表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/10

主のいない朝

けたたましくなる音。

体を起こすことなく、手だけを動かしてスマートフォンに手を伸ばす。

アラームを止めてから、ゆっくりと体を起こした。


いつ通りの朝。


もやがかかった頭を抱えながら、のそのそと着替える。

制服を整え、リビングへと入った。


主のいないダイニングテーブルに、思わず目がいく。

きれいに折りたたまれた新聞紙が、主に開かれるのを今か今かと待っている。

ひどく空虚に感じた。

その光景に心臓がキュッと掴まれたような感覚を覚える。


「おはようございます、お嬢様」


料理の手を止め、わざわざ台所が出てきた喜伊さんが、深くお辞儀をしながら言う。


「……おはよう、喜伊さん」


花が咲いたような微笑みに、思わず私の口元も緩んだ。

いつも通りの喜伊さんの動きや表情に、張り詰めていたものが、少しだけ軽くなる。


何も言わなくとも、テーブルの上に朝食が並べられていく。

トースト二枚に添えられたジャム。

ハムエッグとサラダ。

牛乳にヨーグルト。


いつも通りの朝食。

それなのに、どうしても食欲が余り沸かなかった。


「ねぇ、喜伊さん───」

「朝ごはんは、一日の始まりですからね。しっかり食べないと力が出ませんよ」


減らして、と続けようとした言葉に、喜伊さんはかぶせるように言う。

にこにこと微笑みながら言われてしまうと、それ以上何も言えなくなった。


「いただきます」


椅子に座り、並べられた朝食に手を伸ばす。


「おいしいよ……喜伊さん」

「それはようございました。お代わりもございますから、たくさん召し上がってくださいね」


いたずらっぽく、喜伊さんは笑う。

そんなに食べたら太っちゃうよ。

そう軽口をたたきながら、ふと目の前の椅子を見てしまう。

いつもなら、ここで新聞を読みながら、微笑んでいるんだろうな。


───どうして、あの日、約束なんてしたんだろう。


「───ッ」

感情が高ぶる。

飲み込んだものがせりあがってくる感覚。

鼻の奥がつんとし、目頭が熱くなった。


「お嬢様」

台所にいたはずの喜伊さんが、音もなく隣にいた。

「大丈夫ですよ、お嬢様」

固く握りしめていた私の拳を、そっと包み込む。

「喜伊が、おそばにいますからね」

優しい笑みを浮かべたまま、片手で私の頭を撫でてくれる。

「喜伊さん……!」

思わずその胸に顔をうずめた。

嗚咽を噛み締めながら、子供のように、強く抱き着く。

そんな私を、喜伊さんは何も言わず、ただ静かに頭を撫で続けてくれた。




「これから……どうすればいいんだろう」

胸に顔をうずめたまま、呟くように言う。

今まで当たり前だったものが、突然、消えてしまった。

言葉にできない不安と、底の見えない絶望。


「ねぇ、喜伊さん」

すがるように、その顔を見上げる。

喜伊さんなら、きっと何か答えを持っている。

この状況を救ってくれる言葉を、くれるのではないか。

そんな私の思いを見透かしたように、喜伊さんは、いつも通りの笑顔を浮かべた。


「焦ってはいけませんよ」

諭すように、優しく言う。

「答えはすぐに出るものではございません。お嬢様には、心を整理する時間が必要です」

涙で濡れた瞼を、そっと撫でてくれる。

「その答えは、お嬢様自身で見つけなければなりません。どのような答えになっても。どのような結末を迎えたとしても。私の答えではなく、灯お嬢様が答えを出すべきです。───後悔をなさらぬように」

それに、と言葉を継ぐ。

「どのような結末を迎えようとも、灯お嬢様のおそばに、喜伊はずっといますから」

まっすぐな瞳が、私を見つめていた。


「喜伊さん、ありがとう」

もう一度、その胸に顔をうずめる。

花のような優しい匂い。

喜伊さんの匂い。

嗅ぎなれたその香りに、すこしだけ安心する。

何も分からない私は、まだ何も決められない。

そんな私を置き去りにするように、世界は今日も、何事もなかったかのように進んでいった。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

この章より、灯が立ち上がり、ゆっくりとですが進んでいきます。

その進んだ先に何があるのか。

灯は、喜伊は、何を感じ、何を思い、進んでいくのか。

読んだ方の心に残るように、できる限り丁寧に書いていきたいと思います。

よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ