第十二話 雨を泳いで
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「それじゃ、俺らも帰るか」
「うん」
急に二人になった。
とりあえず最寄りの耳山駅まで電車に乗ったけど、電車を降りても雨は止まなかった。どころか強くなっていた。
家まで普通に歩けば十五分ぐらいだけど、雨の中歩くのもなんだかな、って感じだ。
「親呼ぶ?」
「ううん、なんか申し訳ないし、もう少し話してたいな」
「おっけ。ちなみに傘、ある?俺全然持ってないんだけどさ」
「傘……私も忘れた……」
楠本はスクールバッグを押さえながら言った。
「おっけ、じゃあ、コンビニまで走って買いに行こう」
「うん」
俺はリュックを、楠本はスクールバッグを傘がわりにして、コンビニまで走った。「おわぁー!」とか「きゃー濡れちゃう濡れちゃう!」とか言いながら。
今の二十秒ぐらいだけ切り取ったら、なにかしらのCMに出れたはずだ。
外国人の店員さんが流暢なカタコトで「イラッシャイマセー」と挨拶してくれた。俺たちをみて意味深に笑っている。いやそんなんじゃないですよぉ!
あと流暢なカタコトってなんか、いいのか。あってるのか。まあいいや。
入り口の近くに、大量の傘が売られていた。用意の早いこった。
ふう。
息を整える。
「え、傘高くね」
「まあ、相場はこれぐらいじゃないかな。スーパーなら、もうちょっと安いけどね」
「だよな……物価高騰を傘で実感することになるとは」
てっきり五百円以内で買えるものだと思っていたけど、八百円もするじゃん。
いやでかいよー。その三百円の差でかいよー。だってそれでカフェオレ二本買えるからね。
さっきのファミレス代も、想定外っちゃ想定外の出費だった。
でも、こんなところで楠本に傘を買わせるわけにもいかない。
帰ったら母さんにお小遣いせびろっと。
「あ、じゃあさ」
楠本は何かいいことを思いついたというように、手をポンと打った。
「二人で半分ずつお金出して、一緒にさして帰ろうよ」
「え……じゃあ相合傘になるけど、いいの?」
「いいよ」
「そっ……か、じゃあそうするか、なんか助かるわ」
「ううん、私も最近シューズ買ったばかりだから、節約してるんだ」
「そうなんだ、俺は何も買ってないけど、なぜか金欠だよ」
「ふふ、黒原くんってなんかそんなイメージあるかも」
「恥ずかしいな、それは」
お金も傘下も半分こすることにした。
支払う時の俺たちの様子を見て、店員さんはまたニヤけていた。
そんなんじゃないって!
金欠の男子と、バドミントン大好き女子の利害が一致しただけだから。
こうして人生初、女子との相合傘をすることになった。持ち手は俺。
ドキドキした。なぜならシンプルに距離が近いから。肩と肩がしきりに当たる。
これで「黒原は変態だな」と思った人は、一回やってみてほしい。俺の気持ちをわかってくれるはずだ。しかも相手との関係性もなかなかに絶妙だし。
話題に困ったから、冬の雨についての持論を言ってみた。
「俺さ、冬に降る雨、嫌いなんだ」
「え、どうして?」
「うぇよっ」
こっちをみた楠本の顔が近すぎて変な声が出た。目と鼻がすぐそこにある。
「ごほん。えっと、あれ……なんでだっけ。あーそうだ、なんていうか、降るなら雪降れよって思わない?」
「それは……言われてみれば確かに」
「そうなんだよ、こんな寒いってことは、雲周辺の気温は三度切ってるはずじゃん。じゃあ雨は雪に変わるっていう約束じゃんか」
「ふふ、や、約束って……誰との?」
「いやそりゃ……雲さんですよ」
「雲さん……」
楠本はくすくすと笑っている。
「じゃあ、今雲さんは泣いてるのかな」
「そーういうことになるな。たまに一週間ぐらいずっと泣いてるときもあるし、雲さんは泣き虫なんだな」
「そうだね、色々あるんだよ、遥か上空でもきっと。でなきゃこんな天気変わったりしないもん」
「だな。てか楠本は、最後に泣いたのいつ?」
「えー、最後、うーん、いつだろう……全国大会で負けた日の帰りの車かな……」
「おーそっか、まあ悔しいよな」
「うん、ストレート負けだったから、清々しい気持ちにもなったけどね」
「でもすごいよなほんとに。全国大会行っちゃうなんて」
「たまたまだよ、私からしたら、小説書けるほうがすごいよ」
「そんな、俺のは小説と呼べるかどうかすら怪しいんだから。小学生の日記に毛が生えたようなもんだよ」
「ははは、そういう面白い表現が日常会話で出てくるあたり、絶対向いてるよ、小説家」
「それは……嬉しいけど」
「私、決めてることがあるんだ」
「決めてること?」
「うん」
楠本が急に立ち止まった。
「おっと」
俺は楠本が濡れないように、慌てて数歩引き返す。
「急に止まるなよ」
「大事なことだから」
さっきから、雨は一層強く傘を叩きつけている。
でも、雨粒より近い距離に楠本がいるから、その声ははっきりと聞こえた。
「私……私ね、黒原くんの、一番のファンになる」
街灯が照らす楠本の瞳。真剣に言ってくれていることは一瞬でわかる。
どうしてそこまで真剣になってくれるのか、俺には理解できない。
それは、俺が勘の鈍いタイプだからでも恋愛をしたことがないからでもなく、本当に純粋にわからないんだ。
「ファン──か。ありがとな」
「うん、黒原くんが本を出したら一番早く買って、一番早く読んで、一番早く感想を言いたい」
俺たちの足は、まだ止まったまま。
「じゃあ、出版が決まったら楠本にだけプレゼントしようかな」
「え、いいの?」
「もちろん。幼馴染だし」
「やった。黒原くんの幼馴染でよかった」
「誤字とか見つけたら遠慮なく報告してくれよ」
「出版される小説に誤字なんてないでしょ?」
「それが全然あるんだよ、それが理由で改版されることもあるし」
「えぇびっくり。じゃあ、見つけたらちゃんと報告するね」
「おう」
そろそろ行こう、という意味も込めて、俺は歩き出した。ほんのりとした笑みを浮かべながら、楠本も合わせてくれる。
まだ読んでもいないのにファンになりたいだなんて、あまりにも俺の小説スキルを高く買いすぎている気がする。
ハードルが上がるなぁ。
「でもさっきも言ったけど、俺の小説なんて全然だからさ。楠本がファンになれるのは、だいぶ先になりそう」
「うん。でも私、待ってる」
「十年後でも?」
「二十年後でも、もっと後でも。私がオバさんになっても」
「森高千里?」
「泳ぎには連れて行かなくていいよ」
お母さんがよく聞いてたのだろうか。
「知ってるのかよ。てか、俺実は泳げないんだ」
「え、私もかなづち。一緒だね」
「でも楠本は運動神経いいから、すぐ泳げるようになるよ」
「そうかな。泳げるようになったら私、この雨の中を泳いでみたい」
「文学的なことを突然言うなよ、びっくりする」
「黒原くんが相手だから、ちょっと変なこと言ってみた」
「なるほどね。でも今のちょっと良いな。小説で使おうかな」
「光栄です黒原先生」
「でかした楠本助手」
雨の中を泳ぐ。
なんとなく、雨の中を泳ぐ光景を想像できなくもないから、良い表現だと思った。
聞いただけで想像力が掻き立てられるような言葉は、俺にとって魅力的だ。
「前書いた小説に、恋愛要素とかあったの?」
「ちょっとあったよ。ろくにしたことないから、全部想像で書いてるけどね」
「ふうん。でも、私たちの学年割とカップル多いよね」
「そうだな。ちょくちょく新しいカップルできてるし、今時の若いやつはって感じだね」
「ちょっと、黒原くんも同級生でしょ」
「いーやみんなのアグレッシブさにはもはやジェネレーションギャップを感じるまであるよ」
「時空が歪んじゃってるよ」
「まあジェネレーションギャップではないとしても、これからいよいよ受験期だってのに、みんなよくやるなって感じだな」
「やっぱり、受験期って障壁なのかな……」
「勉強時間と恋愛時間との天秤なんだろうな」
「じゃあさ、黒原くんも受験終わるまではそういうのなしな感じ?」
「恋愛しないかってこと?」
「うん」
「うーん、どうだろうなぁ。まあ結局、大学受験終わるまでは時間とかもなさそうだし、隙間時間に小説を書き続けるって考えると、付き合ってる場合じゃなさそうってとこかな」
「そうなんだね」
「うん、でも大前提、俺と付き合ってくれるような人は多分学校にはいないから、俺には関係ない話だよ」
「ふうん、いるかもしれないよ?」
「いないよ、楠本以外で喋る女子いないもん」
「本仮屋先輩は?」
「本仮屋先輩は……一個上だしそれこそ受験期だし」
「今も話してるの?」
「いや、最近は全然話してない。まじでここ一ヶ月ぐらい話してないんじゃないかな」
「そう、なんだ。何かあったの?」
「うーん別に何か喧嘩したとかそういうのじゃなくて、先輩に迷惑かけたくないのと先生に渡されてる問題集の量が半端じゃねぇから部室に行けてないんだよね」
「問題集?」
「そうそう、ほら俺の成績の赤点がもうあれで」
「もうあれなんだね、なんとなくわかるけど……そこはしっかりしてよ!一緒に三年生になりたいし」
「まかせとけって。ていうか、楠本の方はどうなんだよ。気になる人とか」
「気になる人……はいる、かな」
「いる……あれ、いるんだ!バドミントン部?」
「内緒」
「なんだぁそれ。でも楠本は恋愛と勉強と部活、なんか両立できそうな気がするなぁ」
「ううん、私はそんな器用じゃないよ」
「そうか?ていうか気になってる人は同級生?」
「内緒」
「内緒多いなー」
楠本が気になってる人。俺には掛崎ぐらいしか思い当たらない。夏休みの時も掛崎の見舞いに行こうって言ってきたのは楠本だったし、さっきも仲良く歩いてたし。
「ちなみに掛崎くんじゃないよ、女子からは人気だけど」
「あーやっぱ人気なんだ。ていうか掛崎じゃないんだ」
「うん、でもこれ以上は言えないです」
「じゃあいるって言うなよー、気になるじゃん」
「気に……なるんだ」
「そりゃちょっとはな」
「そっか、また機会があれば言うよ」
「いつくるんだろうな、その機会って」
「すぐかもしれないし、一生ないかもしれない」
「俺の中の楠本は、そんなよれたことは言わない人なんだけどな」
「私にだってよれるときぐらいあるよ」
「そりゃそうか。まあ、話す気になったら聞かせて」
「うん……」
楠本と話し込むのは、夏休みの掛崎のお見舞い以来だったけど、楠本と話していると、すごく自分が大事にされている気がしてしまう。それが、楠本がもつ底抜けの優しさからきていることは自明で、俺以外に対しても、たとえばファミレスでの掛崎への応対も似たようなものだったけど、だからといって楠本を八方美人だとは思わない。
でも、人としての格の違いを否が応でも見せつけられている気分にはなる。それは妬み僻み嫉みの分類にあたるかもしれない。
誰かに優しくできるというのは、とても難しいことだ。
俺はまだ高校生で、俺にとっての社会は学校であることに変わりはない。だけど、家族で外食に行く時や休日のゲームセンターなんかで本物の社会と触れ合うことはある。そんな時、どうして他人に強く当たるのか、どうして相手が店員だからといって横暴を働くのか、と疑問に思うような人はたくさんいる。その様子を見ても誰も助けない。俺も含めて。
そんなとき、楠本だったら、多分一緒にいる人に「あれ……どうしたのかな」とか言いつつ、結局最後は自分で「どうかしたんですか」と話しかけてしまうのだろう。
優しさについてもう少し思うところがあるから話しておきたい。たまに優しい人ならいくらでもいる。逆を言えばいつも優しくない人などあまりいない。定期テストが終わって勉強から解放されたとき、彼女が出来たてで浮かれてるとき、自分に酔っているとき、華の金曜日、連休前、給料日前、年末。人の機嫌が良くなって、その結果優しくなることなんてざらにある。
楠本は、多分そうではない。彼女が持っているのは、終わりがない優しさだ。
底抜けの優しさ。それはきっと、人としてのある種の到達点だ。
俺が思うに、楠本はもうそこに達してしまっている。
だから逆に、彼女に褒められても素直に喜べない自分がいる。
優しさからきているのか、本心から来ているのかわからないからだ。
そんな捻くれた考えをしても、なんの意味もないというのに。
本心なんて、本人にしかわからないのだから。
「楠本」
「はい」
「色々、ありがとう」
「えっ?……うん」
「楠本には、すごく勇気づけられるんだ」
「何、急にそんなこと言われたら、照れるよ……」
「──だと思って、言ってみた」
「ちょっと黒原くん!からかわないでよ!もう!」
ポカリと肩を叩かれる。
えーと、多分今の楠本、俺以外の男なら全員惚れてた。
「ごめんごめん、でも今日は、楽しかった」
「そうだね、私も楽しかった。久しぶりに三人で話せたし」
「な、まあまた、どっかで集まろう」
「そうだね」
雨は、少し弱くなっている。
そうこうしているうちに、楠本の家に着いた。
「送ってくれてありがとう。学校で会ったら、また明日」
「おうまた──明日」
俺は、不意に出てきたらいせという単語を飲みこまなければならなかった。
※
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