第八話「滲む夕焼けとすれ違い」
すれ違いは、突然起こるものではない。
多くの場合、「言わない」「聞かない」という小さな選択の積み重ねでできあがる。
◆ ◆ ◆
昼休み。
教室の空気は、いつも通りだった。
笑い声、机を引く音、微風魔法の気配。
だが、アリスティアの中ではずっと一つの思考が渦を巻いていた。
(……ヒリスは、私に何を求めているのですか)
彼が隣にいる時間は、増えている。
仕事も、以前より真剣だ。
けれど……踏み込んでくることはない。
(……期待、してはいけない)
自分にそう言い聞かせる。
期待するから、苦しくなる。
期待するから、壊れる。
それが、これまでの人生で学んだ結論だった。
◇ ◇ ◇
放課後。いつもの準備係の打ち合わせ。
アリスティアは、工程表を広げながら言った。
「この工程、前倒しします」
「了解」
ヒリスは即答した。
最近の彼は、指示に逆らわない。
冗談も減った。
(……距離を、取られている?)
一瞬、そんな考えが浮かび、すぐに否定する。
(違います。私が、距離を取っているのです)
アリスティアは、あえて事務的に続けた。
「学院祭当日、私たちは来客対応と装置管理を分担します」
「俺は、装置管理でいい?」
「……はい」
終わる会話。少しの沈黙。
ヒリスは、言葉を探していた。
(……聞きたい)
最近、冷たい理由。
視線を合わせない理由。
だが――
(聞いて、もし答えが違ったら)
自分が、それに耐えられるかどうかわからなかった。
「……じゃ、そうしよう」
結局、そう言うだけだった。
アリスティアは、内心で小さく息を吐く。
(……聞かれなかった)
聞かれたくなんてなかったはずなのに、それがなぜか、胸に引っかかった。
◇ ◇ ◇
その日の帰り。
昇降口で、ミレナがヒリスに声をかけた。
「ヒリスくん、今日一緒に帰らない?」
ヒリスは反射的にアリスティアを見る。
彼女は、靴を履き替えながらこちらを見ていなかった。
(……誘えば、いいのか?)
一瞬、迷う。
だが、さっきの距離を思い出す。
(今踏み込むのは……違う)
「……いいよ」
ヒリスは、ミレナに向かって言った。
「ほんと? やった」
ミレナは少しだけ驚いたあと、すぐに笑った。
「じゃ、行こ」
「……ああ」
アリスティアをおいて、ヒリスはミレナと帰路につく。
その様子を、遠くなる二人の背中を、アリスティアは視界の端で見ていた。
夕焼けで赤く滲むその光景は、胸を奥をジクジクと痛めつけた。
◇ ◇ ◇
「学院祭まであと少しだね」
「……ああ」
「ヒリス君はクラスの方の準備にいないから、ちょっと寂しい」
「……そっか」
(……完全に上の空じゃん)
学院からの帰り道、ミレナはヒリスの生返事を聞き唇を尖らせる。
「ねえ、聞いてる?」
「聞いてる聞いてる」
「……じゃあヒリス君さ、委員長のことどう思ってるの?」
突然投げかけられた問いに、ヒリスは面食らう。
「……は?」
「だから、委員長のこと。前は真面目な人だって言ってたけど、今は?」
ミレナの質問の意図が分からず、ヒリスはなおも困惑する。
「……なんでそんなこと聞くんだ?」
「いいから答えて」
有無を言わさぬ口調に気圧され、ヒリスは眉を寄せ言葉を探す。
今、自分は彼女を遠くに感じている。
理由も聞けず、わからないまま、距離だけが開いている。
……けれど、悪くだけは言いたくなかった。
「……真面目だよ。変わらず」
「……そっか」
その感情の機微を、ミレナは目ざとく見つけ出す。
ミレナは気づいていた。
最近、ヒリスとアリスティアの間にぎこちない空気が流れていたことに。
……それはチャンスのはずだった。
けれど、苦しげな二人の顔を見て、ミレナの胸は罪悪感で苦しくなった。
彼らの間を、引っ掻き回した自覚があった。
彼女は悪役に徹せるほど、アリスティアのことを嫌ってはいなかった。
ミレナ・フォーシスは、心優しい少女だった。
だからこの問いは——自身の心を一歩先へ行かせるためのもの。
ミレナは、精一杯の笑みを浮かべた。
「それなら、いい」
「……なんだよそれ」
「なんでもなーい」
夕焼けに染まるその顔は、どこか晴れやかにも見えた。
◇ ◇ ◇
その夜。
アリスティアは、自室でノートを開く。
固有魔法を発動し、状況を整理する。
ヒリスは優しい。
でもそれは、誰にでも同じ
自分はただの同じ係。
期待するような立場ではない。
……結論は、いつも同じ場所に辿り着く。
(……期待する方が、間違っている)
◇ ◇ ◇
一方。
ヒリスは、天井を見つめていた。
(知りたいって、距離を縮めたいって、そう思ってたはずなのに……)
放課後にした選択を思い出す。
帰り際、少しだけ振り返って見た彼女の横顔は、少しだけ、ほんの少しだけ悲しそうに見えた。
……気のせいかもしれない。
でも、気のせいじゃないかもしれない。
ぐるぐると回る思考は、彼の心を重くした。
(どうすれば、いいのかな)
明確な答えなど、出てきはしない。
◆ ◆ ◆
翌日。
アリスティアは、距離を取った。
業務以外の会話はしない。
必要以上に、視線を向けない。
ヒリスはそれに気づき、しかし、何も言えなかった。
(……やっぱり……俺、間違えたのか)
だが、聞く勇気は、まだなかった。
こうして。
すれ違いは偶然ではなく、二人の「選択」によって、静かに完成してしまった。




