いつも通りの朝
ぱちり、と目が覚めた。
枕元に置いたスマ-トフォンを手に取り、時間を確認する。
目覚ましが鳴るより数分早い。
ベッドから身を起こし、パジャマを脱ぐ。
身支度を整えながら体にまかれた包帯へと目を向けた。
血のにじみも、ずれもない。
このまま服を着ても問題なさそうだ。
ワイシャツに腕を通し、スラックスをはく。
ネクタイを締めながら自室を出て、リビングへと続く扉を開けた。
ふわり、とコーヒーの香り。
香ばしい、朝食の匂い。
まだぼんやりとした頭を、やさしく刺激する。
「旦那様、おはようございます」
キッチンから、エプロンに身を包んだ女性が料理の手を止め、恭しく頭を下げた。
際立って美しい容姿というわけではない。
その所作や声が、女性の美しさを引き上げている。
微笑んだ顔は「花が咲く」という言葉がよく似合い、見ているだけで心が穏やかになる。
豪邸ならともかく、築数十年のマンションの一室には、どこか似つかわしくない存在だ。
「おはよう」
挨拶を返しながら、いつもと同じようにダイニングテーブルへ向かい、用意されていた新聞を手に取って腰を下ろす。
挨拶を終え、台所へ戻った女性は、こちらが新聞を読む速度を測っていたかのように、ちょうどいい頃合いでコーヒーと朝食を並べていった。
その所作は素人目にも完璧だ。
まるでホテルのウェイターが給仕しているかのようだった。
焦げひとつないトースト。
ベーコンエッグに、彩りよく盛られたサラダ。
高級な食材が使われているわけではない。
だが、配置や完成度から女性の料理の腕がうかがえた。
新聞をひと通り流し読みをし、朝食を口に運んでいると、
「おはよー」
眠たげな声が聞こえた。
制服姿の少女が、寝癖をのこしたままリビングへ入ってくる。
「あ、お帰りお父さん。何時に帰ってきたの?」
そう言いながら、少女───娘は向かいの椅子に腰を下ろした。
「日が変わる少し前かな」
「そっか、遅かったね。あ、喜伊さん、私はトースト二枚で」
「はいはい」
エプロンの女性───喜伊は微笑みながらあらかじめ用意されていたかのような速さで、娘の前にも朝食を並べた。
違う点があるとすれば、飲み物はコーヒーではなく牛乳で、トーストにはブルーベリーとイチゴのジャムが添えられていることだ。
「旦那様、コーヒーのお代わりは?」
「もらおう」
空になったカップを見計らったように、喜伊は新しいコーヒーを注いでくれる。
早々に食べ終わった私は、コーヒーを飲みながら再び新聞へ目を戻した。
流し読みした中で興味がある所をじっくりと読んでいく。
新聞の向こう側では今日の予定や夕食の話、弁当の中身について、娘と喜伊が和気あいあいと話している。
───いつもの日常だ。
思わず目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。
この幸せを、噛み締めるように。
「大丈夫? 疲れてるんじゃないの?」
娘が新聞越しに、こちらを覗き込む。
「あぁ、大丈夫だ」
安心させるように笑ってみせるが、娘の表情はどこか納得していない。
「最近、また帰るの遅いじゃん。無理しないでよね」
もういい年なんだから、と付け加えながら娘は朝食を平らげていく。
「まぁまぁ、お嬢様」
喜伊が食器を片付けながら、やんわりとたしなめる。
「旦那様のお仕事は忙しくなったり、お暇になったりと波があるそうですから。しばらくすれば、またお早くお帰りになりますよ」
皿を下げると、今度は櫛を手に取り、肩まである娘の髪を丁寧にとかし始めた。
この光景も、昔から変わらない。
娘も気持ちよさそうに身を委ねている。
「まぁ、そうだな。昨日で仕事は一段落したから、しばらくは早く帰れるようになるよ」
その言葉に、満足したように娘は笑った。




