黒い画像
***黒い画像***
インターネットでは、なりたい自分になることができる。
親のつけた名前ではなく自分で考えた名前を名乗り、アイコンやアバターで望みの容姿をまとうことだって可能だ。
自由ないっぽうで、数値や文字列を強制的に要求される機会も多い。
サービスにおけるパスワードや、ID名などがその代表だろう。
ひょっとしたら、そんな文字列も自身を形作る要素のひとつかもしれない。
わたしには、「あるこだわりの文字列」があった。
それは意味のある単語ではなく、他人から見ればただの英数字の羅列だ。
何かのサービスを利用するさい、決まってその文字列でIDを取得していた。
入り浸っていたサイトのコミュニティの仲間同士で、個人サイトを持とうという話になった。
わたしも、メインとなるコンテンツが用意できるわけではなかったが、サイトを開設することにして、とりあえず無料のサーバースペース、カウンター、掲示板などをレンタルしていった。
とうぜん、お気に入りのIDで登録したわけだが、困ったことにお絵描き掲示板(以下、絵板)だけは先に同じIDを使用して登録している人がいたらしく、使うことができなかった。
文字列に何か付け足せば借りることができるが、わたしは酷く落胆した。
ほかのサービスならいざ知らず、絵板だけは嫌だ。
なぜなら、仲間内では絵が上手いほうで、わたしなりにアイデンティティを感じていたからだ。
上手いといっても、別に漫画家やイラストレーター並というわけではない。
中学の美術部を引っ張ってきたら見劣りしてしまうレベル。
それも、たまたまペンタブレットを持っていたために、ペン描きとマウス描きの違いで周囲と差がつけれたという下駄つきの話だ。
絵に対してこだわりがあったが、情熱というよりは執着のようなものだった
わたしには、ほかに特技も才能もなかったからだ。
我がことながら、持たざる者の執着は恐ろしい。
わたしは嫉妬心に駆られ、どんな奴が「わたしのID」で絵板を借りているのか知りたくなった。
そのレンタルサービスでは、IDがそのままアドレスの一部に使用されている。
だから、絵板のURLの一部を書き換えてやれば、目当てのIDで登録されている絵板にジャンプすることができた。
絵板のほうで設定しておけば、設置先のサイトに戻るためのリンクを貼ることもできたため、場合によっては借主のサイトまで特定できるわけだ。
IDを横取りした(笑)絵板にアクセスすると、わたしは面食らった。
二〇〇×二〇〇サイズの黒一色の画像に、「テスト」の文が添えられた投稿がひとつあるだけだったのだ。
しかも、投稿日時も二週間以上前で、半分放置されているような状態だ。
ホームページも設定していないらしく、借主の本拠地を辿ることもできない。
配色などの各種設定もデフォルトのままのように見える。
試しに借りただけなのか不精なのか、とにかく、使っていないのならそのIDを譲れと言いたくなった。
だが、絵板が積極的に活用されているよりはいい状態ともいえた。
たくさんの絵が描かれて繁盛していれば、悪い感情を持ったに違いない。
加えて、最後の書き込みから二週間以上の放置状態である点がいい。
このサービスは、一ヶ月以上の書き込みが無ければレンタル解除の対象にされることになっている。
このまま誰も利用せずにあと二週間ちょっと経てば、わたしがこのIDを取得することができるかもしれない。
しばらくは機能のやや劣る別のレンタルサービスの絵板を自サイトに置き、希望のアカウントが取得出来たら切り替えよう。
こうしてわたしは、この絵板を監視することにした。
毎朝チェックするも、投稿に変化はない。
わたしは美少女の顔面ばかりを描きながら時を待った。
ところが、一ヶ月が過ぎたものの掲示板は削除されず、該当IDを登録することもできないままだった。
猶予期間のようなものがあったのかもしれない。
わたしは納得がいかず、もう一度くだんの掲示板を検めることにした。
相変わらず二〇〇×二〇〇の黒画像が一枚あるだけ。
変化がないのに削除されないのは、管理人が維持するために書き込んでは消したりを繰り返しているのではないだろうか? そんな邪推がよぎる。
恨めしく黒画像をにらんでいると、あることに気が付いた。
いっけん、キャンバスにバケツツールで黒色を流しこんだだけに見える画像だが、よく見るとムラがあった。
わざわざ水彩風ツールで黒を塗り重ねてまっくろにしてあるようだ。
どうも、下に何か描いたうえで塗りつぶしているように思える。
目を凝らしても分からない。
わたしは画像をダウンロードして、ソフトで明暗やガンマ値などの数値をいじってみることにした。
結論から言って、何も分からなかった。
JPEG形式の画像になってしまった時点で、多くの情報が失われている。
描いている経過が見られれば……。
失念していた。わたしはブラウザを操作し、すぐに絵板に戻った。
一部のお絵描き掲示板には、アニメーション機能がついている。
タイムラプスのようなもので、経過情報を保存することであとから動画として描画過程を見たり、続きを描いたりすることを可能とするものだ。
あった。Animationのリンク項目だ。
クリックすると、初期状態の白紙からアニメーションが始まった。
キャンバスの中央辺りに、ベージュ系の下地で適当に色が塗り広げられ、やや暗いベージュで縦線や特徴的な二つのくぼみのような描写がされる。
すぐに分かった。目鼻だ。これは、誰かの顔を描いている。
陰影が塗り重ねられ、目の細部が描写され、まるで成長するかのように絵がリアルになっていく。
そして、ハイライトが描き込まれ、いのちが宿った。
描きあがったのは、狭いキャンバスいっぱいの目鼻。
それはこちらを見ていた。眼球の血管や水分、網膜までがリアルだった。
今にもまばたきをしそうだった。
緊迫した表情だ。瞳の奥からは憎悪のようなものを感じた。
全体像はようとして知れないが、どこかで見た顔だと感じる。
だが、思い出せない。
思い出せないまま、せっかく描かれた絵は黒で塗りつぶされ始めていた。
ほぼ黒一色となってアニメーションは終了。
呆然と黒い画像を見ていると、モニターに反射したぼやけた像に気づく。
わたしだ……。
もう一度、描画アニメーションを再生し、完成したところで止める。
二〇〇×二〇〇の世界から、確かにわたしがわたしをにらんでいた。
こんなもの、誰がなんの目的で描いたのか。
胸の中で燃えていた憤怒は冷え、背筋まで凍りはじめていた。
じつをいうと、絵板の借主にはあたりをつけていた。
といっても、コミュニティ内の仲の悪い人がいやがらせでやったのではないかという、言いがかりに近いものだったが、どうやら違ったようだ。
仲の悪いそいつとは、現実世界では面識がない。
わたしはインターネットに顔を晒していないので、この絵は描きようがない。
そもそも、彼の絵は小学生のやるマンガの模写のようなものばかりだ。
誰かに相談しようかとも思ったが、できる相手がいない。
わたしの顔面の一部が描かれているのだ。ネットの知り合いは頼れない。
現実の友人なら「自分でやったんだろ」と一蹴されるだろう。
しばらくは、この「目鼻」が頭から離れなかった。
目を閉じると、まぶたの裏にあの絵が張りついているかのように浮かんだ。
三日三晩悩んだ挙句、わたしはコミュニティの信頼できる友人に相談した。
自分の顔ではなく、誰かの顔というていで見てもらえばいいのだ。
わたしは絵板のURLを送信した。
「ページが無いって出るよ?」
そんなバカな。
だが、アクセスすると「404 Not Found」の文字が表示される。
まさかと思い、絵板の公式サイトへアクセスして登録を試すと……通った。
表示されたのは初期設定の白を基調としたページ。
当然だが、投稿された記事はゼロ。
あの目鼻のあった絵板は、削除されてしまったのだ。
あれは本当にわたしだったのだろうか?
いや、気のせいだったのかもしれない。自意識過剰というやつだ。
わたしは友人には冗談だったと伝え、目鼻のことは忘れることにした。
目当てのIDを手に入れ、お絵描き掲示板の運用が始まった。
絵板を開設すると、ご祝儀的に投稿が集中する。
友人たちがさまざまな絵を描いてくれた。
だが、勢いは最初だけだ。
よほど熱心な人でも居ない限り、投稿はまばらになっていく。
なにせ、コミュニティの仲間がみんな同じように絵板を持っているのだ。
全部を回るのは無理だし、当時の一般的なパソコン環境で小さいキャンバスを相手にするのは、けっこう面倒なことでもあった。
数日程度でわたしの投稿と誰かの投稿が交互になるような状態になってしまった。
あれだけ執着をした上に不気味な思いまでをして手に入れたIDも、これでは浮かばれまい。
しかも、こともあろうかそれを手放す羽目となった。
なぜなら、定期的に二〇〇×二〇〇の黒い画像が投稿されるからだ。
管理画面からIPを調べるも空欄。こんなことがあるのだろうか。
黒い画像は、消しても消しても現れた。
Animationのリンクをクリックすれば、またあの目鼻が現れるのか?
確かめる勇気などなかった。
わたしは描画アニメの保存設定をオフにして、ただ削除を続けた。
けっきょく、黒い画像は絵板を手放すまで投稿され続けた。
わたしが見たあれは、なんだったのか。
たちの悪いいたずらか、執着心の見せたまぼろしか。
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