第九話「ぶつかる気持ちと溢れる言葉」
学院祭まで、あと十日。
準備は最終段階に入り、失敗が許されない空気が学院全体を包んでいた。
展示棟では、最後の配置確認が行われている。
「……この机、少し左に」
アリスティアの指示は、いつも通り正確だった。
「了解」
ヒリスは指示通りに机を動かす。
だが、二人の間に会話以上のものは生まれなかった。
……距離がある。はっきりと。
「……ヒリス」
「ん?」
「その配置では、動線が塞がれます」
「え?」
「図面、見ましたか」
責める声ではない。だが、冷たい。
「……見た」
半分は本当だ。だが、集中しきれていなかった。
アリスティアは、深く息を吸った。
「……確認を怠らないでください」
その一言が、ヒリスの胸をはっきりと刺した。
「……俺、ちゃんとやってるだろ」
思わず、声が出る。
アリスティアがぴたりと動きを止めた。
「……何ですか」
「最近さ」
ヒリスは拳を握る。
「ずっとそんな感じじゃん」
「……そんな、とは?」
「距離取って」
無意識に言葉が荒くなる。
「話そうとしても、業務の話しかしない」
アリスティアは、ゆっくりと彼を見る。
「……それが、何か問題ですか」
「問題だよ!」
声が、思ったより大きく響いた。
周囲の生徒がちらりとこちらを見る。
「俺たち係だろ?」
「はい」
「でも、それだけじゃ――」
「それだけです」
遮るように、言い切られた。
「それ以上を、期待する理由がありません」
ヒリスは、言葉を失った。
(……期待)
その単語が、胸の奥で重く響く。
「……じゃあ」
声が、低くなる。
「俺が、ミレナと帰ったりしても……何も、思わないんだな」
突然の言葉だったが、アリスティアの目がわずかに揺れた。
だが、すぐに冷静な色に戻る。
「……それは、あなたの自由です」
「……っ」
その答えが、何よりも残酷だった。
「……そうかよ」
ヒリスは笑おうとして、失敗した。
「俺、勘違いしてたみたいだ」
「……勘違い?」
「委員長がさ」
一歩、前に出る。
「俺のこと、少しは信頼してくれてると思ってた」
アリスティアは、黙ったままだ。
「役に立ちたいって言ったの、嘘じゃない。でも、そんなふうに言われるなら」
声が、震える。
言うつもりのない言葉が、口から溢れ出る。
「もう、いい」
その瞬間。
「……やめてください」
アリスティアの声も、初めて感情を帯びた。
「被害者のような言い方をしないでください」
「……は?」
「あなたは、誰にでも同じです」
その言葉は、鋭かった。
「優しくして、距離を縮めて」
「……違う」
「違いません」
彼女は唇を噛みしめる。
「だから……」
声が、わずかに震えた。
「だから、期待する方が、間違っているのです」
沈黙。
それは、生活魔法の風よりも、もっとずっと冷たかった。
「……なるほど」
ヒリスは、ゆっくりと息を吐く。
「俺が悪かった」
アリスティアは答えない。
「勝手に特別だと思っちゃって」
彼は、背を向けた。
「もう、業務だけにしよう」
足音が、遠ざかる。
残されたアリスティアは、その場に立ち尽くしていた。
(……違う)
言葉にした気持ちは、本心ではない。
(……私は)
……胸が、痛い。
だが、彼女はそれを「正しさ」で押し込める。
(これで、いい。……これが、正しい)
そう思わなければ、立っていられなかった。
◇ ◇ ◇
その夜。
アリスティアは、自室で固有魔法を使った。
だが魔法はやはり、感情を整理してはくれない。
ヒリスの背中。
傷ついた声。
(……私は)
初めて、自分の言葉で誰かを傷つけた。
その事実が、重く、胸にのしかかる。
◇ ◇ ◇
一方。
ヒリスは、家に帰ってもいつものように笑えなかった。
弟妹達に心配され、「疲れてるだけ」と笑って誤魔化す。
だが、布団に入って目を閉じても、眠れない。
(……期待する方が、間違い)
その言葉が、何度も頭の中で響いた。
(……そうかもしれない)
自分は、誰かにとって特別になれるような人間じゃない。
(でも……)
それでも。
アリスティアの横顔が、どうしても、頭から離れなかった。




