第四話「小さな噂と確かな壁」
変化とは、本人たちが気づくよりも先に周囲に伝わる。
それは生活魔法で起こす微風よりも、ずっと速く、ずっと無遠慮だった。
「最近の委員長さ、ヒリスと一緒にいること多くない?」
昼休みの教室。
ひそひそとした声が、机と机の間を縫うように流れる。
「準備係だからでしょ」
「それだけ?」
誰かが笑う。
アリスティアは、その視線を感じていた。
(……見られている)
ノートに視線を落としながらも、周囲の空気が変わっていることは理解できる。
彼女は、噂に慣れていなかった。
正確には、「誰かと結びつけられる噂」に、だ。
「委員長」
そんな中、突如かけられた声に顔を上げる。
「準備の件、ちょっといい?」
クラスメイトの女子が廊下を指差しながら、やや距離を取って話しかけてくる。
廊下で話そうということだ。アリスティアは黙って立ち上がった。
「……なんでしょう」
「ヒリスに、あんまり任せすぎない方がいいよ?」
その言葉は善意のようで、そうではないと直感する。
「……理由は?」
「だって、あいつだし」
含みのある言い方。
アリスティアは、少し考えてから答えた。
「彼は、任された仕事をしています」
「え?」
「それに、適材適所です」
アリスティアの頑とした声音に女子は言葉に詰まり、曖昧に笑って去っていった。
(……なぜ、私は)
胸の奥に、小さな違和感が残る。
ヒリスを庇った。
そんな意識は、なかったはずなのに。
◇ ◇ ◇
一方、その当の本人。
「え、俺?」
ヒリスは友人たちに囲まれていた。
「そうだよ。最近委員長と仲いいよなー」
冗談めかした、笑い混じりの声。
「仲いいっていうか……」
ヒリスは少し言葉を選ぶ。
「一緒に作業してるだけだよ」
「へー?」
「でもさ、委員長って近寄りがたい雰囲気あるじゃん」
「ヒリス、よく平気だな」
友人の言葉に、彼は少し考える。
「……近寄りがたいっていうか」
ふと、アリスティアの横顔が浮かぶ。
資料を見つめる真剣な目。
疲れているのに、誰にも頼ろうとしない姿。
「ちゃんとしてる人だと思う」
その言葉に、友人たちは一瞬黙った。
「……真面目だな、お前。珍しく」
ヒリスは、照れくさそうに笑った。
「一言余計だろ」
だが、胸の奥では、確かな感情が芽生え始めていた。
(ちゃんとしてる、だけじゃない)
それを言葉にするには、まだ早い。
◇ ◇ ◇
放課後。準備係の作業中。
「……視線、増えましたね」
アリスティアがぽつりと言う。
「え?」
「こちらを見ている人が」
アリスティアの言葉に、ヒリスは周囲を見回す。
「あー……まあ」
ぽりぽりと気まずそうに頭をかく。
「噂、立ってるっぽい」
「……噂」
「俺と委員長が、どうこうってやつ」
その言葉に、アリスティアは作業の手を止めた。
(……やはり)
「……気にする?」
ヒリスの問いは、慎重だった。
「……業務に支障が出るなら、問題です」
あくまで機械的な答え。
だが、その声はほんの少しだけ硬った。
「そっか」
しかし、ヒリスはそれ以上踏み込まなかった。
(無理に聞くのは、違う)
そう思ったからだ。
その沈黙が、逆に彼女の胸をざわつかせる。
(……なぜ)
彼が何も言わないことが、少しだけ寂しいと感じてしまった。
その事実に、アリスティアは大いに戸惑う。
(私は、何を期待しているのですか)
その答えは、まだ整理できない。
◇ ◇ ◇
その日の帰り道。
準備で遅くなる日は、ヒリスがアリスティアの横に並び家まで送っていた。
だが今日は、いつもより少し後ろを歩いていた。
並んでしまうと、また噂の的になる。
無意識に、距離を取っている自分に気づく。
アリスティアは前を歩きながら、それに気づいていた。
(……避けられている?)
違うと、理性ではわかる。
だが、胸の奥がきゅっと締め付けられる。
立ち止まり、振り返る。
「ヒリス」
「ん?」
「……今日は、ここまで大丈夫です」
「了解」
それだけ。
だが、二人の間には見えない壁が生まれていた。
噂という名の、些細で、しかし確かな壁。
それが、次の波乱の前触れだとはまだ誰も知らない。




