落日
2作品目を書き始めました。前作以上の物にするのが目標です!
今週分の就労を終えた僕は、家路に着いていた。
もう、午後6時を過ぎているのに、前方からは強烈な西日が照りつけてくる。金曜日の仕事あがりで、これからプライベートを満喫しようなどという能天気な奴らには、或いは希望の光に見えたりするのかもしれない。だが、週末を迎える度に、ある種の虚無感に襲われる僕には、まったくもってウザったい。
これから月曜の朝を迎えるまで、恐らくはコンビニでのタバコの銘柄指定以外は言葉を発する事もないだろう。この週末も、特段誰かに会う予定はない。
「おう、久しぶり~。」
「‥?」
予期せぬ他人からの声に振り返ると、ニット帽を被ったいわゆる『今どきの若者』がイヤホン型のマイク超しに電話で会話をしていた。
(まったく、紛らわしい奴らだ。)
(大体、まだ7月だってのにニット帽って可笑しいだろ。)
多少の期待をしてしまった気持ちとのバランスを取るため、心の中でその若者を非難してから、僕は再び家路についた。
いつから、こんな人間になったのだろうか。少なくとも中学までは違った筈だ‥‥と思う。
約一時間後、僕は自宅マンションへたどり着いた。手にはコンビニの袋をぶら下げている。中身は、いつもの銘柄のタバコ、いつもの銘柄のビール、焼き鳥、チーズ、枝豆‥我ながら、孤独な独身男性の象徴のようなラインナップだ。
玄関ホール裏手の郵便受けを確認するのが、毎日の習慣だ。毎日のように投函される不要のチラシを排除するためだ。但し、今日はいつもと少し違っていた。学習塾と不動産屋のチラシと共に1枚のハガキが届いていたのである。
『第5回○△小学校6年4組同級会の御案内』ハガキにはこう書かれていた。
(また、やるんだ‥。)
表記されているように、5回目の開催となる同級会に、僕は過去1度も参加した事がなかった。
小学校時代の僕は、今とは全然違っていた。
何事にも活発で、いつも友達に囲まれて、強い存在感を放っていた。授業では積極的に手を挙げ、昼休みのドッジボールでもいつも活躍し、毎年学級委員長をやるのが当たり前、6年生の時には児童会長などという大役まで担っていた。当時、卒業前に書き合ったサイン帳には「剛志の脳みそと、俺の脳みそ交換してくれ!」「久子と朋美のどっちが好きなの?」「剛志の将来‥総理大臣!」などと書き込まれている。多くのクラスメートが羨望の眼差しで、僕の事を見ていた。僕自身、自信満々で、その先の人生も順風満帆に過ごして行くものだと信じていた。
しかし、違っていた。
中学では、学力テストでそこそこ上位にいて、所属したテニス部でも県大会でベスト4まで進出するなど、それなりに活躍した。友人もそれなりにいて、自分にとっての最低限の尊厳の欲求は満たされていた。先生からも信頼されており、内申書も良かったんだろう。人生初の受験も県内一の進学校に合格する事が出来た。
転換期となったのは、高校時代だ。元々、各中学から優等生ばかりが集まったその中にあって、僕にさしたる活躍の場は殆ど無かった。学力テストも中位、運動能力もスポーツ特待生を相手にしては目立ちようがない。いつの間にか、自信を失い口数も少なく、存在感の薄い『その他大勢』の一人に成り下がってしまっていた。それまで自分を中心としたコミュニケーションを取る事に慣れてしまっていた僕は、いいツッコミ役としてのスキルに乏しく、他のクラスメートからしても面白い人物では無かった筈だ。
そして、迎えた大学受験。努力も大してしなかったくせに、プライドだけは人一倍高かった僕は、偏差値に伴わない有名大学3校と滑り止めの地元の大学を受験した。結果、受かったのは地元の大学だけだった。そして、あろう事かその大学に入らず、浪人を選択した。翌年、再び多くの有名大学を受験したが、結果、合格したのは前の年に合格した大学よりも低い偏差値の、名も無い私立大学1校だけだった。決して金持ちではない僕の親が2度目の浪人など許してくれる訳もなく、僕はその三流大学に入る事となった。
通いたくも無い、自分のプライドも許さない、そんな大学になど、必要最低限の日数しか行かなかった。三流大学で友達を作る気も無かった。コンビニ店員、引っ越し屋、レンタルCD屋、建物清掃‥色々なバイトをした。多少の蓄えをし、参考書を買って勉強をした。この大学から就職出来る会社なんて、たかが知れている。だから会計士の資格を取得すると決めていたからだ。何故、会計士になろうと考えたのか、答えは単純だ。何でもいいから他人から『先生』と崇められる仕事に就きたかったからだった。
現在の僕は、赤坂にある林会計事務所という事務所に属する4人の会計士の1人として働いている。知り合いもロクにいない僕は、何処かの事務所に属さなければ、仕事の注文など取れない。だから仕方なくここで働いている。
僕が同級会に行かないのは、自分のプライドがそれを許さないからだ。自意識過剰も甚だしいと解っている。実際は、他人は自分の事などさして気にも止めていないんだろう。それでも、落ちぶれた自分を見せたくは無かった。久しぶりに会いたい当時の友達が全くいない訳では無かったが、過去の栄光、いい思い出が壊れるのが怖くて、僕の中に出席するという選択肢は存在しなかった。
部屋に入ると、珍しく留守番電話にメッセージが入っていた。再生してみると、母親からの僕の誕生日のお祝いメッセージだった。
(もう、27歳か‥。)
いつも以上の虚無感に襲われ、ソファーに倒れ込んだ僕は、不覚にもそのまま寝てしまった。30分程で目を覚ましたが。コンビニで温めてもらった焼き鳥はすっかり冷めてしまっていた。