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プラトニック  作者: 島 尚夏
第二部 黒原鉄山 編
9/9

帰り道

今時、家族以外の面会を原則禁止している病院も少なからずあるから、こうして二人で押しかけてすんなりと掛崎の病室に行けるか不安だったが、それは杞憂に終わった。

「失礼しまーす」

 病室のドアを開けると、掛崎はベッドの上でダンベルを持ち上げていた。上体だけ起こし、呼吸を整えながら。

 その鬼気迫る表情に、俺は一瞬、ここがジムなのかと錯覚したぐらいだ。

ストイックすぎるだろ。そりゃ、県選抜にも選ばれるわけだ。

「お、結衣と……テツか。珍しい組み合わせだな」

 掛崎は、耳山駅での俺がそうだったように、楠本を見て一瞬固まっていたが、俺の存在に気づくと予想通り厳しい目線を向けた。

 そしてダンベルを置く。

 いつからその作業をやっていたのかわからないが、彼の上腕二頭筋は今にもはち切れんばかりにパンプアップしていた。逞しい体。

しかし、彼の右足にぐるぐると巻かれた硬そうなギプスを見て、掛崎が骨折していることを再認識した。

「足……大丈夫?」

 楠本は心配そうに聞く。

「まあ……大丈夫じゃないかも」

「そうだよね、ごめんね」

「謝らなくていい、来てくれてありがとな」

「ううん、全然。これ、お母さんから。よかったら食べて」

「お、さんきゅ。何が入ってる?」

「ゼリーだよ」

「ゼリーか。食べやすくて助かる。ありがとな。食べるわ。まあ明後日には家に帰るんだけど」

「あ、そうなんだ」

「おう、別に病気とかじゃないから、入院とかはなくて、松葉杖で生活する感じだな。ちょっと良くない骨折の仕方だったから、定期的にリハビリをしに病院に来なきゃいけないけど」

「リハビリ……大変だね」

「そうでもないさ、先生も一ヶ月もすれば自分の足で歩けますって言ってくれたし」

「良かった……でも一ヶ月……」

「まあ、その間はできることをやるだけ。体は鍛えられるし」

「そうだね」

 なんというか、俺はすっかり蚊帳の外で、(はた)から見れば二人はスポーツ選手とその妻みたいな会話をしていた。

「おい、そこにいるお前は何をしに来たんだ」

 突然話しかけられた。しかもなんか喧嘩腰。

 いや、喧嘩別れをしたんだから、当たり前か。

「別に。暇だから来ただけ」

 俺のぶっきらぼうな返事に、掛崎の表情はなお険しくなった。

「暇で人の見舞いに来るなよ」

「ち、ちがうの、私が一緒に来てってお願いしたの」

「楠本が?そっか」

「う、うん……」

 気になっていたことを聞く。

「にしても、掛崎が骨折するなんて、相手にNBAプレーヤーでもいたのかよ」

 掛崎はジロッとこっちを見た。

「んなわけねえだろ。足を入れられたんだ」

「足……」

「ああ、シュートして、俺が着地するべき場所に相手が足を入れてきたんだ。俺は足元を見てなくてな。気づいたら目の前に地面があった。そして立てなくなった」

「それは……悪質だな」

「ああ、悪質だ。わざとでもわざとじゃなくても悪質だ。人生に関わる」

 掛崎のような巨体が着地する時、その体重をその足がちゃんと支えられなければ、何がしかの怪我を負うことは必然だ。そういったことも考慮して、DF側はプレーしなければならない。足首は脆いのだから。

「早く治るといいな」

 掛崎の首が、一瞬こちらに傾いた。

「ごめん、部活を辞めたお前に、何言われても癪に触るわ」

「もう、なんでそんな言い方するの……?」

「逃げた奴は嫌いだから」

 いやはや、掛崎という男、突かれて嫌なことをはっきりと言う。

 確かに俺は、バスケ部から逃げた。

「最近、何してるんだよ。なんか、三年の女の先輩と仲良くしてるって噂聞いたぞ」

「えっ」

「放課後、一緒に文化部の部室棟の方へ歩いていくとこ見たって話もある」

「そうなのか……」

 俺はともかく本仮屋先輩はそこそこ有名なのだ。そのことを忘れていた。

「部活やめて女子とイチャイチャしてるやつが同じ部にいたと思うとゾッとするぜ」

「そんなんじゃない。わかったような口を聞くな」

 俺と本仮屋先輩の関係はそんなんじゃない。

「今俺は、文芸部に所属してるんだ」

「文芸部?ああ、その先輩も文芸部なのか」

「そうだ」

「そうかそうか。まあ、遊びみたいな部活でせいぜい高校生活を無駄に過ごすんだな」

 俺が思っているより、掛崎との確執は大きいのかもしれない。

「お前に何と言われようと関係ない。俺は自分のやりたいことをやる」

「へー。なんだテツ、文芸部ってお前、小説家にでもなるつもりかよ」

「……そうだ」

 途端、掛崎は笑い出した。

「なんだよ、バスケ部やめて小説家志望ってか。一度逃げたやつに夢なんて叶えられるわけないだろ!」

「な──」

「なんでそんな言い方しかできないの‼︎」

 叫んだのは楠本だった。

「黒原くんだって、黒原くんなりに頑張ってるよ!私知ってるよ!スーパーの二階で一人で小説書いてるよ!部活をやめるのがそんなに悪いことなの?一回やめたらその人の人生は終わりなの?そんなわけないよね。もし、一度部活から逃げたんだとしても、そこからまたやり直せるよ!バスケ部の人はそんなに偉いの?怪我したら、人に当たっていいの?もっとちゃんとしなよ!」

 楠本は途中から泣き出してしまった。

 彼女からこんなに大きな声が出るとは思わなかった。この病室が個室で良かった。

 同時に、嬉しかった。俺のことを、頑張ってると言ってくれた。やり直せると断言してくれた。

 掛崎が、らしくもなく他人を傷つけるようなことを言っているのがショックだったのかもしれない。俺に対してはあんなだが、掛崎に怒鳴られたのなんだのといった話を他の人から聞いたことはない。練習中も声色は厳しくても暴言は決して吐かなかった。

「ご、ごめ……」

「もういいよ、黒原くん帰ろう……」

 楠本は顔が崩れたまま、病室を出ていってしまった。

 俺と掛崎は、しばらく何もできなかった。

 いやいや。こんな修羅場になるとは。変に言い合ったのがいけなかったんだ。

「掛崎……」

「……」

「お前がさっき言ってたこと、半分は勢いで出た言葉だって思っとくぜ」

「……結衣にも謝っておいてくれ」

「おう……」

「……」

「お大事にな」

「ああ……」

 結衣に『も』という言い回しに、掛崎の無骨な性格が出ている気がする。

 うなだれる掛崎を残し、俺も病室を後にした。

 えらく短いお見舞いになってしまった。


   ※


「きっと、掛崎くん、怪我して動揺してると思うんだよね」

「そうなのかもな」

「だから、黒原くんにあんなひどいこと……」

「まあ、俺は全然気にしてない。嫌味言えるぐらい、元気ってことだろ」

「そうだね」

 楠本は優しすぎる。病院では俺のことを立ててくれて、ここでは掛崎を庇っている。いつか将来、彼女自身が押し潰されないか心配だ。

 優しさは諸刃の剣。人間関係を構築する上で確かに有効な手段だけど、同時にそれは自分を殺すことになる。その優しさにつけ込んでわがままなことをされると一気にしんどくなる。自分で自分を支えられなくなる。

 まあ俺が変に心配したところで、それはただのおせっかいなんだろうけど。

「ちょっと遠回りしようよ」

「おう、了解」

 耳山駅を降り、何千回と見た道を並んで歩いていた。俺はチャリを手で押している。

 お互い、家まで徒歩十分ぐらい。

 だけど、感情とか色々整理するには、少し短すぎる。

 それに俺は元々、遠回りが大好きだ。

「でも掛崎……隠してるだけで、結構ショックだろうな」

「そうだね」

「あいつにとって、まともにバスケができないなんて、とても耐えられないだろ」

「私もそう思う。病室にも、バスケットボール置いてあったね」

「うん」

 シュートもできない、ドリブルもできない、それなのに病室には、綺麗なバスケットボールが置いてあった。親御さんが新品を買ったのだろう。少しでも励ましになればと思ったんじゃないだろうか。

「ま、ボディサークルぐらいならできるか」

「ボディサークル?なにそれ」

「ボールを体の周りで一周させるんだよ」

 チャリを止め、リュックを回して実演した。

「すごい、たしかにやってるの見たことあるかも」

「やっぱり基本が一番だよな、スポーツって」

「うん、私も、自慢じゃないけどゲーム練よりも基礎練を徹底的にやってる」

「たぶん、楠本の徹底的は、他の人の徹底的と次元が違うんだろうな」

「そんなことないよ」

「あるよ。でもそういう意味じゃ、掛崎も基礎はすごくてさ。あいつがファンブルしてるとこ見たことない」

「ファンブルって」

「なんかドリブルミスったりキャッチミスったりして、ボールを相手に奪われることだよ」

「そっか、掛崎くんほんとに上手なんだね」

「そうそう、正直、掛崎より上手い高校生探すのはだいぶ難しいと思う」

「すごい……」

「だから、あいつには早く治ってほしいな」

「優しいね」

 あんなひどいこと言われたのに、というニュアンスを楠本は表情で伝えていた。

 ……君ほどじゃないよ。

 ここら辺は、建物が多い。だけど、そのほとんどがビルではなく民家だから、空がよく見える。今は夕方。夕陽が、街全体を朱色に染めていた。

 沈黙。代わりに、セミの鳴き声とチャリの車輪の音がよく耳に響く。見慣れているはずの光景を眺め、ノスタルジックな感情が込み上げてきた。県外の大学に行くとするなら、この街にいるのもあと二年とない。

 あそこには、タダみたいな値段で卓球ができるスポーツセンターがあって、その奥には公民館がある。ずっと先のあの角を曲がれば公園があって、そのちょっと奥にコンビニがある。

 同じことを思っているかは定かではないけど、楠本も意味ありげに街を見ていた。彼女はきっと、スポーツ推薦で都会の大学に行くことだろう。

「本仮屋先輩と、仲良いの?」

 楠本の口から、唐突に先輩の名前が出たので少しびっくりした。

「いや……まあ、うん。どうなんだろ」

「わからない?」

「うん、結局、相手が自分をどう思ってるかなんて、わからない」

「そっか。放課後も一緒にいるんだ?」

「んーそうね。ゴールデンウィーク明けに、文芸部入ったからさ。同じ部室内に入るよ」

「今の黒原くんにはぴったりの部活だもんね」

「たしかに。でも、名前に「文」って付く割に文化祭でやることほとんどないっていう」

「そうなの?」

「うん、昔は文集とか出してたらしいけど、今は人数少なくてもう何もやってないらしい」

「じゃあ黒原くんが文集かけばいいじゃん」

「まあ……できたらしたいけど、多分今書いてるので精一杯だな」

「そうだよね、初めて書くんだもんね……本仮屋先輩は?」

「先輩は……受験期だから多分何もしない思うよ」

「ふーん」

 楠本は両手を後ろで組み、地面を見ながらとつとつと歩いている。

「本仮屋先輩って、どんな人?」

「え……」

「気になっちゃった」

 本仮屋先輩って、どんな人なんだろう。

 脳内に、何枚か先輩の静止画がぱしゃぱしゃと映し出されたけど、ピンとこない。

「まあ……尊敬できる人、かな」

「尊敬かぁ、どんなところ?」

「ちょー楠本、質問攻めじゃん」

「あ、ごめん……黒原くんと話すのも結構久しぶりだし……」

「いやいいんだけど……で、先輩の尊敬できるところね。やっぱ先輩は作文でめちゃくちゃ表彰されてるし、成績もいいし、ピアノがめっちゃ上手いんだよ」

「すごいね、なんていうか多才だね」

「そうなんだよ」

「ピアノ聞いたことあるの?」

「あるよ」

「ふーん……」

 楠本はなんか考え込んでいる。

「じゃあさ……ラインとかしてるの?」

「ラインね……なんかたまに、どこどこの模試受けてきたこうだったとか、僕の方は何文字進みました、みたいにその日の成果を報告しあってるぐらいかな」

「仲良いんだね」

「うーん……そう考えると、たしかに」

「じゃあ……好き?」

「す、すすす好き、かって?いや……好きかどうかはわからない」

 って言ったけど、正直、本仮屋先輩のことはもう好きかもしれない。でも、尊敬が強すぎて好きなのか尊敬なのかわからない時があるから、わからないというのはあながち嘘ではない。

「好きなんでしょー」

「いやいや、それこそこの前、先輩と話したんだけど、可愛いと好きは違うと思っててさ。それと同じで、尊敬と好きも違うんじゃないかって思ったりもしてるよ」

「ふうん」

「じゃあ逆に聞くけどさ、楠本」

「なに?」

「楠本は好きな人いないの?」

「えええ、私⁉︎」

 楠本は、さっきまで俺にごっつり恋バナを吹っかけてきたくせに、自分のことになるとうろたえた。

「い、いないよ……」

「そうなんだ、まあ楠本はバドミントンが恋人ってこの前言ってたもんな」

「言ったっけ……」

「あれだよ、あのコンビニで出会(でくわ)した時」

「あ、あったねそんなこと」

「そうそう。じゃあ、どんな人がタイプとかはある?」

「タイプ……うーん、逞しい人。あとは優しい人、かな」

「逞しくて優しいって……そりゃ悟空みたいな人だな」

「悟空って、そんな、あそこまで逞しくなくてもいいんだけどね」

「はは……むっきむきだもんな」

「うん」

「じゃあちょっとずれるけどさ」

「うん」

「男女の友情って、あると思う?」

「男女の友情……難しいな。黒原くんはどう思ってるの?」

「俺は、ないかなって思ってる」

「そうなんだ」

「これは俺目線の話だけど……」

 この前本仮屋先輩にしたような説明を、もう一度楠本にした。

「わー。黒原くん、思考力すごいね」

「暇なだけだよ」

「そんなことないよ。あ、私意見決まった」 

「おお」

「私はあると思うな」

「その心は」

「私、部活のメンバーとはほとんど毎日会うけど、好きかもってなったことないんだ。でも、試合終わりとか一緒にご飯食べに行ったりするし、試験勉強も何人かで集まってしたりする。異性として好きじゃないけど、一緒にいて楽しい。これって友達ってことなのかなって思う」

「うんうん」

「友情が成立してるから、いざこざもないし気楽に集まれてるって感じかな」

「一理あるな」

「あとは」

「おう」

「私だったら、好きな人と頻繁には会えない。会いたいと思ってても、まず言い出せないし。それに好きだから、会うってなったら気合いもいるし準備もいる。これ、一人の女子の意見として、覚えておいてね」

「お、わかった」

「うん、じゃあここまでで大丈夫。今日はほんとにありがとう。一緒に来てくれて」

「いや、こちらこそありがとう。掛崎とも久しぶりに喋れたし。また仲直りしとくわ」

「そうだね。また三人で、ご飯食べたりできるといいね」

「……そうだな」

「じゃあ、ばいばい」

「おう」

 楠本は控えめに手を振って、それからクルッと回れ右をして歩いて行った。回れ右をした瞬間、白ワンピの裾がフワッってなって、俺はうぉってなった。

 さあ、俺も家に帰って、小説の続きをしようか。

 楠本が角を曲がって見えなくなってから、俺は再びチャリを押し始めた。


   ※


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