第十四話「学院祭と示す行動」
学院祭当日。
フロートゼ魔法学院は、いつもより少しだけ音が多かった。
微風が飾り布を揺らす音。
湯を温める魔法により、ぽこりと立てる小さな気泡音。
たくさんの人の笑い声が、廊下に満ちている。
派手さはない。
けれど確かに、「特別な日」の空気があった。
◆ ◆ ◆
アリスティアは朝から展示棟に立っていた。
工程表はすでに頭の中にある。
確認すべき項目もすべて把握している。
(……問題は、ありません)
そう結論づけようとする。
——だが、胸の奥が少しだけ騒がしい。
(……これは)
緊張、ではない。
「アリスティア」
背後から声がした。
振り返ると、思った通りヒリスが立っていた。
制服がいつもよりきちんとしている。
それのせいか、少しだけ照れくさそうだ。
「……何かありましたか」
「いや」
彼は、首を振る。
「ちゃんと、来たなって思って」
「当たり前です」
即答。
だがその声は、いつもより柔らかい。
「……ありがとう」
ヒリスは、ぽつりと言った。
「昨日のこと」
「……こちらこそ」
二人の間に、静かな理解が流れる。
「……さて、頑張りますか!」
「……はい」
フロートゼ魔法学院の学院祭が始まった。
◇ ◇ ◇
展示が始まると、人の流れは途切れなかった。
「へえ、これが生活魔法の応用か」
「地味だけど、すごいな」
生徒も教師も、足を止めて見入っている。
アリスティアは、説明役として前に立った。
「この装置は、魔力を抑えつつ一定の効果を維持します」
落ち着いた声に明瞭な説明。
だが彼女の視線は、時々無意識にヒリスを探していた。
ヒリスは少し後ろで装置の様子を見守っている。
(……いる)
それだけで、胸に抱える緊張が少し落ち着いた。
◇ ◇ ◇
昼過ぎ。
訪れる人が途切れ、少しだけ一息つける時間。
「……順調ですね」
アリスティアが言う。
「だな」
ヒリスは、頷いた。
「俺たち、やったな」
「……はい」
その言葉に、小さな達成感が滲む。
「なあ、アリスティア」
そう呼びかけたヒリスは、少しだけ真剣な顔になった。
「今日が終わったらさ……ちゃんと、話そう」
アリスティアは、一瞬だけ言葉を失う。
でも、
「……はい」
逃げずに、そう答えた。
「……約束、です」
「うん」
それだけで、十分だった。
◇ ◇ ◇
午後。
展示棟の中央で、最後の実演が始まる。
クラスメイトも、教師も、たくさんの人たちが集まった。
その中には、アリスティアの両親やヒリスの家族達の姿もあった。
「来てくれたんだ」と、アリスティアの心に温かさが滲んだ。
展示棟の中央に設置されている装置は、一見すると地味だった。
透明な水路。
小さな風導管。
温度調整用の種火制御盤。
見物人の中には、首を傾げる者もいる。
「……これ、何が起こるの?」
「もう動いてない?」
そんな声が、ひそひそと交わされる。
その最中、アリスティアは一歩前に出た。
「この装置は、生活魔法による環境安定循環装置です」
凛としたよく通る声が響き、視線が集まる。
「生活魔法は一つひとつは単純です。火は熱を生み、風は空気を動かし、水は潤いを与える」
アリスティアは制御盤に手を置いた。
「ですが、それらを同時に、長時間安定させることは決して簡単ではありません」
観客の中から、小さな相槌が漏れる。
「一つが自己主張しすぎれば、他が崩れます。熱が強すぎれば不快になり、風が強すぎれば落ち着かず、水が多すぎれば環境そのものを壊します」
アリスティアは、はっきりと言った。
「この装置は、それぞれの魔法が『自分だけで完成しない』ことを前提に作られています」
彼女は、意図的に操作を加えた。
湿度制御盤がわずかに振れる。空気がほんの少しだけ重くなる。
「……あれ?」
「ちょっと暑くなった?」
ざわめきが起こる。
その時に。
「昨日、この装置は壊れかけました」
低い声が前に出る。ヒリスだった。
観客の視線が、一斉に彼に集まる。
「原因は単純です」
彼は、装置の支持フレームに手をかける。
「支える部分が、足りなかった」
固有魔法を発動する。
装置全体に走っていた微細な振動が、嘘のように収まる。
魔力循環による負荷が、均等に分散されていく。
ヒリスは、動かない。
押さえつけるでもなく、力任せでもなく、ただ『そこにあるべき力』として支えている。
「一人じゃ無理だった」
その言葉に、アリスティアはほんの一瞬だけ視線を向けた。
そして、深く息を吸い固有魔法を発動する。
温度。
風量。
湿度。
すべてが彼女の中で数値として整理され、最適な配置へと再構築されていく。
——違う。
今までとは、違う。
彼女は、一人で背負っていない。
「……安定します」
その声と同時に、装置の挙動がぴたりと落ち着いた。
——空気が変わる。
暑くもなく、寒くもない。
風は感じないのに、息がしやすい。
「……何も起きてない」
「なのに……」
誰かがぽつりと呟いた。
アリスティアは、その言葉を拾うように言った。
「それが、生活魔法です。気づかれないまま、日常を成立させるための魔法。そして——」
一度、ゆっくりと目を閉じて——そして、開く。
「一人では、成立しない魔法です」
拍手が起こる。
派手ではない。
だが、確かに心からの拍手だった。
アリスティアの両親の目には、わずかに涙が滲んでいた。
ヒリスはゆっくりと手を離した。
装置はなおも安定して動き続けている。
彼は、少しだけ笑った。
「……ちゃんと、動いてるな」
アリスティアは隣に立ち、頷いた。
「はい」
その一言には、昨日までとは違う意味が宿っていた。
二人は何も言わず、並んで観客を見渡す。
この瞬間、すでに二人は理解していた。
これは、ただの実演ではない。
互いに支え、役割を分け、一緒に立つという選択を——すでに「行動で示している」のだと。
——そして。
その選択を言葉にしなければならない時が、すぐそこまで来ていた。
◇ ◇ ◇
拍手が収まり、人々が次の動きを探す——その一瞬。
「……ちょっと、いいですか」
ヒリスの声が、思ったよりもはっきりと響いた。
「え?」
「何?」
教師が一歩前に出かけ、だが、ヒリスの表情を見て足を止める。
冗談ではない。ふざけてもいない。
それが、誰の目にも明らかだったからだ。
アリスティアは、その背中を見つめていた。
(……? 何を——)
はっ、と。
とある可能性に思い当たる。
その瞬間、バクバクと心臓がうるさく波打ち始める。
ヒリスは、自分の制服の裾をぎゅっと握りしめていた。
(……大丈夫)
これまで、家でも学院でも人前に立つことは何度もあった。
……けれど、これは違う。
誰かのために、自分の感情を正面から差し出す。
「俺……」
声が、少しだけ震えた。
「俺、勉強できないし」
ざわり、と彼を知る者は小さく笑う。
「家も貧乏だし、正しいこととかも、よくわかんない」
しかし笑いは、次第に消える。
ヒリスは、続けた。
「でも」
視線が、一直線にアリスティアを捉える。
「アリスティア・ウィグサムが、どれだけ頑張ってるかは知ってる」
名前を呼ばれ、アリスティアの喉がきゅっと鳴った。
「誰にも頼らず正しくあろうとして、間違えないように、壊れないように、ずっと踏ん張ってる」
周囲が、静まり返る。
「俺はさ」
ヒリスは柔らかく目を細める。
その目は、一途にアリスティアを見つめていた。
「そんな君を、尊敬してる」
一瞬、言葉を選ぶ間。
けれど、口から出た言葉は真っ直ぐだった。
「……好きだ」
——空気が、止まった。
次の瞬間。
「えええ!?」
「マジで!?」
ざわめきが爆発する。
それでも、ヒリスは続けた。
「一緒にいたい。隣に立ちたい」
声は、もう震えていない。
「……俺と、付き合ってください」
静寂。
それは、自然の風すら止めてしまったかのような、完全な沈黙だった。
……アリスティアはうつむき、そして一歩、前に出た。
足が、少しだけ震える。
(……今度は、私の番)
床へ向いた視線を、ゆっくりともう一度ヒリスへと向ける。
「……ばか」
小さな声。
だが、ヒリスの耳には確かに届いた。
「……こんな」
アリスティアは言葉を探す。
「こんな場所で……こんなふうに……」
胸が、苦しい。
(……でも)
アリスティアは、深く息を吸った。
固有魔法は使わない。
——自らの感情を、整理しない。
「……私は」
声はまだ、小さい。
「正しくあることしか、知りませんでした」
けれど、胸の内が溢れるような言葉は確かに紡がれる。
「期待することも、頼ることも、怖かった」
一瞬、言葉が詰まる。
「……でも」
それでも、ありったけの思いを言葉にのせて。
「あなたとなら……間違えてもいいと、思えました」
小さな、しかし、確かな声。
「……好きです」
一拍。
次の瞬間――
拍手と歓声が、展示棟を揺らした。
「おおおー!」
「委員長が照れてる!」
「ヒリス、やったな!」
ヒリスは呆然と立ち尽くし、恐る恐る尋ねた。
「……それって」
「……はい」
アリスティアは、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「お受けします」
その言葉に、さらに大きな歓声が上がった。
◇ ◇ ◇
そこから少し離れた場所で。
ミレナ・フォーシスは、その光景を見て静かに息を吐いた。
(……終わった)
胸の奥が、少しだけ痛む。
だが、不思議と後悔はなかった。
(……よかったね。アリスちゃん)
それは、本心だった。
◇ ◇ ◇
ヒリスは観衆の前で深く頭を下げた。
「……ありがとうございました」
教師が咳払いをする。
「えー……実演は以上だ」
どこか、優しい声だった。
◇ ◇ ◇
騒ぎが落ち着いたあと。
二人は展示棟の外で、少し離れた場所で並んで立っていた。
「……すごかったですね」
アリスティアが言う。
「……やっちゃったな」
ヒリスが頭をかく。
「後悔、してない?」
「……少しだけ……でも」
彼女は、彼を見る。
「……嫌では、ありません」
「……じゃあ、よかった」
微風が二人の間を通り抜ける。
派手な魔法はない。
けれど。
確かに、誰かの人生を変える力が、そこにはあった。




