不可侵
「なんだ、帰ってたんだ~。大丈夫だった。」
「まあ、何とかね。早紀の方こそ、電話もメールも繫がらないから心配したよ‥。」
つい今し方まで彼女の日記を覗き見していたという罪悪感からか、妙に取り繕った台詞のような気がした。
だが、問題の所在は其処では無かった。僕の言葉を聞いて、彼女の口調が変わった‥。
「何言ってるの?こんな時に(回線が混雑して)電話やメールが繫がらないのは、お約束みたいなものでしょ。」
「だから、剛志と私の非常時の集合場所も決めたでしょ。」
(そうだった‥。集合場所決めてあったんだった‥。)
「早紀、もしかして‥。」
「そうよ、私今までず~っと其処で待ってたのにのに‥いつまで経っても剛志が来ないから、しょうが無く帰って来たの。」
「それなのに、剛志ときたら‥。」
「ごめん、本当にごめん。」
謝るしかなかった。
なんて様だ。せっかく2人で決めた非常時の約束を忘れてしまうなんて‥。
「ほんとに、も~‥。」
「まあ、今回は無事でいてくれたから‥特別に許してあげる。」
「でも、次は許さないよからね。」
「うん、うん。」
「返事は1回でしょ。」
「はい!」
内心、僕は感心していた。
早紀は本当にしっかりしている。この娘が傍にいてくれる事で、僕はどれだけ救われている事か‥。
「そうだ、はい、これお土産。」
僕は、キャラクター人形付きのストラップを彼女に差し出した。
「何、これ?何のキャラなの?」
それは、あの一発屋芸人から貰ったものだった。
「それはワサビーンっていう芸人で、結構なレア物なんだよ。」「お腹の部分を押してごらん。」
僕に促されて、彼女がお腹を押すと、声が流れた。
『ワサビーン2号、只今参上~!』
それは僕の声だった。
「どうだい、録音再生機能まで付いてるんだぞ。」
彼女は苦笑いを浮かべた‥。気に入ったという程の反応では無かったが、ワサビーンストラップのおかげて、彼女の機嫌も少しは良くなったようだった‥。
「ニュースを見よう。」
そう言って、僕はテレビの電源を入れた。
殆どのチャンネルは地震の詳細を伝えていた。震源地は東京湾で震度5(マグニチュード6.5)、震源の深さは20㎞との事だった。
電車をはじめとする交通機関は、未だに運行の再開の目処が立っていないものも多かった。但し、比較的揺れている時間が短かったせいか、建物の損壊、火災等の二次災害は殆ど発生しておらず、世の中が徐々に平穏を取り戻しつつあるのは、アナウンサーの口調からも感じ取れた。
今回の事も踏まえて、僕は早紀との将来‥共に家庭を築いて行く事に対しての強い願望が自分の中に在る事を再認識した。
「そうだ、早紀。」
「そろそろ、一幸に2人の事を言っても、いいかな?」
仕事のパートナーで親友でもある彼に彼女を紹介する事が、その為の第一歩になると思った。
「‥そうね。」
予想外に、彼女はすんなり了承してくれた。彼女の方も、今回の事で色々考えてくれたのかもしれない。
「じゃあ、近々3人で食事でもしようよ。」
「うん。明日は友達との約束があるから無理だけど、来週以降なら都合つけられると思う。」
「本当っ?‥‥よしっ!」
僕は右手でガッツポーズをとって見せた。
「ふふ‥嬉しそうね。」
「そりゃそうさ。」
本当に嬉しかった。僕がイメージし続けてきた将来像へ向けて、グッと近づいた気がしていた。
「じゃあ、後で一幸に連絡してみるね。」
「どうせ、今はまだ電話は繫がらないだろうし‥。」
「そうね。取り敢えず、この散らかった部屋を2人で片付けないとね。」
「同感です。」
僕らは、地震があった形跡の抹消に取り組む事にした。
結局、一幸と連絡が取れたのは翌日の朝だった。
「一幸に紹介したい人がいるんだが、時間取れないか?」
僕からの突然のお願いに、一瞬戸惑った様子ではあったが
「今日は人と会う約束があるけど、明日以降なら‥。」
と言って、了承してくれた。
その日、駅前の牛丼チェーン店で早めの昼食を済ませた僕は、一幸のマンションに向かった。
僕は、彼のマンションのスペアカードを彼から預かっていた。以前、僕専用の寝室ルームだった部屋は、今では僕らの会社の簡易オフィスになっている。昨日の地震で散らかっているであろうオフィスの片付けをするつもりだった。
マンションに着いて、取り敢えずほっとした。エレベーターが動いていたからだ。最悪、30階まで階段で登る事になるかもしれないと覚悟はしていたが、正直避けたいというのが本音だった。インターホンを押したが、応答は無かった。一幸は、既に出かけたらしい。中に入ると、リビングはいつも通りだった。といっても、元々ろくに物を置いていないのだから変わりようもないというものだ‥。オフィス用の部屋は、やはり事情が違ったようだった。本棚から飛び出した本類、机やコーナーカウンターから落ちたインテリア類が部屋中に転がっていた。僕は、それを1つ1つ自分の記憶を頼りに元の位置に収納、或いは配置し直していった。全て完了するのに、大体1時間かかってしまった。
ひと仕事終えた僕は、リビングでコーヒーを入れ一休みする事にした。あぐらをかいて、部屋中を何となく見回していた僕は、ふと、いつもと違う点に気が付いた。それは、トレーディングルームのドアのセキュリティランプが点灯していないという事だった‥。
トレーディングルームには、僕が初めてここに来た時から既に、その入り口のドアノブ上部に暗証番号入力キーが設置されていた。そして、そのセキュリティ機能が作動している状態を示す赤いランプが常時点灯していた。
「部屋の中には、様々な機械、資料がある上、その操作で自分の資金全てが好きに動かせてしまうという事から、厳重にしてるんだ。」
と一幸からは、聞いていた。
中を見る事を勧められた事も無かったし、元々、投資の類に興味が無かった僕は別に気にもしてなかった。
(きっと、昨日の地震でトラブルが発生して修理待ちなんだろ。)
その時、突然、僕の中にその中を覗いて見たいという衝動が芽生えた。ある意味、その部屋は2人の間で唯一不可侵の場所だった‥。それが覗ける状況にあるのだ。この機会を逃す手はないのではないか‥。
僕は、あぐらを解き立ち上がった。




