第七話 小説家になった日
最後まで読んでいただけると嬉しいです!
第七話は少し長めです。
朝、六時に起きるようになった。登校中のチャリでぶつぶつ独り言をして登場人物を喋らせた。授業はほとんど聞かず、ノートに小説のアイデアを書き出した。周りの注目を集めないという点で、一番後ろから二列目の窓際という俺の席は幸いした。
放課後を迎えると一目散に教室を抜け出し、チャリで心臓破りの坂をノーブレーキで下った。その時の向かい風の匂いが、青春を感じさせてくれた。
スーパーに着くと、パソコンとノートを開く。ノートには気に入った熟語やアイデアを書き乱し、頭で整理できたらパソコンで小説を進めた。
タイピングは上達した。一日だけブラインドタッチの練習をしたおかげだろうか、書いていくうちに正確かつ速く打てるようになっていった。
スーパーに行かず家で書く日は、帰ってからの六時間ほどを読書か執筆に充てた。
土日は朝から夕方までスーパーに入り浸った。
そんな生活を、九月の間ずっと続けた。
九月七日、一万八千文字。
一応、結末までの話の大筋を決めることができた。あとは書き進めるだけだ。
九月八日、二万五百文字。
大筋が決まったせいだろうか、かなりサボってしまった。三十分ぐらいアニメを観るはずが、気づけば一クール観てしまった。早く寝てこの嫌な感覚をリセットしよう。
九月十二日、二万五千七百文字。
楠本からラインが来た。
バドミントンのラケットのガットが部活中に切れたらしい。帰ってから、近くのスポーツ用品店まで行くのだけど、夜一人は心細いからもし暇してたら来てほしい、とのことだった。
きっと楠本について行ったとしても一時間かからないぐらいの用事だったけど、その一時間が俺は惜しかった。だけど楠本からそういうお願いをされるのは初めてだったし、何より俺は断ることがとても苦手なのでかなり葛藤した。
その葛藤のせいで何も進まなくなった。だから嘘をつくことにした。
──ごめん、今日親と飯食いに行ってんだ。お父さんかお母さんいないの?
──そうなんだね。ごめん。お父さんかお母さんに頼んでみる。
──わかった。ごめんな。
──ううん、こっちこそごめん。また明日ね!
びっくりマークを見て罪悪感に苛まれたけど、そんなことを言っていても小説は進まない。
十月以降にまた何かお願いされたら、そのときは何でもしようと思った。でも、楠本のことだから、もう何も言ってこないかもしれないとも思った。
九月二十二日、三万三千二百文字。
締め切りまでもう十日もない。気の向くままに書いていたら、文字数の上限をオーバーしてしまった。どこか削らないといけない。でも、自分としてはどのシーンも必要不可欠、かけがえのないものだったから、難しい作業だ。八方塞がり、にっちもさっちもいかない。
最近、現実世界よりも小説の中の世界の方が、色鮮やかに見えることがある。サドルから見上げる空はどこまでも曇っていて、月から遠目に見る地球はビー玉のように青かった。いやピンク色をしていたかもしれない。
今、執筆の合間を縫って読んでいる小説が純文学に該当するからだろうか、俺が書く文章は固く四角くなっていて、当初のフレッシュさなぞ見る影もなかった。
ただ、一度書いた文章を目の前にバックスペースを押す気にはどうしてもなれず、ただパソコンを見つめる時間だけが増えていった。
初めて聞いた時は耳を疑ったけど、掛崎は全治一ヶ月と診断された骨折を半月で完治させ、もう二学期からは試合に出ているらしかった。なんというフィジカル。
そんな掛崎から飯に誘われた時は、キツネにつままれたような気分になった。今日、突然ラインが来た。文面は「今日飯行かね?」というとりとめもないものだったけど、夏休みの病院でのことについて何か話があるのだろうとは簡単に想像できた。
今度は、断るのにそこまで気後れしなかった。慣れとは怖いものだ。
「今金欠なんだ。また今度にしてくれるとありがたい」
金欠なんて、一番最初に思いつくような言い訳だったけど、掛崎はそこには触れず「そうか、じゃあまた今度誘うわ」と返してきた。
そもそも、大親友でもチームメイトでもない男二人が、サシで飯を食ってまともな空気でいられるのかという話もある。
それでも、次誘われたら行こう。俺も聞きたいことはある。試合でダンクは決めたのかとか、進路のこととか。
進路──スポーツ強豪校の選手って、本当にどうしてるんだろう。高校三年生の最後まで試合に出続けている人もいる。今の時代、AO入試やら指定校推薦やらで大学進学のハードルは下がっているかもしれないし、就活に関しても売り手市場と聞くから働き口に困る人は少ないのだろうけど、それでもスポーツ一本でやってきた人間が別のことを本分にして生きていかなくちゃならないのはきっと辛いだろう。そのまま、いつかの夢を忘れて大人になっていくのだろうか。スポーツに限らなくとも、急に社会に放り出されて、興味のないことをしないとお金を稼げないなんて、あまりにも残酷ではないか。
いや、人の心配をしている場合ではない。他人の進路どうこうはさておき、最近の自分の立ち振る舞いにはかなり影がかかっている。先生や親との会話にも真剣になれず、どんどん自分が嫌なやつになっている感覚がある。
おそらく、時間を割きたくないからだ。他事に時間を割きたくなくて、外部との接触を最小限にしようとしているのだ。いや絶対にそうだ。
仮に小説が一朝一夕で完成させられるものならば、そんな必要もないのだろうけど、あいにくそんな上手い話はない。ましてや文字数という絶対的な物差しで進捗度合いを測れるのだから、何かに追われている感覚というのは日に日に強くなるばかりだ。
他人との関わりを極力断ち、ただひたすら文字とにらめっこするこの一ヶ月余り。俺の心は荒んでいるかもしれなかった。そしてそれを自虐的に捉えている自分がとてつもなくイタかった。
でもここで踏ん張らないと何も始まらない。犠牲なしに語れる夢などない。
そんな、中二病でも言わなさそうな台詞をぼやきながら、俺は物語にいよいよ終止符を打とうとしていた。
九月三十日 文字数計測不能
これほどまでに、九月の短さを呪ったことはない。今も覚えている、「にしむくさむらい」という語呂合わせ。紛れもなく、小の月──一ヶ月が三十日までしかない月の覚え方だ。「士」が十と一を合わせた漢字だからさむらいなんだ、と感動している余裕などない。そして、ここまですんなりと徹夜することを決めた日もない。なんとなくゲームをしていたら二時半になっていた(不思議なことに、二時なら寝る気になるんだよな)ときや、宿題を終わらすために渋々徹夜したときはあっても、ある種使命感のようなものを感じながら徹夜するのは今日が初めてだ。
あれだけ頭を悩ませても未だ文字数がまとまらず、そしてエピローグもまとまらない。終わりよければ全てよしという慣用句がいちいち脳をチラつき、思考回路にプレッシャーを放ってくる。裏を返すと、終わりが悪ければ……ってことだから。
三十一日の朝。徹夜だったが眠い眠くないの次元はとうに通り過ぎていて、俺はいつもよりさらに三十分早く家を出た。チャリで向かったのは、学校ではなくスーパーだ。人生でスーパーに開凸することがあるとは思わなかった。並大抵のスーパーよりも開店時刻が早い我が地域のスーパーに超感謝。もちろんこんなことを言っている場合ではない。
ホットコーヒーとメロンパンを相棒に、自習スペースの一角を陣取った。開凸して自習スペースに来る人など俺以外にいなかった。奥に見える服屋はまだ閉まっている。
心なしの非日常。俺はリュックからパソコンとノートを取り出す。
こうして最終日は始まった。
いとこの兄ちゃんいわく、大学のレポートの締め切りは締切日の十七時らしいけど、小説の大賞は、概ね当日の二十三時五十九分に設定されている。
猶予はある。
まずは最初から読み直して、つじつまが合わないところがないかチェックする。なかった。山場の盛り上げ方も、我ながら完璧だ。ここに筆を入れる必要はない。
となると、問題はやはり最後の場面。
色々あって、主人公は髪の長い女性と恋に落ちるのだけど、最終的には別れる展開を想定していた。だけど、どうしても別れる理由がない。
確かに月と地球の重力は六倍ほどの差があるけど、それを理由に別れるのはあまりにも現実的すぎて寂しいし、結局その女性の正体は本を読むおばあさんだったっていうオチも飛躍的すぎて説得力がない。それに文字数の問題もある。
読書感想文の千五百字に苦悩したときもあったけど、今の俺に三万文字は少なすぎる。三万文字で物語をまとめあげる能力はない。
一時間ほど座っていると、奥に見える服屋のシャッターが開いた。スーパーならではの、どことなく生地と色の薄い服がプラスチックのハンガーにかけられている。服のしわを伸ばしている店員さんがこちらをみた。かなり長い間見られていた気がする。何がそんなに物珍しいのかと思ったけど、当たり前だ。俺は制服を着ていた。制服を着た高校生がこんな朝っぱらからスーパーにいるなんて、それこそ非日常だろう。
慌てて俺は目を逸らし、試行錯誤を再開した。
昼飯は一階のイートインコーナーへ行き、夏休みにいつもそうしていたようにカップラーメンを食べた。腹持ちさせるため、自分の若さを信じて汁も飲み干す。好きなパイ菓子を百円ちょいで買って、再び二階に戻った。
束の間の休息がてら、ソシャゲのログインをし終わった時だった。男女二人組が歩いてきた。二十代後半ぐらいかな。姿勢、歩幅、身だしなみ全てが上品だった。
二人は、当たり前のことのように腕を組んでいた。今まで何十回、何百回とそうやって歩いてきたんだろう。
何を話していたのかはあんまり聞こえなかったけど、幸せそうだった。今は平日の真っ昼間だから、二人は有休を取ったのだろうか、それとも土日に働くサービス業に勤めているのだろうか。答えのない問題に数十秒ほど頭を使った。
二人組が俺の前を通過してから、五分十分と経つにつれて、自分の小説の主人公とヒロインが可哀想に思えてきた。あんなに好きあってるのに、理由もなく別れさせるのは俺の勝手すぎる。
宇宙で不運なカップルは、織姫と彦星だけで十分だ。
そう決意してから、クライマックスとエピローグまではほとんどノンストップで書き上げることができた。ここ一週間の醜態が嘘のようだった。
二人は地球で仲良く同棲を始め、ヒロインがジムの契約をしにいく場面で物語を締めることにした。
本文を全て書き終えると、いつしか夕方になっていた。
頭の上で手を組み、一息つく。
人通りは増え、自習スペースにも受験勉強をする高校生やら資格勉強をするサラリーマンが集まってきた。さっきの服屋にもちらほらお客さんが入っている。
誰かの足音や会話、そういう雑音が増えていた。俺はそういう雑音が好きだ。道ゆく人と俺とは何の関係もないんだけど、不思議と「あぁ、俺は一人じゃないんだ」って思える。活気を感じれるって言うのかな。
目線をパソコンに戻すと、突然嫌な予感がした。
パソコンの画面が真っ暗になっていたからだ。
このパソコンは、五分使わなかったらスリープモードになる設定にしてある。だけど、今回は俺が最後に触ってから絶対に五分経ってない。
つまり……充電切れだ。
そうだ、徹夜でやってて充電するの忘れてた。で、今日ずっと充電もうちょいでなくなるなーとか思いながらそれを忘れて小説書いてた。
やべぇ……最後に保存ボタン押したのいつだっけ。
ほんとに怖い。
こうなったら家に帰って充電しながらやるしかない。大型ショッピングモールと違って、このスーパーのイートインスペースにはコンセントがないのだ。
くっそ……よりにもよって最終日にこんなヘマをするとは。
手元の紙には、さっき遊びで書いた計算式がある。
フェラーリで月までいったらどれくらいかかるのかという計算だ。計算といっても、距離÷速さっていう小学生で習う数式なんだけど。
こんなことする前に、充電があるかどうか確認しておけばよかった。
俺は、フェラーリに乗った心持ちで自転車を漕いだ。
ちなみに地球から月まで、フェラーリの最高速度三百四十キロで移動すると、一ヶ月半かかる。
案外そんなもんか。
※
あっという間のサイクリングライフだった。お疲れ相棒。
玄関から自室までの階段も一段飛ばし。
母さんが夕ご飯をいつにするか尋ねてくる声が背中から聞こえた。正直、お腹は全く空いてないから、「夜〜!」とだけ返した。
パソコンに電源を繋ぐ。
俺のデータ、生きててくれ……!
パソコンが息を吹き返し、Wordフォルダを開く。何も変わらないのに、いつもの倍以上クリックした。
文字の海がさざなみを返す。
「っぶねーまじで」
俺の今日の成果は、一字一句欠くことなく無事だった。
本当にあぶなかった。
これからは充電を確認しないといけないな。
パソコンのどっかに付箋でも貼って忘れないようにしよう。
さあ、あとやることは誤字チェックだけだ。
自分の文章に陶酔するべく、自力で誤字を探したいけど、それだと見慣れてるから目が滑ってしまうだろうな。
仕方ないけど、AIに頼ろう。
高校生の俺は、地味に高額なAIのサブスクにはもちろん入ってない。でももしかしたらいけるんじゃないか、と思って小説の全文を投げてみると、案の定エラーが返ってきた。文字数オーバーだ。小分けにして再度送る。すると、自分でも気づけなかった誤字や間違いをAIは教えてくれた。こういう作業はとっくにAIの範疇にあるのか。
誤字を修正して、もう一度読み直した。もう、やり残したことはない。これ以上の文章を俺は書けない。
SF→宇宙→月なんていう、陳腐だと言われてもおかしくない論理構造で書き始めた物語だったけど、ちゃんと起承転結があってクライマックスがあって葛藤と恋と物理が入り混じった物語になっていた。
いよいよ投稿するべくサイトを開くと、千文字程度であらすじを書かなければいけないことに気づいた。時計を見ると十九時。早めにサイトを開いて良かった。
約三十分の一に物語をまとめるのがここまで難しいとは思わなかったが、今日の俺は最強だったから、ものの数分で小説の魅力を存分に詰め込んだあらすじを書き切ることができた。
作品情報、作者情報、そしてWordをPDF化したファイルを投稿フォームに入れていく。最後にもう一度、我が小説を見直そうかと思ったけど、もうそれをする勇気も気力も残っていなかった。
『応募する』ボタンを、クリックした。人生で一番重い左クリックだった。
二ヶ月間の結晶が、今、解き放たれた。
「づはぁぁぁぁぁぁぁぁ」
一気に体の力が抜ける。目を閉じると、脳内で快楽物質と疲労物質がパーティをしているのが分かった。
達成感からか、それとも十月末日に行われる一次選考の結果発表が待ち切れないからか、居てもたっても居られなくなった俺は、パーティをしている脳と一緒に散歩に出かけた。体内の熱量を抑え切るには、自宅は狭すぎた。
散歩先がどうしてスーパーになったのかはわからなかった。それもついぞ夕方作業していた自習スペースである。座る。
スーパーの閉店時間もあと二十分と迫る中、俺は妙に落ち着いていた。充電が切れるというトラブルもあったけど無事だった。あらすじも書けた。何事も良い方向に進んでいるはずだ。道中の自販機で買った缶コーラをぷしゅりと捻る。振っても落としてもいないのに、中身が溢れ出そうとしたから慌てて飲んだ。どうにかことなきを得た。
スーパー自体が寝る準備をしているのか、と思うほどあたりは静かだった。自習スペースには、資格勉強をしていたあのサラリーマンだけが残っていた。彼も寝ている。
今日、俺は小説家になった。
小説でお金を稼いだわけでもない。作品が映画化されるわけでもない。だけど、自分の書いた小説を誰かに読んでもらえて評価してもらえる権利を得た。何もしていなければ、俺はずっと青い鳥症候群のワナビーに成り下がっているところだった。
楠本の用心棒、掛崎との男臭い飯、そして本仮屋先輩との心安らぐ時間を犠牲にした。そしてはたまた、先生や親とのコミュニケーションを犠牲にした。それは、センチメンタルな高校二年生にとって手放してはいけないはずの財産だったかもしれない。
でもそれが間違いだとは思わない。YouTubeでラッパーがよく言っている言葉がそれを証明している。
No pain, No gain.
去年バスケを辞めたことは間違いじゃなかった。普通の人なら選ばない選択肢を選んで良かった。あの夏の朝、電車に乗り遅れて良かった。
今なら全てに意味があったと胸を張って言える。俺は後悔しないように頑張れたのだ。夢に一歩近づくことができたのだ。
たとえ今回が一次選考落ちだったとしても……なんて、弱気なことは言わない。自分の作品にはてんこ盛りの自信がある。必ず選考委員の目に留まるはずだ。こんなにも展開を考えてキャラ立ちを考えて読みやすさを考えたのだから。
音質の悪い『蛍の光』が流れてきた。奥の方の服屋のシャッターは閉まっていた。よいしょ、と俺は立ち上がった。
スーパーを出ると、やっと季節に準じ始めた夜の風が細やかに吹いていた。こんなときに満点の星空だったら大層気分が良かったけど、現実は小説ほどできていない。見上げてもそこにはただただ暗い雲が寂しそうに流れているだけだった。
半袖半ズボンの部屋着のまま来たから、若干寒い。ゴミ箱に空き缶を捨て、久しぶりの運動がてら、俺は家までジョギングを始めた。
※
ここまで読んでくださって本当にありがとうございます!
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