恩師
一幸との再会から、1年半が過ぎようとしていた。
相変わらず、一幸と各種イベントに参加する事は多かった。一幸が「人との出会いは刺激になるし、人脈なんて多いに越した事ない。」と言い、僕も同感だったからだ。初対面の人には、積極的に自分の名刺を渡した。名刺には『株式会社ATクリエイト 代表取締役 荒木剛志』と表記されていた。但し、以前のような架空会社ではなく、実在する僕達の会社だった。築き上げた人脈に後押しされる形で、僕は勤めていた会計事務所を辞めて独立したのだった。
法人設立にあたって、僕は経験にも長けている一幸が代表者になってくれるものだと思っていた。しかし、彼は固辞した。
「昔も剛志が会長で、俺が副会長だったじゃないか。やっぱり、俺達にはその形が良いんだよ。」そう主張した彼に、押し切られた格好での代表取締役就任だった。
最近では、僕と一幸は必ずしも一緒に行動する訳ではなかった。一幸のおかげで、僕の対人折衝力は格段にレベルアップしていたからだ。そうなれぼ、2人別々に行動した方が効率いいに決まっている。
今日は、元教師でテレビ番組への出演がきっかけでブレイクし、今は国会議員だという(最近は、こういった経緯で議員になる人、多いよな‥。)三枝先生の後援会のパーティーに参加していた。「今回は、別々に行動しよう。」という僕の提案で、この日の僕らは、お互い単独行動をとっていた。目星を付けた10人程の人物との名刺交換を済ませた僕は、一休みする事にした。会場の端のカウンターに用意されたドリンクで喉を潤そうと、烏龍茶が入ったグラスの1つに手を伸ばした時だった。たまたま同じグラスを取ろうとした人物の手の甲に僕の指先が当たってしまった。
慌てて「すいません。」と謝罪を述べた僕の方に、その人物は振り返った。その顔に、僕は見覚えがあった。
「‥笹下先生?」
僕の問いかけに、一瞬首を傾げたが、どうやら直後に思い出したらしい。
「お前‥荒木じゃないか~。」
昔と同じ、大きなリアクション付きで、先生は答えた。
(なんという偶然だ‥。)
1年半前までなら、或いは喜んで抱きついたかもしれない。然しながら、今の僕にとっては、早紀を苦しめた憎むべき男だった。そして、その左手薬指に指輪は無かった。
表面上は再会を喜ぶ素振りを見せ、僕は笹下先生と暫く談笑した。先生は、三枝議員の大学の後輩で、今でも親交があり、そのつてで今回のパーティーに参加していたらしい。
「先生、ご結婚は?」
僕の問いかけに、この男は苦笑いをして答えた。
「恥ずかしながら、バツ2の独身なんだよ。」
(早紀の他にも、犠牲者がいたんだな‥。)
「今日は、一人なのか?」
続く先生の問いかけに、僕は答えた。
「戸塚君と一緒ですよ。」
「戸塚一幸か? あいつ、元気でやってるのか?」
先生は、少し驚いた様子を見せた。
「どうかしたんですか?」
その反応が気になった僕は、先生に尋ねた。
「いや、俺の知人で当時戸塚が通っていた中学の先生をしていた奴がいるんだが、戸塚は中学時代に交通事故で両親を亡くし、本人も重症を負ったと‥そいつから聞いていたから心配してたんだ‥。そうか、元気でやってるなら良かった。」
「ええ、元気ですよ。何処かその辺にいる筈なんだけどな‥。」
「そうか、今日は荒木以外にも偶然知った顔に何人か会ったが、戸塚は見かけなかったな。」
「探して来ましょうか?」
「いや、いいよ。元気でやってると聞けて安心した。」
「そうですか。先生、烏龍茶のおかわり取って来ましょうか?」
「おう、悪いな。」
僕が、わざわざ先生のおかわりを取りに行くのを申し出たのには、当然理由があった。ドリンクカウンターへ向かいながら、僕は財布から半透明の小袋を取り出した。中身は、先週の人間ドックでバリウムを飲んだ後に支給された下剤を、すり潰して粉状にしたものだった。その際、僕は「ちょっと下剤の効きにくい体質で‥。」と言って通常の倍の下剤を貰っていた。本来の目的は、意味のない会話を長々としてくる不要な輩を撃退するための物であった。僕は、それを全て先生のグラスに入れてやった。
程なくして、奴は脂汗を額に浮かべ、前のめりになってお腹を抑えた格好で、そそくさと会場から出て行った‥。
それから10分程して、僕は一幸と合流した。
「どうしたんだよ。何かあったのか?」
会うなり、一幸に聞かれた。
「えっ、何で。」
「なんか、ニヤニヤして薄ら笑い浮かべてたから‥。」
「そんな事ないさ。一幸は外にでも行ってたのか?」
「いや。ずっとこの部屋にいたよ。なんで?」
「なんでもないよ。ちょっと面白い人を見かけただけさ。」
そう言って、僕は横を向いた。
自分がまた、薄ら笑いを浮かべてるのが分かったからだった‥。