表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/10

屋根を借りる者

部屋を掃除しながら時計を見上げる。

まもなく午後に差し掛かろうとしていた。

作り置きの昼食を確認し、お嬢様の部屋へ向かう。

「お嬢様」

扉をノックする。

「なにー?」

気の抜けた返事が、扉の向こうから聞こえた。

「少し出て参ります。夕方ごろにはもどってきますので」

扉の向こうにいる気配を確かめるように、わずかに間を置く。

「うん、分かった」

ベッドの上で身じろぎする音が聞こえた。

「お嬢様、お出かけなさる場合は、必ずご連絡をくださいね」

「……分かった」

少し間をおいて、返事が返ってきた。

「では、行ってまいります」

そう告げて、扉から離れた。



行き慣れた道を抜ける。

タクシーを手配する事もできるが、やはり歩く方が性に合っている。

程なくして目的地のビルについた。

懐からカードキーを取り出し、エレベーターに乗る。

静かに目的の階へと運ばれた。


豪華なエントランスが私を迎え、初老のスーツの男が出迎えた。

一瞬、驚いたような顔をしたが、すぐに何事もなかったかのように恭しくお辞儀をする。

「お久しぶりでございます」

「ええ、久しぶり」

カードを手渡すと、カウンターへと誘導される。


「お久しぶりです、ご機嫌はいかがですか?」

何度か応対してもらったことのある黒人の女性。

背は低いが、服の上からでも、しっかりと鍛え上げられているのが分かる。

笑顔ではあるが、以前より事務的で、どこかよそよそしい。


「悪いわよ」

取り繕うことなく、そう答えた。

そう、気分は最悪だ。

ちらりと、黒人の受付嬢の隣にいる白人の女性を見る。

目が合うと、にこりと微笑むが、その表情にはわずかな影があった。


───そう言えば、旦那様の担当をよくしていた。


そんなことを思い出しながら、処理を終えたカードを受け取る。



奥へと進む。

何人も通れそうな広い廊下。

私の足音だけが、やけに大きく響く。

たまにすれ違う事務スタッフは、ぎょっとしたような表情を浮かべながらも、道を譲り、恭しく頭を下げる。


「これは、珍しいですね」


すれ違いざま、声をかけられる。

白衣をまとった───医師だ。

「もう復帰なさるので?」

首を横に振る。

「様子を見に来ただけよ」

それだけを告げ、通り過ぎようとした。

「残念な結末となってしまいましたね」

背中に投げられた言葉。


残念───その単語に、視界が一瞬、赤く染まる。


振り返り、言い返しそうになる衝動を、どうにか飲み込んだ。

「そう、ね。予想外だったわ」

相手の望む言葉や反応を必死で抑え、淡々と答える。


この医師も油断ならない。

こちら側の顔をしていながら、れっきとした組織の人間だ。

何を、どこまで報告されるか分からない。

多くを語らず、逃げるようにその場を離れようとする。


「あなた”達”も、ゆめゆめ気を付けるべきですよ」


その言葉に足が止まった。

何を知っているのか。

どこまで知っているのか。

それならいっそのこと───。

無意識に、衣服の内側へと指がかかる。

けれど、それ以上は動かなかった。


「アバズレじゃねえか!」

その空気を切り裂くように、背後から子供じみた声が響く。

この場所で、最も聞きたくない声。

振り向かず、視界に入れないように歩みを進める。


「無視すんじゃねえよ!」

ずかずかと革のブーツが床を乱暴に叩く音。

いつの間にか、医師の姿は消えていた。

あの飄々とした医師でさえ、関わりたくない存在なのだろう。


「そんなに夜の相手が死んで悲しいのかぁ?」

覗き込むように立ちはだかる赤ずきん。

赤い帽子の影で、歪んだ笑みを浮かべる口元だけが見える。

「また、叱られたいみたいですね」

溜息まじりに言う。

「へへ、やってみろよ。今度はお前を地面に這いつくばらせてやるぜ」

赤ずきんは腰に手を当てた。


革のベルトに、少女の体躯に不釣り合いな歪な大型ナイフ。

左腰、抜けばそのまま逆手に収まる位置で揺れている。

右腰には無造作に差し込まれた手斧。


どちらも、ろくに手入れをされていないのだろう。

錆と血糊が、抜かれるのを待ちわびるように怪しく光っていた。


「余計なヤツがやっと死にやがったんだ! 何がまだお前を縛ってるのか知らねえが、それもぶっ壊して、とっとと続きと行こうぜ!」

その言葉に、せき止めていたものが溢れ出す。

空気が一段と淀み、重くなる。


「へへ、やっと本気になったのかよ……」

恍惚とした笑みを浮かべ、赤ずきんが身をかがめる。

私も覚悟を共に、衣服の内側にある冷たい感触に、そっと手を当てた。


「こんな所で争いはよしてくれませんか?」

割って入る声。

事務スタッフに連れられてきたのだろう、背の高い眼鏡の男が立っていた。


こけた頬に、ギョロっとした目。

神経質そうなのが見た目からでも分かる。


「RED CAPレッドキャップ。騒がしいのは、仕事だけにしてください。でなければ、居場所さえも失いますよ」

赤ずきんの禍々しい雰囲気にも気にせず言った。

その言葉に赤ずきんは舌打ちをし、武器を収める。


「つまんねぇ……おい、アバズレ。リクエストはずっとしてるんだ、そろそろ受けろよな!」

そう言い残し、去っていった。

「珍しいですね、House Keeperハウスキーパー。あなたらしくない」

戦闘態勢を解除しながら、近づいてくる男と正対する。


「虫の居所が悪くてね」

この男の名前は知らないが、事務スタッフを束ねている存在なのは知っている。

「───忙しそうね」

疲れたような男の顔色を見ながら、言葉を続ける。

この男ならあるいは。

「欠番の調整ですよ。そろそろあなたにも戻ってもらわないと」

旦那様の顔が、脳裏をよぎる。

「あいにく、まだ契約途中だから」

「依頼者不在で、失効でしょう?」

少し、安堵する。

「違うわ。契約の失効は、私が死んだ時だけよ」

そう言い踵を返す。


───今日は、ここまでだ。


灯お嬢様の顔が浮かぶ。

早く、帰らなければ。

「そうですか。ただ、気を付ける事です」

その考えを見透かすように、背中に男の声が投げかけられる。

「我々は、屋根を借りるだけの者に与える慈愛を、そう多くは持ちませんから」

振り返らず、私は家路についた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ