第十一話「恋した少女と恋する少女」
ミレナ・フォーシスは、眠れない夜を何度も越えてきた。
恋をしていると自覚した日から、ずっと、そうだった。
(……ヒリスくんは、優しい)
それは事実だ。
誰にでも分け隔てなく、手を差し伸べる。
だからこそ、自分が「特別」になれる可能性が限りなく低いことも、彼女は最初からわかっていた。
(……でも)
諦めきれなかった。
人を好きになることは、理屈では制御できない。
……だから、見て見ぬふりをしてきた。
ヒリスの視線が、無意識にアリスティアを追っていることも。
アリスティアが、自分でも気づかないまま彼を中心に世界を揺らしていることも。
(……でも、今は)
状況が変わってしまった。
二人は、壊れかけている。
このままでは、誰も、何も、得られない。
◆ ◆ ◆
翌日。昼休み。
ミレナは、アリスティアの席の前に立った。
「委員長」
「……何でしょうか」
いつも通りの、冷静な声。
だが、その奥にある疲労をミレナは見逃さなかった。
「少し、話せる?」
「……今は」
「大事な話」
いつになく真剣なミレナの声。
アリスティアは、数秒迷ってから立ち上がった。
「……わかりました」
二人は、人気のない渡り廊下へ向かう。
窓からは、微風が吹き込んでくる。
「……何の用ですか」
先に口を開いたのは、アリスティアだった。
ミレナは、深く息を吸う。
「ねえ、委員長」
呼び方を、少しだけ柔らかくする。
「ヒリスくんのこと、どう思ってる?」
直球だった。
アリスティアは一瞬、言葉を失う。
「……それは」
「答えなくてもいい」
ミレナはすぐに続けた。
「でも、私から話したいことがある」
アリスティアは、黙って頷いた。
「私ね……ヒリスくんのこと、好きだった」
——「だった」。
その言い方に、アリスティアの胸がわずかにざわつく。
「……だった?」
「うん……たぶん、今も完全には終わってない」
苦笑いを浮かべたミレナの、正直な言葉。
「でも」
視線を上げ、まっすぐにアリスティアを見る。
「彼が見てるのは、私じゃない」
アリスティアは、思わず視線を逸らした。
(……そんな)
「委員長さ」
ミレナは、声を落とす。
「自分が、どんな顔してヒリスくん見てるか、知ってる?」
アリスティアは答えない。いや、答えたくない。
「すごく、必死」
その一言は、アリスティアの胸を貫いた。
「私はね」
ミレナは少しだけ笑う。
「その顔、好きだった」
「……どういう」
「本気で誰かを見てる顔だから」
アリスティアは、唇を噛みしめた。
(……私は……)
「でも、委員長」
ミレナは、続ける。
真剣な目で、真剣な声音で。
「それなのに、何も言わないのは、不公平だよ」
「……っ!」
「ヒリスくん、傷ついてた」
その言葉に、アリスティアの胸が強く締め付けられる。
「……私は」
声が、震える。
「正しく、あるべきだと」
「うん」
「期待することは、間違いだと」
ミレナは首を振る。
「期待することは、悪くなんかない。伝えないことの方が、残酷」
その言葉は優しくて、しかし、容赦がなかった。
しばらく、沈黙。
自然の風が、渡り廊下を通り抜ける。
「……私」
アリスティアは、ゆっくりと口を開いた。
「怖かったんです……誰かを、特別にしてしまうことが。それで、関係が壊れてしまうのが」
ミレナは、静かに聞いていた。
「……でも」
アリスティアは拳を握る。
「もう、壊れてしまいました」
「……そうだね」
ミレナは、肯定した。
「でも、だからこそ、選べる」
「……選ぶ?」
「向き合うか、逃げるか」
ミレナは、少しだけ視線を落とす。
「私は……向き合わないことを、選ぶ」
その言葉は、自分の恋に幕を下ろす宣言だった。
「委員長は?」
問いが投げられる。
アリスティアは、しばらく考えた。
固有魔法はを使わずに。
——逃げずに。
そして、答えた。
「……向き合います」
声は震えていた。
だが、確かだった。
ミレナは、ほっとしたように笑った。
「そっか」
「……ありがとう、ございます」
アリスティアは、深く頭を下げた。
「いいよ」
ミレナは軽く手を振る。
「……その代わり、ひとつお願いがある」
少しだけ躊躇いがちな、緊張を孕んだ声音でミレナはそう告げる。
「……なんでしょう」
「アリスちゃんって、呼んでもいい?」
「……え?」
予想だにしない言葉に、アリスティアは目を見開いた。
「実は前から、友達になりたいって思ってたんだ。もう許してはくれないかもだけど……」
「……いえ、是非とも、お友達になりましょう」
そう言って微笑んだアリスティアに、ミレナは満面の笑みを返す。
「ホントに?! いいの?!」
「ええ」
「じゃ、じゃあ、私のことはミレナって呼んで?」
「……わかりました。ミレナ」
互いに名前を呼びあって、互いに笑顔を交わし合う。
打ち解け合うのに、もうそれ以上はいらなかった。
(……ありがとう、アリスちゃん)
人の気持ちは、すぐには切り替わらない。
それでも、ミレナの心ははっきりと前を向いていた。
◇ ◇ ◇
放課後。
ミレナは、ヒリスを呼び止めた。
「ヒリスくん」
「ん?」
「一つだけ、言わせて」
彼女は、笑う。
「アリスちゃんのこと、ちゃんと見て」
ミレナの真っ直ぐな声にヒリスは押し黙る。
「見ないふりするの、優しさじゃないから」
それだけ言って、去っていった。
ヒリスはその場に立ち尽くす。
(……ちゃんと、見る)
その意味は、もうわかっていた。




