の魔法をスポットで展開しだした。すると、予想通り、その橙色の空間に穴が開き始めて、さらにちょっとその領域を広げてみると、袋に穴が開くようにレイモンの体はそこから出ることができた。
そして、そこからでたレイモンの目の前にはレイモンのいた空間と同じ色のした球体が4つ転がっている薄暗い空間であった。
行方不明の子供達はここにいたのか。
ここもアリスの空間のひとつのようで、4つの橙色の球体の中にはレイモンのように子供達がいるのだろう。
セリウスがいくら優秀な部下たちが探しても、子供達が見つからないと言っていたが、それもそのはずである。孤児院で働く職員の魔力的腹の中にいるとは普通、考えられないし、そんなことができる人間もこの国ではアリスくらいだろうとも思われる。
レイモンはすぐにでも子供達を救出したかったが、自分自身がこのさらなる空間に捕らわれると困るため、先に体全体にシールドを張ってみる。
すると、今回はすんなり全身に強固なシールドが張れて、ここが例えアリスの空間で、もし攻撃をされても対処できるように準備した。
また、このことから、おそらく、今、レイモンのいる空間はお腹でいう腹腔にあたるところで、この目の前の橙色の球体は、さしずめ吸収する臓器みたいなものかと推測する。
子供達をこの吸収臓器もどきから助け出したら、ここから逃げるにはどうすればいいか悩むレイモン。何とか、外をつなぐ領域を探し出すか、この空間を裂く攻撃魔法を色々と試してみればどれかが有効かもと思い、いくつかの逃げる算段をした。
そして、やっと橙色の球体から子供達を救出するために、穴を開ける作業を始めた。
まず、1個目の球体は、やはりレイモンの時と同様にすんなり穴が開き、手を入れてみると、女の子がつかめて、そこからひきずりだすことに成功した。女の子はややぐったりしたように見えたが、ただ眠っているだけであった。とりあえず、呼吸も脈も落ちついているようで、規則正しい寝息を立てているので、レイモンは起こしてみることにした。
「おい、大丈夫か!目をさませ!!」
揺り起こしてみたが、一向に目を覚まさない彼女に、魔法で眠らされているのかと思い当たり、魔法で起こしてみる。
『覚醒!』
それでも、起きないため、やや強めにしてみる
『強力覚醒!』
すると、やっと目を覚ました。
「う、うーん。眠い…。
…あら?ここはどこ?」
「気付いたか!大丈夫か?どこか具合が悪いところないか?」
「…あなた、誰?」
「あー。俺はその…レイっていうんだ。ここに君と同じに捕まってしまってね。」
「私、捕まったの?人さらいに?」
「そうだよ。ちょっと変た…いや、特殊な人さらいにね。逃げるから協力してくれる?」
「…ええ。とりあえず、逃げないとね。」
「その前に、他の捕まった子も助けるから、待っていて。」
「え?他にもいるの?助けるって?」
少女が首を傾げて、不思議そうにしている横で、もう1つの球体に穴を開けるレイモン。
そして、今回もスムーズに球体から男の子を取り出すのに成功した。すぐに魔法で覚醒させる。
「うにゅ。んー、眠い、ここどこ?お腹へった。」
「あ!スタンリー!!この子、私の弟なのよ!!」
「え?そうなの?そういえば、似ているね。」
「あー、お姉ちゃ~ん。ここなに?」
今度の男の子は何だかマイペースであったが、アリスが鼻血をだして騒いだと聞いただけあって可憐な美少年であった。
他の女の子2人も無事に助け出し覚醒させ、全員、何とか動けそうということで、ここから一緒に逃げ出そうとしたその時。
「やあ、凄いね~。自分ばかりか、全員をあそこから取り出すなんて、本当に何者なのかなレイ君?」
アリスが、その薄暗い亜空間に姿を現した。