一房の冷たさ
マリオネットは急に止まる。
何かを受け取るように。
「もう、おわり」
そう呟いて、素早い動きで部屋からベランダへと飛び出した。
部屋の高さをものともせず、飛び降りる。
重い物が地面に落ちる音。
───もう、おわり。
マリオネットのその言葉に、嫌な予感がして、自室へと走る。
何もなかったかのように、静かな室内。
開け放たれたクローゼットの扉。
ぽっかりと暗闇だけが見える隠し扉の奥。
そして、部屋の真ん中に散らばる、髪の毛。
───お嬢様が……いない。
「お嬢様!」
お嬢様の部屋に向かう。
そこにもお嬢様はいない。
「お嬢様ぁ!」
狂ったように叫びながら、探す。
真様の部屋。
いない。
お風呂場。
いない……。
トイレ。
いない───!
よろよろと、自室へと戻る。
「お嬢様……?」
その声は空しく、響くだけだった。
ぺたりと、腰が抜けたように、床へ尻餅をつく。
「お嬢様が……いなくなってしまわれた……」
口から出たその声は、ひどく現実感がなかった。
視界の端にうつる、髪の毛。
這いずるように散らばった髪の毛へと近づいた。
震える手で髪の毛を、一本一本集める。
「お、お嬢様」
私が毎日梳く髪の毛。
一つ拾うごとに胸がつぶれるほどの苦しみ。
自分自身への憎しみが募っていく。
意味のない行為だ。
だけど、震える手は、動きを止めない。
「お嬢様……!」
両手にかき集められた、一房の髪。
そこにポタリと雫が一滴。
失ったものを取り戻すように、髪の束を掻き抱く。
だけど、そこにはもう、お嬢様の温かさはなかった。
「───ッ!」
空に向かって声にならない叫び声をあげる。
喉がつぶれるほど。
血を吐きだしそうなほど。
それは遠吠えのように、遠く遠く響いた。
その声が届いて、返ってくるのを待つように。
返ってくるはずがないと、分かっていながら。
叫ばずには、いられなかった。
鈍い痛みに、目が覚める。
目を開けるが、辺りは暗く、自分がどこにいるのか、分からない。
「ここ、は?」
独り言を呟くが、その声は闇へと吸い込まれていった。
立ち上がろうとすると、足を取られる。
そこで初めて、自分が縛られている事に気づく。
手首と、足首。
手錠より頑丈な、金属の拘束具のようなもの。
ふと、鼻歌が聞こえる。
楽しそうに。
嬉しそうに。
遠くでぼんやりと、見える。
長い黒髪の少女。
───あの少女だ。
私の目の前に現れた、あの少女。
黒いドレスと黒髪は闇と同化し、白い顔と手だけが浮かび上がっている。
鼻歌を歌いながら、自分の爪にマニキュアを塗っている。
血のように黒いマニキュアを。
目が覚めた私に気づき、にっこりと微笑む。
「あら、お目覚め?」
ふぅっと爪に息を吹きかけながら近づいてくる。
「もう少し待っててね。パーティの役者が揃うまで」
ちらりと、視線を遠くに這わせる。
その視線の先を見るが、薄暗く何も見えない。
そんな私の頬に、つっと爪を這わせる。
乾ききっていないマニキュアが、血のように私の頬に赤い線を描く。
楽しみで笑いが堪えられないように、口は笑みで歪む。
その顔に背筋が凍る。
「楽しみだわ。どんな顔をしているのか。想像するだけで───」
笑いを抑えるように、少女は自らを抱きしめる。
だが、堪え切れず、少女は高らかに笑った。
恐ろしかった。
彼女は、なにを楽しんでいるのか。
なにがそんなに待ち遠しいのか。
分からないことが怖かった。




