日記
揺れは10秒位続いていた‥と思う。
恐らく、僕の体感では、震度5はあった。
揺れが完全に収まったのを確認してから、僕は机の下から這い出た。僕らがいた控室には、食器棚等の生活備品設備は何もなく、また、僕らはお茶を飲むのに紙コップを使用していた。そのため、地震発生に伴う衝突音、転倒音の類を耳にする事は無かった。だからであろうか、揺れが止んだ今となっては、地震があった実感が僕には今ひとつ無く、呆然と立ち尽くしていた。
「おいっ、剛志。」
一幸の声で我に返った。
「何だよ、聞いて無かったのか。」
「俺は自宅のトレーディングルームの機械が気になるから、すぐ帰ろうと思う。剛志はどうする。」
「僕も、一応自宅に帰って問題が起きてないか確認するよ。」
「そうか、それじゃあな。」
そう言って、一幸は先に出て行った。
一人になった僕は、すぐにスマートフォンを取り出し、早紀に電話をかけた。
『おかけになった電話番号は、電波の届かない所に存るか‥』
電話は繋がらなかった。
僕は取り敢えず、自宅に帰って彼女からの連絡を待つ事にした。
廊下に出ると、天井の非常灯が点っていた。また、エレベーターは停止しており、階段を使用する事を余儀なくされた。
じんわりと汗をかき、階段を下りながら僕は、改めて地震があった事を実感させられていた。
自宅に着いたのは、それから3時間後だった。
電車は停まっていたし、せっかくタクシーを拾っても、肝心の道路が渋滞していたのだから、当然と言えば当然だった。
恐る恐る中に入った僕は、まず食器棚が倒れていなかった事にホッとした。或いは以前のままだったら、倒れていたかもしれない。ほんの1ヶ月前に、
「ちゃんとストッパーで壁に固定しとかないと、危ないよ。」
と早紀に指摘され、渋々補強したのが、結果として功を奏したのだった。
もっとも、中の食器自体は何枚も割れており、ここにも間違いなく地震が発生した事を物語っていた。
リビングのテレビ、観葉植物‥倒れている物を起こし、配置し直しながら、僕は奥に進んだ。そして、寝室のドアを開けると、ベッドの上と脇に、横の本棚から飛び出し落下した本が十数冊散らばっていた。僕は、それらを1つ1つ拾い上げ、本棚に戻していった。そのうちの1冊で、恐らくは早紀のものであろう介護手法の解説本を拾い上げた時だった。その間から、1冊の大学ノートが滑り落ちた。表紙には『日記』と書かれていた。
倫理的に問題が在るのは分かっていた。しかし、その中身を見たいという自らの衝動を押さえつけられるほど、僕は人格者では無かった。
日記は毎日つけている訳では無く、またその長さもまちまちだった。3行の日もあれば、2ページに渡る日もあった。そして、最初のページはあの同級会の前日になっていた。
[○月△日]
明日は、小学校の同級会だ。今回は仕事の調整がついて参加出来る。私には久しぶりに会いたい人が、2人いる。1人は昔の私を勇気づけてくれた人。もう1人は、私が勇気づけてあげたかった人。
2人が今どうしているか、気になる。会えるといいな。
彼女の日記には、固有名詞は使われていなかった。色んな配慮があっての事だろう。だからといって、僕の読みたいという欲求が無くなる訳もなかった。
[○月△日]
会いたかった人のうち、1人には会えた。でも、その人は元気がなかった。と言うよりも自信を無くしているようだった。もし出来る事なら、今度は私が彼を少しでも勇気づけてあげられたら‥と思う。連絡先を交換出来た。連絡、貰えるかな‥。
もう1人の人は参加してなかった。一瞬似ている人がいたのだが、違った。あの人は、今どうしているのかな?元気でいてくれればいいなと思う。
彼女の会いたかった人の1人は、自分だと確信した。だが、もう1人が誰だったのかが分からない。それが誰なのか、凄く気になった‥。
その時だった。
ガチャガチャと、入り口ドアの鍵穴に鍵を差し込む音がした。
「あれっ、開いてる。」
聞こえた声の主は、間違いなく早紀だった。
僕は、慌てて日記を元の場所に戻した。




