矯正
戸塚一幸は、当時の僕の親友だった。一番一緒の時間を共有した仲であり、テストやスポーツでも競い合っていた。僕が児童会長を務めた時、副会長として支えてくれたのも彼だった。
その一幸に促されて、僕は彼の正面の席に座った。
「剛志~、久しぶりだな~。」
満面の笑みを浮かべて、僕を迎えてくれた彼の風貌は、当時とは大分変わっていた。子供の頃の一幸は、いわゆる坊ちゃん刈りと太い眉毛がトレードマークだった。今、目の前にいる彼は髪をオールバックにし、眉毛もカッティングしてつり上がった細眉毛になっていた。体格もがっちりしており、身長180センチ以上はありそうだ。笑った時、やや奥に覗く八重歯が唯一、当時の名残を感じさせた。
「ほんと、久しぶり。」
何気なく発した返事だが、一幸が住んでいた辺りは当時、市の道路拡張計画の対象地となった為、中学進学と同時に彼は市外へ引っ越して行ったのだっだ。だから、それ以降は彼を見かける事すらなく、本当に久しぶりだった。
「元気でやってるか?」
話しかけてくる彼の言葉には、活力があった。
「まあな。」
それに比べて、返事をした僕の声には、覇気が無かった。
「そういえば、剛志、さっき望月早紀と話していたな。」
「ああ。」
「昔の恨み言でも、言われたのか?」
「えっ?」
突然の、予期せぬ問いかけだった。
(どういう意味だ?僕が昔、彼女に何かしたってのか?)
(そんな記憶はないぞ。‥‥いや、しかし‥そもそも、ついさっきまでは、彼女の存在自体ほぼ忘れてたじゃないか。)
「恨み言って、何だよ。」
記憶がない以上、記憶がある一幸に聞くしかなかった。
「何だよ、覚えてないのか。」
「あの頃、望月ってアレルギー性鼻炎のせいで、鼻声だったろ。それで、俺ら2人で彼女に『宇宙人』てあだ名を付けたじゃないか。今思えば、結構なイジメだよなぁ。」
‥思い出した。
「他にも、田中悟ってクラスで1番背が低い眼鏡をかけた奴がいただろう。俺らが付けた『メガネざる』ってあだ名のせいで、しょっちゅう泣いちゃってたよな。」
‥思い出した。
一幸が言った事は事実だった。ちょっとした、きっかけで記憶は思い出せるもの‥‥だった。一幸の一言によって、恐らくは僕の自尊心という名のダムは決壊し、封印されていた望ましくない記憶達が、一気に流れ出てきた。
当時、僕達はクラスの連中にあだ名を付けまくっていた。軽い遊びのつもりだったが、子供は加減てものを知らない。大人よりたちが悪く‥そして残忍だ。
一幸が言うように、紛れもなく、僕等がやったそれはイジメだった。
しかし、望月早紀はそんな事、一言も言わなかった‥。
「彼女、忘れてたのかな。」
的外れな、僕の希望的観測に対し、一幸が全否定した。
「馬鹿、そんな訳ないだろっ。」
その通りだった。イジメた側の僕等はまだしも、イジメられた彼女達が忘れる事など、有り得る訳がないのだ。
「大人の対応をしてくれたんだよ。」
「そう言う意味でも、いい女になったよなあ。」
「ただ、彼女の離婚には、人には言えないヤバい何かがあるらしい。あんまり関わらない方がいいぞ。」
‥‥途中から、一幸の言葉は僕の耳に届いてなかった。
彼女に対する謝罪の気持ちがまずあった。そして、当時の自分の記憶といのが、実は都合のいい部分を強調し、過ちについては消去するという矯正作業により、脚色されたものであるという事実を突きつけられ、呆然としてしまっていたのだった。
同じ加害者でありながら、一幸はちゃんと記憶していた。僕は自分の身勝手さ、了見の狭さが恥ずかしかった。自分の負の記憶を受け止める度量の無さ、メンタルの弱さを痛感していた。
「おい、剛志!」
一幸の呼びかけに、我に返った。
「大丈夫かよ、俺、剛志にいつか会うのを楽しみにしてたんだそ。」「せっかく、久しぶりに会えたんだから、色々話そうぜ。」
そう、僕も一幸には会いたかったのだ。それなのに、まだ、彼の事を何も聞いてないのだ。
聞けば、一幸もこの同級会に参加するのは今回が初めてとの事だった。色々、聞きたい事もあったが、ぶしつけに質問攻めをするような真似はしたくなかった。
そこに、奴がやってきた。
「おう、一幸!一杯行こう!」
ビール瓶を片手に割り込んできたのは、小林健介だった。
デリカシーのないマスコミのようなこの男は、ある意味僕にとって都合のいい質問代弁者になってくれた。
「一幸は、今どの辺に住んでるの?」
これが最初の質問だった。
すると、一幸は、窓の外を指さして言った。
「あそこ。」
その指先は、赤坂方面に見える高層ビル群を指していた。
「マジかよ、仕事は何やってんの?」
「デイトレーダーだよ。」
「へ~、大学はどこ行ったの?」
「大学なんか行ってない。高卒だよ。」
「本当に?ちなみに結婚は?」
「してないよ。でも、女に不自由はしてないぜ。」
僕の時とは、小林健介の反応が明らかに違った。
その表情から、半信半疑なのは見え見えだったが、
「これ、俺の連絡先。何かあったら宜しく。」
そう言って、奴は僕には出さなかった名刺を一幸に差し出した。
名刺を見て、奴が保険屋だと知った。
(なる程、同級会で客探しをしてるって訳か‥。)
「悪い。俺、基本出された名刺は受け取らない事にしてんだ。」
そう言って、一幸は名刺を受け取らなかった。
その後、一幸に今の僕の近況を話していると、
「え~、皆様、宴たけなわではございますが‥。」
と幹事から、中締めコールがかかった。
どうやら、店から貸し切り時間オーバーとせっつかれたらしい。
「じゃあ、剛志、また近く会おうぜ。」
一幸は、そう言って握手を求めてきた。
僕が握手に応じると、ギュッとその手に力を込めて握ってきた。
「そうだ、剛志、名刺くれよ。」
彼が言った。
「名刺は受け取らないんじゃないのか?」
と聞くと、
「出された名刺はな。求めた名刺は別だよ。」
と笑って答えた。
僕は、林会計事務所という肩書付の名刺を彼に渡した。
別れ際、一幸が、
「剛志、昔よりパワー落ちたなぁ。」
と言った。
「そりゃ、そうだろ。」
と僕が答えると、
「俺が、昔の剛志に戻してやるよ。」
そう言って、八重歯を覗かせた満面の笑みを見せ、彼は先に店を出て行った。
『昔の剛志に戻してやる』と言った言葉が、暫く耳から離れなかった‥。
店の外に出た僕達は、集団のまま最寄り駅へ向かった。
50メートル程歩いた時だった。
「あら~、荒木先生じゃないの~。」
前から歩いてきた、ほろ酔い加減の女社長anに遭遇した。
「今日はありがとうね~。また、宜しくね。」
そう言って、敬礼ポーズをして見せると、彼女は駅とは反対側に去っていった。
酒のせいだろうが、彼女が僕の事を『先生』と呼んだのは初めての事だった。
直後、小林健介が駆け寄ってきた。
「今の女性、誰だよ。相当な美人じゃないか。剛志の事先生って呼んでたよなぁ。凄いな~。」
僕に対して、今日初めて驚きの表情を見せた小林健介に
「ただの客だよ。」
と僕は答えた。
「そうだ、剛志にも、まだ名刺渡してなかったよな。」
慌てて名刺を取り出そうとする彼に、僕は言ってやった。
「ゴメン、僕、出された名刺は受け取らない事にしてんだ。」
少しムッとした表情をした彼を見て、僕は少しだけ溜飲を下げる事ができた。