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プラトニック  作者: 島 尚夏
第一部 本仮屋茉莉 編
5/25

第四話 航海図

最後まで読んでいただけると嬉しいです!

 部室に来るようになって、一ヶ月ぐらいが経った。

 一度部室に来て、鍵がかかっていたら職員室に鍵を取りに行く、かかっていなければ中に先輩がいる、そんな毎日だ。

 結構な確率で、職員室に向かう俺と部室に来る途中の本仮屋先輩が出くわすこともある。その逆もまた然り。そういう時は、二人とも、何も知らない人からすれば気味の悪い笑みを浮かべながら一緒に職員室に行くのだ。

 このランダム性が妙に心地よいのは、人間が生来(あわ)せ持つギャンブラー精神ゆえだろうか。それとも鍵というアイテムにロマンの血が騒ぐからだろうか。

 それにしても、放課後、居場所があるというのはこれほど嬉しいものだとは思わなかった。小学生の頃、秘密基地とやらに憧れた記憶があるけど、まさに今その憧れは叶っている。森の中や公園の隅ではなく、俺の秘密基地は学校にある。

 誰しも、というのは一般化しすぎかもしれないけど、実家以外に居場所をもちたいと思う人は多いはず。自立への一歩、心理的離乳の手始め。

 何よりそこに、自分の尊敬する先輩がいること、それも大層見た目が良くて天使のような女子高生がいることは、俺にとってプラスかマイナスかで言うとプラスでしかなかった。

 今日は、一番確率の低いパターン、職員室に鍵を取りに行く先輩と部室に向かう俺が鉢合わせになった。基本的に高校三年生の方が、授業が多い。

「今日は早いんですね」

「黒原くんが遅いんだよ」

「ちょっとホームルームが長引いたんですよね」

「早く帰りたいのに嫌なやつね」

「まあ大事な話だったので仕方ないです」

「何よ、大事な話って」

「進路……とかですね」

「へー、黒原くんはあれでしょ、ヒモでしょ?」

「脈絡も配慮も足りないセリフですねぇそれは!」

 バイオリンを背負った吹部の女子が、魔物を見るような怯えた目でさっと避けて行った。

 声量に少し反省する。

 いつものようにおかしい雑談をしながら、鍵を回収し、無事部室に到着した。

「職員室って、いっつもコーヒーの匂いするよね」

「そうですね、僕としては羨ましいですけど」

「コーヒー、好きなんだ?」

「まーそっすね。朝とか、家出る前に一杯飲んでます」

「えー奇遇だね、私もだよ」

「ほんとですか!え、じゃあなんで文芸部には、ポットとか置かないんですか」

「そうね、湯気で本が傷んじゃうし、万が一こぼしたら取り返しつかないからね」

「意外と現実主義なんですね」

「いつでも現実主義だよ私は」

 先輩はさっき自販機で買ったカフェオレと、勉強道具を取り出した。

 今日は勉強モチベが高いらしい。

 俺はこの前のゴールデンウィークで、好きなミステリー小説を一通り読み終えたので、新しく青春小説に手を出してみた。

 ちょうど、主人公が進路希望のプリントを紙飛行機にして、橋から放り飛ばすシーンから始まる。

 高校生にとって進路希望とは、もはや人生の羅針盤だ。俺たち高校生は、進路希望の通りに人生を歩んでいかなければならないと錯覚する。そして本当にそのまま実現してしまう人間もいれば、全て忘れてまるで違う生き方をする人間もいるらしいけど。

 なんにせよ、高校二年生には荷が重過ぎるタスクである。

 実は今日の帰りのホームルームで、進路希望の用紙を渡された。

 提出期限は、一ヶ月後。

 まず失くす自信しかない。引き出しの奥でプレスされ続けて見るも無惨な姿になるか、リュックの底で塵と化すか、他のプリントと一緒くたにされて捨てられるかだ。

 ただ、渡されてすぐに提出しているクラスメイトもちらほらいた。たしかあいつは医者になると言っていた。もう一人のやつは弁護士になると言っていた。

 志の立派なやつだ。素直に尊敬する。

 そして俺も、さっさと書いて提出すべき進路があるはずなのに、今の自分がその進路に嘘をついている気がして、手が進まなかった。

 だから、先輩に聞いてみた。

「先輩って、進路とか決まってるんですか」

「進路ね……まあ、実はこれといってないんだよね。全然イメージわかなくて。今の私に明確な夢、みたいなものはないのかも」

「そうなんですね、先輩、なんか達観してるところあるから、ずっと先の将来まで見据えてると思ってました」

「買い被りすぎだよ。そういう黒原くんは、何にも考えてないように見えて、夢だけは一人前にもってそうだよね」

「そ……んなことはないです。僕も探し中です」

「へぇーまあ、まだまだ先の話だし、気楽に行こうよ」

「ですね」

 これ以上先輩の勉強の邪魔をしてはいけないと思い、俺は一度自販機に向かった。先輩と同じカフェオレを買う。他にもバナナジュースやらミックスジュースがあるが、俺にはカフェオレしか目に映らない。他の味にはあまり興味がなかった。

 部室に戻ると、先輩はもくもくと英語の長文問題に取り組んでいた。びっしりと英単語で埋め尽くされた文章と一年後には触れ合わなければならないと思うと、気が動転してしまいそうになるが、目の前には現実逃避のための青春小説がある。

 何も考えず、読書に没頭した。


 先輩は、十七時を超えると、時計を見る回数が増える。おそらく、バスの時間を気にしているのだろう。

 俺が部室に来るようになってからの一ヶ月、先輩は、例外なく、毎日十八時五分のバスで帰った。本当に、一本のずれもなく。

 奇妙なまでの規則性。

 勉強が一段落したのか、先輩は伸びをした。

 俺は、気になっていることがあったので、それを質問してみる。

「先輩、よく別れ際に「またらいせ」って言うじゃないですか」

「うーん、たしかにそうだね」

「あれって何ですか、死亡フラグですか」

「違うよ、あれは私のおばあちゃんが使ってた、「また明日」っていう意味の方言だよ」

「へーそういう意味だったんですね。言葉が強すぎて毎晩先輩の安否を気にしてましたよ」

「ふーん、それはありがとう。黒原くんは優しいね。あと私は、来世も黒原くんとまた巡り逢いたいって意味もこめてるよ」

「……え」

「冗談だよ」

「逆またらいせ」

「こわいなー」

「冗談です」

「ならいいけど。でも、私は「また明日」っていう言葉、好きなの。明日会うことが確定していて、さらに明日会いたい人にしか言わないセリフ、だと思ってる。まあ会いたい人っていうのは大袈裟かもしれないけど、少なくとも明日会いたくない人に言うセリフじゃないよね。だから、私だけの「また明日」にあたる「またらいせ」って、すごく好き」

 気を抜いていれば、なんなら告白されている気分になるぐらい「好き」とか「会いたい」とか言われたが、気をつけてよく聞いてみると、先輩が恋をしている相手は俺ではなくて言葉のようだった。

「たしかに、素敵な言葉だと思います。僕も使っていいですか。まあ、使う相手先輩だけだと思いますけど」

 あんまり知り合いがいないので。

「いいよ、使ってあげて。これで方言が途絶えずにすむよ」

「そうですね」

「おっと、もうこんな時間か、そろそろ帰る準備しなくちゃ」

 先輩がいつも乗るバスの時間が近づいていた。

「先輩、ほんとに毎日この時間のバスに乗りますよね」

「そうだね」

「どうしてなんですか、先輩まさか……ホームシックなんですか」

 普段の会話通り、おちゃらけたやりとりをしたかった。だから先輩の、今回だったら「違うよ、黒原くんと一緒にいる時間を少なくしてるだけ」なんていうパンチの効いた冗談を期待しただけの発言だった。悪意は、これっぽっちもなかった。

 しかし、先輩は、明らかに傷ついた顔をした。不意打ちのボディーブローを喰らったボクサーのように、一瞬、その綺麗な顔をしかめた。

 俺は焦った。かなり焦った。そして下手を打ったと思った。誰しも、言われて傷つく言葉がある。俺は部活をしていないので、たまに同級生が冗談半分で「ニートじゃん」と言ってくることがある。笑って誤魔化しているが、内心まあまあ傷ついている。

 自分の立場に、気づいて傷ついている。

 先輩にも、悪い意味で琴線に触れる言葉はあるはずだった。それを事前に知るというのも無理な話ではあるが、その努力をしていればどうにかなったかもしれない。

「ちょっと、ホームシックなわけないでしょ……もー」

 先輩は帰り支度の手を止めない。どころかみるみる早くなって、物の扱いが雑になっていた。勉強していたノートや問題集がスクールバッグに押し込まれていくたび、俺の心臓は棘が刺さるような痛みを覚えた。

 先輩は二の句を継げないようだった。いつもなら、キレる頭で気持ちよく切り返してくれるのに、今は帰る用意をしながら「えーっと」とか「あとこれか」とか言うだけで、こちらを見る素振りもない。ショックで頭が回らないのだろうか、そんなになるような、致命的な一言を俺は言ってしまったのか。だとしたら、俺は最低だ。

 俺は読めるはずもない本に再び目を通し、できるだけ先輩に気を使わせないようにしようとした。それが精一杯だった。

 先輩は、いつもの倍ぐらいのスピードで荷物をまとめ、「じゃあ、帰るね」と残し、部室から出ていった。

 一ヶ月間、毎日聞いていた別れ際の決まり文句も、もうそのイントネーションを思い出せないくらい、遠い言葉のように思えた。


   ※


ここまで読んでくださってありがとうございます!

次のお話もよろしくお願いします!

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