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第三話「生活魔法と変わる距離」

 生活魔法実習の教室は、いつも少し騒がしい。

 派手な魔法が存在しないこの学院で、それでも生徒たちが一番「魔法を使っている実感」を得られる授業だからだ。

「今日は“持続型微風”の安定化をやるぞー」


 教師の声が響く。


「洗濯物、換気、温度調整。全部、失敗すると地味ぃ〜に困るやつだ」


 教師のおどけた様子に笑いが起こる。

 ヒリスは、席で小さく伸びをした。


(これ、苦手なんだよな……)


 自分には力を込めすぎる癖があるという自覚がある。 生活魔法は「ちょうどいい」を保つのが一番難しい。


 一方、一番初めに教師に呼ばれたアリスティアはすでに集中状態に入っていた。

 姿勢は正しく、指先の角度すら無駄がない。 風は教科書の端を揺らす程度に、完璧な強さで流れている。


「……さすが委員長」

「やっぱ安定感あるよね」


 小声の賞賛が彼女の耳に届く。

 だが、アリスティアの表情は変わらない。


(当然の結果です)


 そう考えることで自分を保っていた。


「ヒリス・イーノン」


 教師が声をかける。


「次、お前だ」

「はいはい」


 ヒリスは立ち上がり、魔力を巡らせる。

 アリスティアと同程度の強さの、良い微風が吹き始める。

 だが——


「うわっ」


 一瞬風が強くなり、紙が舞い上がった。


「あっ……すみません」


 舞い上がった髪が教師の頭にかかり、教室が笑いに包まれる。


「またかよ」

「ヒリス、加減覚えろって」


 ヒリスは苦笑しながら魔法を止めた。


(……やっぱダメか)


 諦念を滲ませながら席に戻ろうとした、その時。


「……ヒリス」


 小さな声。

 振り返ると、アリスティアがこちらを見ていた。


「出力を最初から一定にしようとしないでください」

「え?」

「最初は弱く。そこから、少しずつ」


 淡々とした助言。

 だが、彼女はヒリスだけを見ていた。


「……わかった」


 戻ろうとしていた足を止め、もう一度、魔法を使う。


(最初は弱く、そこから、少しずつ……)


 ゆっくりと。

 今度は、風が安定した。


「お」


 教師が頷く。


「できてるじゃないか」

「……やった」


 ヒリスは、思わず笑った。

 その笑顔に、アリスティアはほんの一瞬だけ視線を逸らす。


(……できるのに)


 なぜこの人は、自分を低く見積もるのだろう。


 ◇ ◇ ◇


「委員長、さっきありがと」


 その日の休み時間、ヒリスが声をかける。


「いえ、大したことはしてません」


 機械的な返事。だが、その声はどこか柔らかい。


「それとさ」


 彼は、少し照れたように続ける。


「教えてもらうの、嬉しかった」

「……?」

「俺、よく『どうせできない』って言われるから」


 アリスティアは言葉を失った。


(……どうせ、できない)


 その言葉は、彼女にとってあまりにも馴染みのないものだった。


「……私は」


 彼女は、ゆっくりと口を開く。


「できない前提で人を見ることは、ありません」

「そっか」


 ヒリスは少しだけ驚いた顔をしたあと、笑った。


「それ、嬉しいな」


 その一言が、胸の奥に残る。


(……嬉しい)


 感情をそう言葉にされることが、なぜか新鮮に思えた。


 ◇ ◇ ◇


 放課後。準備係の作業は今日も続く。

 アリスティアは、作業表を見直しながら言った。


「展示の配置、少し変更します」

「理由は?」

「動線が混雑します」


 よどみない即答。


「……なるほど」


 ヒリスは素直に納得した。


(前なら、適当に聞き流してたかもな)


 そう思い、少しだけ背筋を伸ばす。


「じゃあ、机運ぶか」

「無理は――」

「大丈夫」


 彼は、固有魔法を使って机を持ち上げた。

 その背中を、アリスティアは黙って見つめる。


(……頼っても、いいのかもしれない)


 そんな考えが、ふと浮かぶ。

 だがすぐに、頭を振った。


(……そんなの……)


 だが確実に、二人の距離は少しずつ変わり始めていた。

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