告白
(307号室‥307号室‥‥)
病院の廊下は思ったより長かった。いや、長く感じたのだろう。走る事が許されないのが、酷くもどかしかった‥。
それでも、ようやく辿り着いた。入室したばかりのせいか、部屋の入口右手の所定位置に、ネームプレートはまだ差し込まれていなかった。
ドアを開け入室した僕が目にしたのは、ベッドに仰向けになって寝ている一幸(田中悟)と、その傍らで椅子に腰掛けて彼を見守っている早紀の姿だった。寝ている一幸の姿が、マンションの一室で寝ている本物の一幸の姿と一瞬重なった‥。
僕が到着した事に気づいた早紀が、こちらを向いた。
「大丈夫か。」
「私は大丈夫。ただ‥。」
「一幸‥‥いや悟は?」
「‥剛志君、知っていたのね。」
「ついさっき、知ったばかりだよ。でなきゃ、とっくに早紀に話してたさ。」
早紀はじっと僕の顔を見て‥それから小さく頷いた。
「それで、悟はどうなんだ。」
「お医者さんの話では、命には別状ないって‥。」
「命にはって‥。」
「あとは、本人の意識が戻ってみないと判らないって言うの。」
僕は、次の言葉を飲み込み、代わりにかぶりを振った。
「今日、早紀と悟の間で何があったんだ?」
一瞬、ちらっと横で寝ている悟に視線を送り、それから早紀は話を始めた。
小学校時代、似たような境遇にあった私と悟君は、ある意味同朋のような存在だったわ。私達は、よくお互いを励まし合ってたの。皆が私達を『宇宙人』『メガネざる』って呼ぶ中、私達は2人きりの時だけ、お互いを『サキちゃん』『サト君』と呼び合っていたわ。
卒業間近になったある日、私と悟君はある勝負の約束をしたの。
それは、どちらが早く親友を作れるかって勝負だったわ。
他の人には解らないでしょうけど、当時の私達には凄く高い目標であり、同時に1番欲しいものだったのよ。
「じゃあサキちゃん、僕が先に親友を紹介してみせるからね。」「ううん、悪いけどサト君、私が先に紹介するから。」
卒業式の日、最後にそう言い合って私達は別れた。
その悟君が、中学校の時に交通事故で両親を亡くしたという事を、7年前に笹下先生から聞いたの。親友を作るどころか家族まで失ってしまってたなんて‥。私は彼の事が心配でたまらなかったわ。何でもいいから、力になってあげたいと思った。でも結局、何処に住んでいるのか、何の仕事をしてるのかも判らないんだから会いようもなかったの。
それが、一昨年の同級会で‥遂に彼に会えた。
身長も高くなって、眼鏡もしてなくて、眉毛もカットしてたけど、私にはすぐ分かったわ。「ああ、悟君だ。」って。でも、彼は何故か自分の事を戸塚一幸だと名乗った。最初は私の勘違いかと思ったけど‥‥やっぱり彼は悟君だった。しかも、他人の名前を語って、今の私にとってかけがえのない存在である剛志君の親友という立場を演じている。何の為に‥。私は、相談事があるふりをして、彼に会う約束を取り付けたの。
私達が会ったのは、この病院の近くの喫茶店だった。個室ばかりの店で、携帯電話の類は電源を切らないといけないの。色んな人が密会用に使う店なのかもしれないわね。
「で、相談事って何?」
やがて現れた彼は、席に座るなり聞いてきた。
「ごめんなさい。相談事があると言ったのは嘘なの。私は一幸君にどうしても聞きたい事があるの。」
彼は一瞬顔を軽くしかめた後、改めて聞いてきた。
「ふ~ん、何を聞きたいの。」
余計な話はしない方がいいと思った私は、ズバリ聞いたの。
「あなたは一幸君じゃあないでしょ。田中悟君よね?」
「おい、おい、何を言ってんだよ。俺は戸塚一幸だよ。」
「じゃあ、免許証を見せて。」
「‥今日は、持ってないよ。」
「嘘、私早めに来て見てたのよ。あなた車で来たじゃない。」
「‥‥。」
「じゃあ聞くけど、何でこの前笹下先生に『田中』と呼ばれた時に否定しなかったの?」
「‥‥何でそれを。」
そう言った後、彼は椅子に深く座り直し、一呼吸置くと店員を呼び「コーヒーを2つ。」と注文した。
オーダーを受けた店員が部屋から出て行くと、彼は私に聞いてきた。
「どこまで、知っている?」
「悟君と一幸君が事故にあって2人共家族を亡くしたって事。その時、特に一幸君の方は重症を負ったって事。」
「そうか‥。」
そう言った後、悟君は目をつぶった。そして数秒後、目を開けると彼は話し出したの‥。
中学校に行ってからも、最初のうち、一幸は俺の事を『メガネざる』って呼んでいたよ。でも、そのうち『悟』って呼ぶようになったんだ。別に、急に立場が対等になった訳でもなんでも無いさ。彼が、少しだけ大人になったのかもしれない。それでも、俺は少し嬉しかったなぁ‥。
そんなある日、一幸の家族と俺の家族とで一緒にブドウ狩りに行く事になったんだ。言い出したのは俺の親父さ。そういうイベントを企画するタイプではなかったから、ちょっとびっくりしたよ。でも、いいきっかけになったんだ。
出掛ける前日の一幸の言葉を、俺は今でも覚えている。
「じゃあ悟、明日は宜しくな!」
「家族全員で出掛けるなんて本当、久しぶりでさ~。最近、親父とお袋、ちょっとギクシャクしてたから‥いいきっかけになるかもしれないよな~。」
「うちの親父も言ってたぜ。『正直、悟君のお父さんには仕事でいつも無理させちゃってて、悪いと思ってんだよ。頼りがいがあるから、こっちも調子に乗っちゃってな‥。それなのに、こんないい機会を作ってくれて、本当反省しなきゃな~。』って!」
「悟、これからも親子共々宜しくな~!」
嬉しかったな~。目の前の世界が、一気に広がって行くような気分だったよ‥。
翌日、あんな事故に会うなんて知らずにね‥‥。
僕はショックだったよ。だけど、本当にショックを受けたのは、それから約1ヶ月後に親父の遺書とも取れる、告白本を見つけてそれを読んだ時さ。
信じられるか?事故なんかじゃなかった。一幸の両親と俺のお袋が亡くなったのは、親父の無理心中によるものだったんだぞ。
唯一生き残った一幸も、それからずっと寝たままさ‥。
親父が入っていた生命保険のお陰で、俺は結構な金持ちになったよ。それこそ、贅沢な暮らしさえしなければ、一生生活出来る位の額さ。でも、俺はその事故の呪縛によって支配される事になったんだ。
他人を不幸にした男の子供が、幸せになっていい訳がないだろう‥。
俺は、一幸が意識を取り戻すまで‥もしかしたら一生彼の為に生きると決めたんだ。
ただ、俺にはどうしても叶えたい目標があった。それは、親友を作る事さ。
寝ている一幸を前にして、僕は毎日毎日考えたよ。そして決めたんだ。自分が戸塚一幸になろうってね。元々、自分が憧れたのは、剛志君と一幸君のような親友関係だったんだ。だから、自分がその片方になって‥剛志君と親友になれば自分の希望が叶うって思ったんだ。錬金て知ってるかい?具体的なものを強くイメージすると、その人にとっては、それが現実になるんだ。自分の事を戸塚一幸だと思い込み続けだら、いつの間にか本当に自分が一幸になったような気がしてきたよ。剛志君の所在が全く分からなかった俺が、わらにもすがる思いで参加した同級会で彼に会えた時は、ほんと奇跡だと思ったね。
久しぶりに会った剛志君は、なんか自信を無くしてて元気なかったけど、俺には分かってた。きっかけさえあればって‥。
剛志君と過ごしたこの1年半は、本当に楽しかったなぁ‥。
彼がここまで話した時、注文したコーヒーが届いたの。
「望月さんは、砂糖1袋でいい?」
彼の問いかけに、私が「うん。」と返事をすると、彼は備え付けのシュガー袋をわざわざ破いて入れてくれた。ただ、その後、そのコーヒーを私の方に渡す際、彼の手が震えちゃって、少し溢しちゃったのよ。
「ごめん、ごめん。」
「ううん、大丈夫よ。」
私はそう言って!鞄からハンドタオルを取り出そうとしたの。その時だったわ‥。
『ワサビーン2号、只今参上~!』
鞄の中からはっきりと聞こえてきたのは、剛志君の声だった。
ハンドタオルを取り出そうとした手が、偶然あのストラップのお腹の部分を押しちゃったのね。私には、恥ずかしいチョットしたハプニングだったんどけど‥、悟君にとって、それは重要な事実を意味してたの‥‥。
「今のは剛志の声じゃないか?」
彼は驚いた様子で聞いてきたの。
「えっ、まぁ‥そうだけど。」
「お前達、付き合っているのか?」
「そうなのか?」
私がコクリと頷くと、彼は絶句した。
私、恥ずかしくって‥。とりあえず、目の前のコーヒーを飲もうとしたの。そしたら‥
「飲むなっ!」
彼が大きな声をあげて制止したの。びっくりして危うくカップを落とすところだったわ。
「ハハハハッ、なんてこった。」
「剛志が会わせたいと言っていたのは、君の事だったのか‥。」
「じゃあ、もう何したって無駄な訳だ。」
「俺と剛志の親友関係も、これまでって事だ。」
そう言ってかぶりを振った彼は、直後にわたしが飲もうとしていたコーヒーを奪い取った。
「剛志の事、宜しくな。」
そう言うなり、彼はコーヒーを一気に飲み干した。
途端に、彼は喉と胸の辺りを押さえて苦しみ出したのよ。
彼が毒を飲んだのは、一目瞭然だったわ。
そこからは、もう、私無我夢中で‥‥。剛志君には、病院の人に頼んで連絡をして貰ったの。
話し終えた、彼女の手は小刻みに震えていた。僕はその手を自分の両手で覆って軽く抑えた。
悟は自殺を図ったのだ。
ただ、彼が幸運だったのは、一緒にいたのが、介護対応のエキスパートだった事だ。後で分かった事だが、彼女の適切な対応に基づく胃洗浄が行われた結果、彼の体に吸収された毒物は致死量の半分程度で済んだらしい。
やはり、悟の気持ちは僕になど考えが及ばない処にあった。
彼の親友が欲しいという想いには、ある種の異常性すら感じる。彼は親友一人を得る為に、田中悟という自己すら捨てた。また、自分と僕との親友関係の障害になると感じた早紀の事を、殺そうとさえしたのだ。
だが、彼の経験してきた事について、僕等は知る由もない。
ほんの少し前まで‥‥、悟と早紀に再会するまでの僕の孤独感、その何倍もの苛酷な状況に、彼がずっと身を置いてきたとした場合、それでも彼のこの欲求を異常だと断言できるだろうか‥。
その後、僕と早紀はこれからどうするかを話し合った。
でも、2人の考えは同じだった。ブレはなかった。
悟には、毒を飲んだ後遺症が残るかもしれない。もしそうなったら、2人で悟と一幸の面倒をみようと決めた。
それから2時間程経っただろうか‥。
「‥‥ん。」
と小さな声を発して、悟が目を開けた。
彼は数秒天井をじっと見ていた。その後、周囲をキョロキョロと見回し、僕達の存在に気がついた‥。
「あれ、‥剛志君じゃないか~。」
そこにいたのは、小学生時代の悟だった‥。
一切の険が感じられない、穏やかな口調だった。
「ああ、剛志だよ。」
僕は答えた。
「‥そうだ、僕、剛志君にお願いがあるんだ。」
「何だい?」
「‥僕の、‥友達になって欲しいんだ。」
胸の奥から、熱いものがこみ上げて来た‥。
僕は、悟の手を掴んで言った。
「何言ってんだよ。僕達はとっくに親友じゃないか。」
彼は、一瞬ボーっとした顔をした後、ニコッと笑った。
そして、早紀の方を見て言った。
「‥サキちゃん、聞いた?」
「うん。聞いたわ。」
「‥サキちゃんには、もう親友出来た?」
「まだよ。」
「‥じゃあ、勝負は僕の勝ちだね。」
「そうね。サト君の勝ちね。」
答えた早紀の目には、涙が溢れていた‥。
アメリカの心理学者マズローは、欲求5段階説を提唱した。その最上位は『自己実現』という欲求だった。
しかし、晩年彼はその上に6段階目となる更に上位の欲求が存在する事を提唱した。それは、目的達成の為に自己さえも犠牲にする『自己超越』という欲求だった。
ーおわりー
自身二作目、どうにか書ききりました。前作より、ましなものになっていればいいんですが‥。
楽しんで、読んで頂ける方がいたら、また別の話を書いてみたいと思います。
最後までお付き合いいただいた方、ありがとうございました。




