第二話「固有魔法と少しの変化」
ヒリスの家は、学院から歩いて五十分ほどの場所にある。
石畳の整った通りを外れ、生活魔法の灯りがまばらになるあたり。
道幅は少し狭くなり、建物は年季を帯びている。
「ただいまー」
玄関の扉を開いた瞬間、返事よりも先に音が聞こえた。
「にいちゃん!」
「おかえり!」
「ねえ見てこれ!」
同時に複数方向から飛んでくる声。
「ちょ、順番! 順番な!」
ヒリスは笑いながら靴を脱ぐ。
居間は決して広くはない。
だが、常に人の気配があった。
一番下の妹が床に広げた教科書。
弟が壊しかけた生活魔法式のランプ。
母が台所で温度調節をしているスープの湯気。
「今日は学院どうだった?」
母親からの問いかけに、ヒリスは一瞬考える。
「……まあ、いつも通り」
嘘ではない。
ただ、全部話すと長くなるだけだ。
「ねえお兄ちゃん、委員長って人、どんな人なの?」
突然一番上の妹が聞いてきた。
「なんで知ってんの?」
「教室でなんかやってるの見かけた」
(見られてたのか……)
ヒリスは頭をかく。
「……真面目な人。めちゃくちゃ」
「へー……怖い?」
「いや、怖いっていうか」
言葉を切り、腕を組んで言葉を探す。
「……ちゃんとしてる」
それが、今の精一杯の表現だった。
◇ ◇ ◇
夕食後に弟妹が寝静まった後、ヒリスは机に向かっていた。
学院祭の資料。アリスティアから渡された工程表を広げて。
(……正直、難しい)
理解できない部分もある。
だが、投げ出したくなかった。
「俺がやらなきゃ」
口をついて出た言葉に、自然とそう思っている自分に気づく。
家でも学院でも、誰かの役に立つことがいつの間にか自分の存在理由になっていた。
◆ ◆ ◆
翌日。
学院の裏手、資材置き場。
「これを、展示棟まで運びます」
アリスティアが簡潔に指示を出す。
「了解」
短い返事の後、ヒリスは木箱を持ち上げた。
ずしり、と重さが腕にのしかかる。
(使うか……)
彼は深く息を吸い、魔力を巡らせる。
すると、重さの感覚が変わった。
筋肉の使い方が自然と最適化される。
「よっ……と」
木箱は驚くほど安定して運ばれた。
アリスティアがその様子を見て目を瞬かせる。
「それは……」
「俺の固有魔法だよ。ちょっと便利でしょ」
にこやかな顔で冗談めかして言うが、彼にとっては日常だ。
家で荷物を運ぶ時。弟妹たちを支える時。
使わない理由はない。
「……そうですね。とても」
「だろ?」
アリスティアに褒められ、ヒリスは少しだけ誇らしくなる。
「委員長の固有魔法は?」
「私の、ですか?」
「うん」
アリスティアは、一瞬だけ言葉を選ぶ。
「……思考を整理する魔法です」
「へえ」
「物事を正しく、効率的に」
「すごいね。もしかして、感情とかも?」
ヒリスの問いは、無邪気だった。
アリスティアは、答えなかった。
彼女は視線を逸らす。
彼は、それ以上聞かなかった。
(……触れちゃいけないとこ、だったか)
そういう勘だけは妙に鋭かった。
◇ ◇ ◇
作業がひと段落し、二人でベンチに腰を下ろす。
「……あなた」
アリスティアがぽつりと話しかける。
「どうして、あんなに自然に、人の役に立とうとするのですか」
突然の質問に少し驚いた後、ヒリスは少し考えてから答えた。
「……慣れ、かな」
「慣れ?」
「俺、長男なんだよ」
彼は、空を見上げる。
「下に四人もいてさ。しかも家も貧乏だから、やらないって選択肢ないんだよね」
弟妹たちのことを思ったのか、ひどく優しげな表情を浮かべた。
アリスティアは、その言葉を胸の中で反芻する。
(……選択肢がなかった)
自分と同じだと思った。
だが、どこか違う。
「……あなたは」
アリスティアは言葉を続けようとして、やめた。
まだ聞くべきじゃない、と、そう思ったから。
その日、彼女の中でヒリス・イーノンという存在は、ただの「成績の悪いお調子者」ではなくなっていた。




