まだ、つまらないままで
少女は静かにナイフを抜いた。
逆手に持たれた禍々しいそれは、不釣り合いな小さな手に、不思議なほど馴染んでいた。
今まで騒がしかった周囲の音が消える。
まるで、この世界に私と少女しかいないような感覚。
「……なんで、デクノボーもアバズレも必死になるんだ」
震え、何もできない私を見て、独白のように吐き出される少女の言葉。
心底つまらなそうな、今から潰す害虫を見るかのような視線。
「こんなガキの為に───犬死にだな」
その言葉に、父の顔が浮かぶ。
最後まで笑顔だったあの人の顔。
「……と、父さんを侮辱しないで」
反射的に出た言葉。
怖い。
苦しい。
避けようのない死が目前に迫っていても。
父の生き様を。
父の死を。
侮辱されるのは許されなかった。
死の足音が、また一歩近づく。
それに重なるように、革のブーツが低く鳴った。
迷いのない、ためらいのない音。
死は、もう目の前にある。
強大で、抗うことのできない。
理不尽で、理由のない災厄のような存在。
ひたりと、少女の持つナイフが、私の首元に触れる。
金属独特の冷たい感触。
あと少し力を籠めるだけで、すべてが終わる。
死神の鎌を首にあてられながらも、恐怖で震える足を、なんとか踏ん張らせる。
私は、引かない。
引くことはできない。
たとえ、これが最後だとしても。
あの暗い部屋で誓った決意を、無かったことにしたくなかった。
「……おもしれぇな」
少女は楽しそうに口元を歪める。
「大抵の奴は、ビビッてしょんべん漏らしたり、命乞いをするもんだが……」
覗き込むように顔を寄せる。
ぎらつく瞳が私を見る。
「お前は、なにを見ている?
なにを感じている?
なにをしようとしている?」
私の中をすべて見通そうとするように、息が交わるほど、少女の顔は近い。
「お前は、何を決意した?」
今までの少女の喋り方とは違う、落ち着いた声。
目の前にいるのが、少女なのか。
妙齢の女なのか。
それとも人外の存在なのか。
少女の存在が近づけば近づくほど、分からなくなっていく。
少女の問いかけに私は答えられない。
その問いに対しての答えを、まだ持っていないからだ。
「……ふん。まぁ、いいや」
少女は、問いの答えも聞かず、刃を収める。
「簡単に死ぬなよ」
今まで静かだった世界に、音が戻るような感覚。
何事もなかったかのように、少女は背を向けた。
「まだ、お前はつまんねぇままだ」
そう言い残し、少女は闇に溶けるように去って行った。
気付けば家の前に立っていた。
さっき起こった出来事も、あの少女の存在も、夢だったかのように現実感がない。
「灯お嬢様!」
そこへ髪を振り乱し、息を切らした喜伊さんが駆け込んでくる。
そこには、いつも完璧な喜伊さんは、どこにもいなかった。
私と目が合う。
無事にいることへの驚き。
無事でいてくれたことへの安堵。
「はは……、よかったぁ」
そんな感情がごちゃ混ぜになった笑顔。
私は初めて、喜伊さんの本当の笑顔を見た気がした。
「喜伊さん……!」
思わず、胸に飛び込む。
触れた耳元で、いつもの穏やかな鼓動とは違う、早鐘のような心音が響いていた。
こんなにも心配してくれた人。
私の身を案じ、”完璧”を投げ捨ててまで。
それが、たまらなく嬉しくて、愛しかった。
喜伊さんは驚いたように、けれど何も言わず、いつも通り、優しく私の頭を撫でてくれた。




