穢された声
───早すぎる。
想像よりも、あまりにも相手の動きが早い。
胸の中で舌打ちをしながら、お嬢様を自室へと引っ張る。
もう、乱暴だとか言っていられない。
お嬢様は戸惑いながらも素直について来てくれている。
事前に準備していた小部屋へとお嬢様を押し込んだ。
「いいですか、お嬢様。決してここから出ないでください。必ずです。私がここを開けるまで。私の声が聞こえても。……約束ですよ」
伝えたいことはたくさんある。
だけど、そんな余裕はない。
必要最低限の言葉だけ。
なにも言わない、言えないお嬢様の返答を待つことなく扉を閉めた。
───願うことなら、この扉を開けるのが私でありますように。
そう、想いをこめながら。
リビングの扉を静かに開ける。
息を整える。
ベランダの方へ目を向けると、一人の少女が立っていた。
被ったボンネットからサラサラの長い銀髪が伸びている。
フリルのついたペールブルーのドレス。
ふくらはぎまである裾の広がったスカート。
まさにフランス人形のような少女。
ゆっくりと歩き、窓に手を当てる。
まるで飴細工のように、ガラスを破りながら室内へと入った。
黒いバルブトゥが、ガラスを踏み鳴らす。
何事もなかったかのように、私と正対する。
「マリオネット。そんなにいい条件を提示されたのですか」
感情の読めない瞳が、はじめて私を見た。
「めいれい、されたから」
懐からシェフナイフを取り出す。
「あなた一人で来たの?」
もう片方の手にボーニングナイフを。
「しらない」
こちらが戦闘態勢をとっても、微動だにしない。
ただ、ガラス玉のような瞳が、私を見ている。
「なにも疑問に思わないのですか?」
マリオネットは、かくっと人形のように首を傾げた。
そうだ、こういう奴だった。
構わず、左手で持ったシェフナイフをマリオネットに向かって振るう。
躊躇なく、マリオネットはそれを手で払った。
金属同士がぶつかるような甲高い音があたりに響き、肉片と血が地面に模様を描く。
刃物を素手で防ぐことに、恐怖はないのか。
肉がそげることに、痛みは感じないのか。
マリオネットの瞳からは、なんの感情も読み取れない。
シェフナイフをマリオネットの心臓に向かって突き出す。
それを横にかわすマリオネットへ、反動をつけた回し蹴りを放った。
鈍い音。
想像より重い感触。
マリオネットは蹴りをもろに受け、地面を転がった。
だが、苦悶もなにも感じさせない顔でむくりと立ち上がった。
───やりづらい。
有効なのかどうか。
判別もつかない。
恐怖も見えないから、脅しもきかない。
───灯お嬢様。
視線だけを自室へと向ける。
マリオネットが来たということは、サタンもいるはずだ。
あの性悪が、何を考えているのか。
少しでも早く、目の前の敵をどうにかしなければ。
焦る私の背後から、声が聞こえる。
「お嬢様!」
廊下に響くその声に、心臓が跳ねる。
私の声だ。
「お早く、そこから逃げて!」
私の声を利用して、お嬢様に───。
想いを穢されたような気がして、噛み締める奥歯がギシりと鳴る。
───あの性悪が!
脳裏に浮かぶ、意地の悪い笑みを浮かべる少女。
その声に気を取られていると、マリオネットが肉薄してきた。
喉元を掴もうとする手をシェフナイフで防ぐ。
マリオネットは構わず、その刃を掴んだ。
血が弾ける。
刃でちぎれそうな指も、ものともしない。
胸元に伸びる片手をボーニングナイフで貫いた。
だが、マリオネットは眉一つ動かさない。
思い切りマリオネットの腹を蹴り、距離をとる。
「そんなに、だいじ?」
自分の手に刺さったボーニングナイフを見ながら、不思議そうにカクリと首を傾げる。
「あのこが、そんなにだいじ?」
なにが聞きたいのか。
なにが知りたいのか。
抑揚のない声は、何も教えてくれない。
「えぇ。大事ですよ。命を懸けてもいいぐらいね───!」
シェフナイフをマリオネットに向かって投げる。
マリオネットは半身になってそれを避けた。
地を這うように移動し、懐からペティナイフを取り出す。
マリオネットの足元から、首元を狙って払った。
マリオネットの首が、パックリと開く。
───やった。
狙い通りの攻撃に思わず弛緩した。
してしまった。
その傷をものともせず、マリオネットは掴みかかってきた。
握りこまれた肩に激痛が走る。
空いた手が、またも私の喉元を狙う。
それを防ぎながら、掴まれている腕をひねり、背負うように投げ飛ばした。
マリオネットの手から、無理やり外した肩がきしむ。
それでも、マリオネットは何事もなく立ち上がる。
あらぬ方向に曲がった腕を気にすることなく。
まるで、おもちゃのように首をぶらぶらとさせながら。
パックリと開いた首。
血が流れるその奥に、人間のものではない金属的なものがちらちらと見えた。
焦る。
その気持ちが、私の体をうまく動かせてくれない。
最悪の結末が脳裏によぎる。
───お嬢様、どうか、私を信じて。
願いを胸に、マリオネットへと再度攻撃を仕掛けた。
言いようのない、不安を抱えながら。




