白の巫女と終焉
夜月 瑠璃さまのヤンデレフル企画参加作品。
ミシロは、ベッドに腰掛けていた。
長いまっすぐな髪は純白で、立ち上がれば膝裏まで達するだろう。
今は閉じられている目は、光が当たると金色に煌く琥珀色。
ほっそりとした体つきの所為か、ひどく儚げに見える。
弱々しく保護欲をそそるその風情は、微かに震えている為かもしれない。
しん、と静かな室内は、簡素だ。
ベッドと、テーブルと椅子。小さな箪笥とだけ。
テーブルの上には、水差しとコップ。お茶も食べ物もなく、寒々しい印象だ。
少し軋んだ音を立て、扉が開いた。
ゆるりと顔をあげ、ミシロは入ってきた男を見遣った。
ミシロと対象的なまでに、黒々とした髪。瞳はどこか昏い光を宿した鋼色。身に纏う衣服も、黒。
彩る色彩は、赤みを帯びた口唇と、頬についている血の赫。
いや、良く見ると服もかなり血を吸っている。
彼が室内に入った途端に血の香が充満したのは、その所為だろう。
「コクル……血が」
ミシロが、男に声をかけた。感情の伴わない平坦な声。
「返り血だ。私は怪我をしておらぬよ」
ふ、とコクルは笑んだ。
そのままミシロに歩み寄ると手を伸ばした。
朱に濡れた手に怯えたのか、ミシロはびくりと身体を震わせた。
それを拒絶と捉えたのか、コクルは伸ばしかけた手を止めた。
「ああ、お前を汚してしまうな」
じっと見つめるミシロの姿に何を思ったか、コクルは手を戻した。
「私の黒と違い、お前の白い肌、白い髪に血は映えるだろうな」
うっとりと、コクルは呟いた。
「だが、この血は返り血。単なる汚れでしかない。お前を彩るのに相応しくない」
そう告げると、コクルは踵を返した。
「汚れを落としてくる……部屋から出ずに、いい子で待っていろ」
バタン、と音がして扉が閉まり、ミシロはまた独りになった。
ミシロがコクルと行動を共にする様になって、どのくらいの月日が経過したのかは、ミシロは良く分からない。
慣れない逃亡生活で、記憶が随分飛んでいる為だ。
ミシロは、白の巫女だった。
稀に生まれる白い髪の女児は、神殿に引き取られ巫女として育てられる。
物心ついた時から神殿にいたミシロは、両親のことを覚えていない。
質素な生活と、勤めと祈り。そんな単調な日々が全てだった。
白の巫女の真の役割を知らず、ずっとそんな日々が続くとミシロは思っていた。周囲の人々が、そう認識させていたといってもいい。
真綿でくるむように、悪意も欺瞞も、欲望すら教えず。そう育てられたミシロは、自分から何かを望むということを知らなかった。
ただ与えられたものを受け入れ、日々を過ごすだけの存在だった。
コクルに、白の巫女の真の役割が贄であることを教えられた。
18の年を迎えたら、殺されるのだと。
ミシロはそれでもかまわなかった。
今まで育てて貰ったのがその為ならば、殺されようと。
いや、そこまでの意思もなかっただろう。
与えられたものを受け入れるだけのミシロは、それが死であろうと何の疑問も覚えず受け入れるだけだったのだから。
それを否としたのは、コクルだった。
そして、コクルはミシロを攫った。
コクルがミシロに告げる愛というものが、ミシロには良く分からない。
自分を取り戻そうとする追っ手を、コクルが全て倒してきた。
流れる血も、苦痛にうめく声も、悲鳴も、恐ろしいとも怖いとも思わなかった。
淡々と追っ手を殺すコクルのことも、怖くはなかった。
ただ、どうしてそこまでするのだろう、と思うだけ。
自分が贄として必要とされているのであれば、贄として死ねば良いだけだと思っていたから。
しかし、最近はそれも良く分からなくなっていた。
コクルとの生活は、人は自己主張をするものだと知った。
痛い時は痛い、辛いときは辛いと言っていいのだと知った。
自分が特殊な生活をしていたのだと、理解した。
都合の良い駒として育てられたのだと、知ってしまった。
それでも、逃げ続ける事には罪悪感が付きまとう。
殺される追っ手にも、すまないと思う。
何より、白の巫女はこの国の繁栄の為に捧げられる贄だ。
大きな災害もなく、豊かな実りが約束されているのも、白の巫女が捧げられているからだ。
このままでは多くの人が飢え、苦しむ。
それはミシロが逃げ続ける所為だ。
そう思うと、ミシロは恐ろしくなる。
恐怖という感情を知ってしまったから。
自分さえ犠牲になればと、どうしても考えてしまう。
そうすれば人々が苦しむことはない。
それに何よりも。
「何を考えている」
考えに没頭していたミシロは、コクルが戻ってきた事に気付かなかった。
無言のまま見上げるミシロの頬に、コクルは手を添えた。
「追手は全て殺した。これで暫くは静かに暮らせる筈だ」
次々に送られる追手は、だんだんとその頻度が減ってきている。
二人が国境に近づいた所為か、それとも大量に送り込んでいる追手が全て役に立たなかった為か。
「お前が気に病む必要はない」
くつりと笑うと、コクルは指を滑らせた。
ミシロの頬に、赤い筋が描かれる。
「ああ、やはりお前は赫が似合う」
うっとりと眺めると、コクルは指の傷を舐めた。
「お前を彩るのは、私だけでいい。他の輩の穢れなど不要」
ミシロを引き寄せると、コクルはそのまま口付けた。
鉄の味がする接吻。
それは、ミシロが慣れたものだった。
「お前の価値に比べたら、この国など路傍の石にすら劣る。お前を犠牲にして成り立つ繁栄など不要。捨て置けば良い」
何度も告げられた言葉。
頷くことは出来無いが、ミシロは否定することも出来無くなっていた。
コクルに与えられるぬくもりと、熱を知ってしまったから。
「熟れすぎた果実は腐り落ちるだけ。国の終焉など気にするでない」
ミシロを抱く腕に力がこもる。
「私のミシロ」
コクルの囁きが、ミシロの耳朶をうつ。
「お前の全ては私のもの。私のことだけ、考えていれば良い」
ミシロは、ゆっくりと目を閉じた。
恐ろしいのは、国の終焉でも、ミシロの死でもない。
コクルを喪うこと。
自分が戻ったとしても、コクルは無事ではすまない。
だから、戻れない。
大勢の人の幸せよりも、コクルを選ぶ自分は、既に巫女の資格はないのだろう。
ミシロはそう思った。
ミシロは、知らない。
白い髪を持って生まれたのが、当代でミシロだけではないことを。
白い髪、銀の瞳で生まれた女児が、この国の姫だった為に神殿に引き渡されなかったことを。
最初は、純然たる興味だった。
二人生まれた贄の証を持つ女児。
一人は姫として何不自由なく暮らし、一人は神殿で贄として育てられる。
贄と知らず、贄に相応しく育てられる娘とは、どんな存在なのだろう、と。
そうして、コクルは一目で囚われた。
その、煙るような琥珀の眼差しに。
己の意思を全てそぎ落とされたその心に、自分の存在を刻みつけたい、そう思った。
刻み付けるだけでは足りない。
自分のことでいっぱいにしたい。自分だけを見て、自分だけを求めて欲しい、と。
だから、攫った。
何も知らない無垢な心と身体に、自分の存在を教え込んだ。
ミシロが頼れるのは、コクルだけ。
乾いた砂に水が浸み込むように、ミシロはコクルが与えるものを受け、染まった。
もとより、与えられるものを受け入れてきたミシロだ。
それがどんなものであれ、受け入れるだけ。
受け入れた後に、それがどんなモノだか気付いてももう遅いのだ。
コクルという甘美な毒におかされたミシロに、与えられる解毒薬は無い。ただその毒に染まり続けるだけ。
国民の為に祈り続けた巫女はもういない。
コクルはうっそりと笑った。
そう、ミシロは贄だ。
コクルに与えられた贄。
国などには渡さぬよ、そう呟く。
もうすぐ国境を越える。
そこから先は、もう追手を気にする必要は無い。
ミシロと二人で暮らすのだ。
ずっと。
あまり色鮮やかではない気がします。
モノクロに赫って映えると思う。
という作者の趣味で、血の色以外の色は抑えた所為でしょうか。
ちなみに
ミシロ→御白
コクル→黒流
と書きます。