第十一話 三人寄れば
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十二月になった。
俺はあれから、文芸部室へ行くことは一度もなかった。
それは先輩を忘れたということではない。むしろ逆だ。
先輩を想わない日など、一日たりともなかった。放課後、教室で課題をしながら、今頃先輩は部室で勉強しているんだろう、いやちょっと休憩して本を読んでるかもしれない、というふうにその一挙手一投足を想像してばかり。どのシャーペンを使っているのか、シャー芯は0.3mmか0.5mmかどっちだろう。あのノートは使い切っただろうか、自販機で買うのはいつものカフェオレなのかな、なんて本気で考えていた。
いや、自分でもたまに気持ち悪いかなこれって思ったけど、脳内に浮かんでくる映像を自分で制御できるわけもなく、三十分に一回ぐらいは先輩が登場した。
でも、先輩に甘えた結果が今のこのザマだし、何度も言うけど先輩は人生の分岐点と言っても過言ではない、大学受験を控えた高校三年生であることに変わりはないから、俺は先輩と会おうとはかけらも思わなかった。
ラインすることもだんだん少なくなり、もしかしたら先輩は俺のことをほとんど忘れたかもしれないとまで思った。
一方、数学物理化学、三つ巴、三者三様の問題冊子の方は、よどみなく進んでいた。最近、YouTubeで見た、『作業興奮』という脳のメカニズムをうまく活用しているからだと思う。何らかの作業に対して、五分やったら終わっても良いことにしてまず始める。たったこれだけだ。そうすると、脳の側坐核というところが反応してドーパミンが分泌され、やる気が出るのだそう。
つまり、とりあえず黙ってやってみれば良いのだ。
そうすると五分どころか、十分、三十分、気づいたら一時間経っていることすらあった。
あと最近は、積極的に先生に質問しにいくようにしている。この問題冊子のシステムは、いささかややこしいのだが、一定量問題を解き終えたら一度先生に提出しなければならない。それもそのはずで、答え合わせもなしに大量の問題を一気にやってしまうと、最後答え合わせをした時に最初の方の問題のことなどもう忘却の彼方なのだから。
だから二十問区切りで先生に提出し丸つけをしてもらうというシステムなのだ。その場で丸つけをしてもらうこともあれば、担任の谷松先生経由で帰ってくることもある。
昔からよくやっていたのが、分かっていないのに分かったふりをすることだった。そのせいで相槌ばかり上手くなり、結局本質的な理解はできないまま高校二年生になっていた。今更ながらもその癖を矯正せんとし、先生が一生懸命説明してくれてもその一回で理解できなかったら、「すみません、もう一回お願いして良いですか」と言うようにしている。それで嫌な顔をする教師は、俺の学校にはいない。
そんなこんなで、順調に留年回避への道のりを歩んでいるこの頃。今日は珍しく、人を待っていた。カラオケとかうどん屋とかがある、思い出の八森駅で。
待っている相手は、本仮屋茉莉先輩ではなく、楠本結衣だった。正確には楠本と掛崎梗太郎の二人だ。
今日の終礼が終わってすぐ、部活前の楠本が俺の席にきて、「今日の夜、時間ある?ご飯行かない?」と言われた。参加メンバーを聞くと、掛崎もいるらしい。九月に、二人からのお誘いを不遜にも断ってしまって申し訳なかったし、本心から一緒にご飯を食べて話したいと思ったから快諾した。
そもそも、誰かに何かを誘われること自体、俺にとってはなかなかない僥倖だから、シンプルに嬉しかった。しかも相手は気心知れた幼馴染だ。
掛崎とは、隔壁があったと言えばあったけど、それはもう時が流してくれた。今はお互いに、なんの気まずさもなく話せると思う。気まずくなるとしたら、それは久しぶりに対面するからという理由だろう。
集合は時計台のベンチだった。俺が一番乗りだ。もう洒落にならないぐらいの寒さだったけど、座って待つことにした。冬の冷たい風を浴びるのは嫌いじゃない。
道ゆく人は、その風から身を守るためにコートやマフラーを身につけている。足取りの早い社会人や、ゆっくり歩いているカップルなど、その種類は様々だ。
カップルがゆっくり歩くのは、少しでも一緒にいる時間を長くしたいからだ!と我ながらロマンチックな予想を立てたことがあるけど、カップルの当事者になったことがないから予想が合っているかどうかは確かめようがない。
なんていうか、この季節になると、どんなところに行っても、MVを観ているような気分になるな。全員が満たされているように錯覚する。夜になるのが早いからこそ、街灯やお店のネオン管、タクシーのライトが街全体に彩りを与える。そして、明確に言語化するのは難しいけど、みんなが仲間な気がするのだ。コンビニの店員さんや、駅員さんと目だけで「一年間お疲れ様」というやりとりをしている気がするのは、俺だけなのだろうか。本仮屋先輩にこれを言ったら、「うん黒原くんだけだよ」とすかさず突っ込んでくれたりするのかな。
何はともあれ、やっぱり夏より冬の方が好きだ。
ベンチで一人、そんな暇人みたいなことを考えていると、楠本と掛崎が揃ってやってきた。楠本の身長は女子の平均より高いけど、それでも掛崎は頭一個以上でかい。バスケ部のエース、半端ねぇな。二人はぱっと見、高身長スポーツカップルって感じだ。
「お待たせ、ごめん待った?」
「いや、待ってないから大丈夫」
「チャリで一緒に帰りゃよかったのに」
「部活勢の中に混じってチャリ漕ぐなんて、疎外感すごいから」
「そうか」
第一声にしては、普通に話せた。
何屋さんに入るか三人で少々悩んだ後、結局どんなニーズにも対応してくれるファミレスに行くことにした。
平日にも関わらず、店内はかなり混んでいた。十分ぐらい待った。家族連れが多く、全員が年末に向けたワクワクを抑えきれていない感じ。
テーブル席に案内された。
楠本と掛崎が並んで座り、その対面に俺が座る。
改まった雰囲気で、少し緊張する。二人もそのようだ。
「二人とも……まあとりあえず部活お疲れ」
「あ、ありがとう」
「おう」
これ以上に綺麗な見切り発車を俺は見たことがなかった。
でも一言でも喋ってみると、意外とすらすら言葉が出てくる。
「いや〜久しぶりだな。で、今日はどうして集まろって話になったんだっけ」
「あ、それはね。私が二人を誘ったの」
「そうなんだ、ありがとな。あと掛崎。九月に一回飯誘ってくれたのに断っちゃってごめんな」
「全然いいよ。金欠って言われちゃこっちも連れ出せねぇ」
「ああ、おかげでなんとかなったよ……」
そういえばそういう設定にしたな。
「私、もう一度三人で話したかったの。昔みたいに」
「んー確かに、高校になってからは一回もこういうのなかったね」
「そうだね。やっぱりそれぞれ、部活とか色々忙しくなっちゃったもんね……」
「そうだな」
中学の時からめちゃくちゃ仲良かったわけじゃないけど、こうして改めて二人の顔を見てると、俺たちも大人になったんだなって思う。
本当の大人たちからしたら、中学生も高校生も変わらないんだろうけどさ。
「ご飯、たのもっか」
楠本がそう言ったのを皮切りに、俺たちはそれぞれ思い思いのメニューを注文した。
にしても、楠本には驚かされてばかりだ。
今日みたいに人を集めるっていう外交的な性格があるとは知らなかった。しかも計画的にというよりかは突発的に。
おとなしくて人見知りな人だと、勝手に思い込んでいた。そもそもの思い込みが間違っているのか、見ない間に楠本が変わったのかはわからない。
「掛崎くん、ウィンターカップおつかれさま」
「おーさんきゅ。まあ正確にはウィンターカップ予選、だけど」
誠真学園バスケ部は、県予選の準決勝で敗退した。
「私、一回見に行ったんだ」
「え、そうなのか!知らなかった、言ってくれよー」
「ごめんごめん、私も声かけようと思ったんだけど、友達が帰るって言い出してさ」
「そっかそっか。ちなみにどの試合?」
「最後の試合……」
「あちゃーよりにもよって負けた試合かよ、あそこまでは俺ら絶好調だったんだぜ」
「でもみんなすごかったよ。なにより掛崎くん、ダンクしたじゃん」
「え」
俺の耳がぴくりと動いた。
「ほんと、あれみたときはびっくりしたよ」
「掛崎がダンクしたのか」
「そう!私たち以外のお客さんもすごい歓声あげてたよ」
掛崎の──ダンク。
あのとき俺たちが見たかった、必殺技。
掛崎という男は、また一つ強くなったようだ。
「まじかー、中学の時は一回も見せてくれなかったのにな」
「中学の時も練習では何回も見せてやったろ」
「中学の時からできたの⁉︎」
「まあ一応な」
「わーすごい」
「そんなん言うんだったら、楠本もすごいぜ。だって県大会優勝はやばいもん」
「ありがと。でも、私のはたまたまっていうかさ」
「んなこたねーよ、めっちゃ練習してるの知ってるぜ」
「そ……そうかな……」
こういう話をしてると、スポーツやってる人ってのは羨ましいなと思ってしまう。
仲間と一緒に体を動かして汗流すっていうスポーツの特性は、それだけですごく人生を豊かにできる要素を秘めている気がする。
部活の話がひと段落したところで新たな疑問を投げかけた。
「掛崎、それに楠本もだけどさ、将来について何か考えたりしてる?そろそろ俺たちもそういうの考える時期じゃん」
楠本と掛崎、二人ともスポーツで人生設計できるほどの実力者だ。そんな二人は、自分の将来をどのように考えているのだろうか。
届いたデラックスステーキをフォークとナイフで丁寧に切りながら、掛崎は言う。
「俺は、まあとりあえず大学に行って、就活して、社会人チームでバスケをするかな」
「そうなんだ。Bリーグには行かないのか」
「黒原は、Bリーグを舐めすぎだな」
掛崎は柔らかい呆れ顔をした。
「Bリーグ行けるのは、全てのバスケ部員の二千五百人に一人と言われてんだ。ウィンターカップに出場した部員に絞っても、百人に一人っていう計算。まあ確率の話抜きにしても、俺の身長は百八十八で、これってBリーグの平均身長より低いんだよな。そういう色んな意味で、結構難しい」
「詳しいね」
楠本は目を丸くしている。
「入院してる時に色々調べたんだ」
入院という言葉を使って、掛崎は、あ、という顔をした。
「黒原、あの時、ひどいことを言ってすまんかった」
掛崎は食器を置き、テーブルに近いところまで額を近づけた。
「おいおい、いいよいいよ。俺も態度悪かったしさ」
「あんなこと言っちゃだめだよな。俺が骨折したのも、バチが早めに当たってたのかもな」
「何言ってんだよ、てか怪我の状態はどうなんだ、もう何も心配ないのか」
「いや、それがさ」
楠本も何か知っているようで、表情を曇らせた。
「次同じ場所を怪我したら、もうバスケはできないって言われたんだ」
「え」
バスケはできないってつまり、バスケが……できないってことか。
「どういうことだ、走れなくなるってことか」
「いやまあ、そこまでじゃないらしいけど、全力でジャンプしたり、全力で踏ん張ったりするために必要なところが怪しいらしいんだ。だから、俺、今結構ピンチ」
「そうなのか……」
大学とか就職とか言ってたのも、そういう理由なのかもしれない。
掛崎のバスケに対する想いの強さを知っているばかりに、俺も軽くショックを受けた。
「いや……でも公式戦で点取りまくったんだろ、そうじゃなきゃ……」
「俺、ベンチだよ」
「え」
バスケ部の快進撃の話を聞いた時は、掛崎の活躍のおかげだろうと信じて疑わなかった。というか、掛崎なしでベスト四まで行くってどういうことだよ。
「いや、ベンチって言っても、プレー時間制限してるだけで試合には出てた。でもそれ以上に、先輩方の熱量がすごかったよ。夏に走りまくったからかな。全員の体力がすごいんだよ。ずっと一クォーター目と同じ動きできてるっていうかさ」
バスケは、体力の消耗がすごい。必要なのは、持久走を早く走る体力ではなく、シャトルランで百二十回を余裕で走れる体力だ。似てるようで、この二つの種類の体力は全然違う。
「私も夏休み、バスケ部と体育館一緒になったことあったけど、練習のほとんどがランメニューっていう日もあったよね。ずっと走ってるから友達と大丈夫かなって心配してたよ」
「そうなんだよ、俺は怪我してたから見学してたけど、内心めちゃくちゃ焦ってた。他の部員が体力をつけていく様子をまざまざと見せつけられてさ」
「先輩たちは、受験とかどうするつもりなんだろう……」
「まあ、指定校推薦とか決まってる先輩もちらほらいるけど……あのほら東條先輩とか。でもほとんどの先輩は、最近私立大に向けて勉強始めたらしいぜ」
夏しか全国大会が開催されていない競技もある中、バスケが夏と冬の二つの季節で開催されていて良かったと思った。夏だけだったら、掛崎が先輩方と同じコートに立って試合することはできなかったから。
クリームパスタを食べている楠本は、掛崎の部活への想いに感動しているようだ。フォークを止めて、熱心に話を聞いている。
バスケ部の話が落ち着いたところで、楠本にも質問した。
「楠本は、将来どうしようとかある?」
「将来か……うーん、正直、まだ何も決めてないかな」
「そうなのか」
楠本は将来のこととかはきっちり決めて日々の生活を意味あるものにするタイプだと思っていた。いやなんか俺思い込み多くないか。
「バドミントンだけで生活していけるのか、不安でさ」
「なるほど、確かに、Jリーグみたいなプロリーグは、バドミントンにはないもんな」
「そうなんだよね。実業団のリーグみたいなのがあって、会社員やりながらバドミントンも本気でやります、っていうスタンスの人もいるんだけど、私はお仕事とバドミントン両立できる自信、ないんだよね」
「何も決めてないだけでめちゃくちゃ考えてるんだ……」
やっぱり楠本は楠本だった。
「日本代表とか、楠本は狙えるレベルだと思うけど」
「そう言ってもらえるのは嬉しいんだけど、やっぱり日本代表とか行くにはもう少し実力が必要なんだよね。高校生の時点で日本代表に選ばれる人もいるし、U-18とかで日本代表に選ばれない時点で、もう結構厳しいというか……これから頑張るけどね」
「そういう次元の話をできるだけすげぇよ、ほんと」
改めて、楠本と掛崎が努力の天才だということに気付かされる。中学の時から、確かにそれぞれスポーツが上手かった。でも、俺がなんとなく過ごした数年で、とんでもなく高いところまで行ってしまった。俺には見えない景色を、二人は今見ている。
置いてけぼりにされた気分だ。
「黒原くんは、小説どうなったの」
マグロたたき丼についているお吸い物を啜っていると、楠本に質問された。
「小説か……うーん、ちょっと悩んでるんだ」
「悩んでる?」
掛崎は驚いたように繰り返した。
「どういうことだよ」
「なんか、モチベーションがなくなってきたというか……自分が本当にやりたいことが小説なのか、わからなくなってきたんだ」
「なんだよそれ、あん時は小説家になるって言ってたじゃん」
「ああそうなんだけどさ……この前出した大賞で、一次選考落ちちゃってさ」
「そっか、そりゃドンマイだな。でも、その一回の失敗で諦めちゃうのか」
「諦めた……わけじゃないんだけどさ。普通の生活も悪くないかなって」
「普通の生活?」
「うん、普通に大学行って会社員になってそれなりに頑張って働いてさ。まあ、いい人がいたら結婚して子供できてって感じで。それで子供と一緒にキャッチボールしたりおままごとしたりしながら過ごすのも、悪くないかなって」
「一回ひどいことを言ってしまった俺が何を言えたもんでもないんだけどさ」
掛崎はそう前置きした。
「お前が病院で小説家になるって言った時、俺ちょっと羨ましかったんだ」
「なんで」
「だって、本気の目をしてたから」
本気の目。
今まさに、俺が見ているこの男の双眸のことを言うのだろうか、もしくはその横の楠本の大きな両目のことを言うのだろうか。
今の俺の目は、きっとぎらついてない。
「私も、黒原くんが小説家になるの楽しみだな」
「楠本……」
「そうしたら、色んな人に自慢しちゃうかも」
「でも俺、一次選考落ちなんだ……変に持ってた自信とかプライドとか、どっかいったよ」
「いや、それは違う」
掛崎がキッと言い放った。
「何が違う」
「プライドはどこにも行ってないはずだ」
「なんで」
「自分を守りたい、もう傷つきたくないって思ってるから、小説から離れようとしてるんじゃないのか」
「え」
あれ。
つまり俺は。
「逃げてるんじゃないのか」
覗かないようにしていた深層心理。
「自分の夢とか好きなことへの気持ちとか。小説書くのを応援してくれる人とか。でも叶わないかもしれない不安とか。そういう諸々のものを受け止めきれなくなったんじゃないのか」
スパァンと顔面を殴られた気がした。
「お前は、逃げてんだ」
気持ちよかった。
ああ、そうだ。
俺は。
俺は逃げていたんだ。
失敗と、失敗の先にある成功からも。その失敗と成功をつなぐ、気の遠くなるような努力からも。
逃げていた。
だって、この世界は逃げてもいいように作られている。
自分の夢から逃げてもそれなりに楽しく暮らせる。やりがいのある仕事はたくさんある。
この世界に必要のない仕事など一つもない。
だから、どんな道を選んでも満足する日が来てしまうのだ。
「そうかも……しれない」
「俺さ、絶対忘れないようにしている言葉があるんだ。小学生の時に覚えた言葉でさ、アニメかなんかのキャラが言ってたことなんだけど」
掛崎にもアニメを観てた時期あったんだ。
「どんなんだ」
「十年後からタイムスリップしてきたんだと思って生きろ……的なやつ」
「タイムスリップ?」
「ああ。十年後の自分は、もしかしたらこの十年間をやり直したいと思ってるかもしれない。そう思う人がほとんどだと思う。だったら、やり直したいと思って本当に十年前にタイムスリップしたと思って行動しろってことだ」
「なるほど、なんかすごく得した気分になれるな」
「だろ」
確かに、十年後、二十年後でもいい。その時の自分は、せめて十年でもいいからやり直したい、この二十年間をもう一度最初から過ごせたら、と思ってるかもしれない。
だったら、そう思って、そして今戻ってきたことにすればいい。
「やっぱり、一番大事なのは、後悔しないことだと思うんだよな」
掛崎はらしくもなく、いいことをいい顔して言った。
同じようなことを、本好きの優しい先輩が言っていた気がするなぁ。
「今、未来から帰ってきたって思えばいいんだよね」
楠本も頷いている。
「そう、だから俺、母ちゃんとかからはバスケ続けるの反対されたんだけどさ、やっぱりやめられなかったんだ。十年後を考えた時にさ、あの時なんでバスケやめちまったんだろうって後悔すると思ったんだ」
「それはさ、縁起の悪いことかもしれないけど、バスケを続けたせいでもう一回足を怪我して、もとのように運動できなくなったとしてもか」
掛崎は、コーラをグッとあおった。
「ああ、もちろんだ。だって俺、バスケ好きだから」
「そうか」
好きなんだ。それはもうどうしようもなく。
「じゃあ私も、後悔しないって考え方を軸に、自分の将来について考えてみようかな」
「いいな、それ。てか、楠本って後悔したこととかあるの?」
「いっぱいあるよ。今日も、最後のゲームでスマッシュじゃなくてドロップにすればよかったって後悔してる」
「ストイックだよなぁほんとに」
楠本だって、いつかの会話でバドミントンのことを恋人と言ってたな。
好きこそものの上手なれという諺もある。
俺は、小説のことが好きなのか。
二人の会話を聞く傍らで、考える。
小説。
文字の羅列。言葉の掛け合い。行動と心情の応酬劇。
読めば元気になれる。悲しくもなれるし、感動もする。
小説には力を与える力がある。
小説なくして、俺の人生は、ない。
そんな大げさな単語を使わなくてもいいか。
小説のことが好きだ。大好きなんだ。
それだけだ。
小説家の夢を諦めてみろ。
お前は絶対後悔する。
十年後、二十年後、どんな状況であれ絶対に後悔する。
だって、好きだったから。
本気だった時があったから。
自分の青春を捧げたから。
そうだ、俺の青春なんだ。
それを諦めてたらもう何も残らない。
自分で自分から好きなものを取り上げるなよ。
綺麗事だけじゃない。
もちろん、お金だって欲しい。
好きなことをやって、それで生活していけたらどれだけ幸せなことだろうか。
俺にはできるはずだ。根拠なき自信。いつからか心臓近くにもつ、小説を書きたいという衝動、その小説を世に出したいという欲望に正直になるべきだ。
「俺、やっぱり小説家になるよ」
急に喋った俺に驚いて、掛崎と楠本の会話が一瞬止んだ。
「なんて?」
「俺、小説家になる」
掛崎は「そうこなくっちゃな」って顔をした。
「いいじゃん、応援するわ」
「私も。そうだ、この前書いたの読ませてよ」
「いや〜あれはさ、落ちちゃったし」
「そんなの関係ないよ!黒原くんが書いた小説読みたい」
「俺も冬休みに読ませてもらおうかな」
「失望しないって約束するならいいよ」
「そんなのしないよ!絶対読ませてね!」
「わかったよ」
自分の夢を語って、聞きようによってはその内容が非現実的だったとして、それを馬鹿にしないで応援してくれる人のことを、友達と呼ぶのかもしれないと思った。
まあ、それでも男女の友情は成立しないと思うけどね。
時間も時間になったので、解散することにして、ファミレスを出る。すると雨が降っていた。傘をささないと派手に濡れそうだ。
天気予報は、一日通して晴れだった。嘘つき。
「俺、逆方面だし、先帰るわ」
「傘あるの?」
「おう、ない。でもまあ最寄りまでは親に迎えにきてもらうから!」
「風邪ひくなよ」
「俺は高校に入ってから皆勤賞だぜ」
「言うねぇ……まあでもそれなら安心だな」
「だろ。じゃ、今日はありがとな」
「ありがと!」
「うぃす」
掛崎は大股で雨の矢の中に消えていった。
最後、掛崎がグッジョブというサインをこちらに向けたのは、見間違いだろう。
※
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