第六話 焦燥感
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スタンドをガチンッと蹴飛ばし、自転車にまたがる。リュックの中には、宵越しで行われた激戦の成果物がどっさり入ってる。重い。
それでも、ペダルを漕ぐ足取りは軽かった。これで留年は免れるはずだ!
それに、今日は眠くない。エナジードリンクの効果がバッチリ出てるのかもしれない。まあ、どうせ昼頃から怒涛の眠気ラッシュが訪れるのだろうけど。
九月に入ったとはいえ、まだまだ暑い。残暑というレベルでもなく、未だ真夏の気配。学校の駐輪場に着いた頃には大量の汗をかいていた。
朝礼で全員が宿題を出していた。ドヤ顔を決め込んでいたのは俺だけかもしれないが、それは些細な違いだと思う。
みんな、部活の話やら、旅行の話やらで盛り上がっている。インターハイに出場したとか、イギリスに行ってきたとか、そんな話。俺とは別世界だ。
よく、アニメやら小説やらで夏休みの終わりが憂鬱だと登場人物がぼやく描写を見るけど、あれは意外と的を射ていない気もする。もちろん前までの俺みたいに、本を読みに学校に来ている人にとっては、早い朝や拘束時間の長い授業が苦になるかもしれない。だけど、結局学校には友達がいて、夏休みに話しきれなかった色んな思い出を共有したり、久しぶりに顔を見たらちょっと焼けてて「おい焼けすぎやろ!」なんて笑い合ったりするのを心から楽しんでいる人も多いように思う。
道理で、みんなの顔は明るい。いいことだと思う。何かの本で読んだ。高校の友達は一生の友達だと。そういう意味で俺はものすごい危機感がある。友達が少ないから……
だけど、俺の顔も明るいよ。目の下のクマがすごいだけ。俺も俺でちゃんと盛り上がっている。小説が進んでいるからだ。話す相手こそいないものの、みんなのことを羨ましいと思わない自分がいることに、驚き半分嬉しさ半分だった。
朝礼が終わって、教室で少し待機した後、俺たちは体育館に向かった。二学期の始業式だ。
体育館では全員が体育座りをしている。最後にはおしりが痛くなるやつ。
校歌斉唱、そして表彰式。いつもの流れだ。
夏休み、本校の生徒たちは部活で健闘したらしく、表彰式は長かった。
そしてお決まりというかそれこそ恒例行事というか、本仮屋先輩もまた作文で表彰されていた。あの人は夏休み、受験勉強をしながら作文もしていたのだった。俺はマルチタスクができないので、脱帽するしかない。先輩は定例作業をするかの如く賞状授与をこなしていた。それと記念品のボールペンももらっていた。ああゆうボールペンの替え芯ってなんなのかな……気になる。
表彰式が終わった後は、やはり校長先生がありがたいお言葉をくれる。内容いかんに問わず、今までの校長先生の話は何一つとして覚えていないから、今回も背筋を伸ばしながら目をつぶろう。これが一番楽だ。
校長先生はまず高校三年生に向けて、夏休みの過ごし方を問うた。それから、有意義に過ごせた人はそれを継続して、そうでない人はまだ逆転のチャンスがあるので二学期からの勉学により一層励むようにと言った。そして、「では二年生の皆さん」と言った。
俺は目を開いた。
「皆さんは、まだ時間があります。努力してください。努力しないと、成功しません。成功は偶然ではなく選択なのです。ところで、最近コスパという言葉が流行っていますね。いや、もうひと昔のことかもしれませんが、今年五十八歳になる私には同じことです」
教師陣が少しだけ愛想笑いをした。
「コスパを求めるのは、究極的には良いことです。同じ時間を過ごしていても、効率の良い努力と悪い努力とでは、その結果に差が出ますから。最終的には、効率の良い努力ができる状態になっていただきたい。ただ、最初から効率を求めないでください。そうすると、その焦りが非効率を生んでしまう可能性があります。勉強は質より量。たくさん勉強して、努力して、その副産物として効率はついてくるのです」
校長先生はざっとこんな話をしていた。
自称進学校の校長なだけあって、勉強に関する話題だったが、なぜか俺にはそう聞こえなかった。これは小説にも言えることなのではないだろうか。
質より量。そうだ、たくさん書かないといけない。
とにかく書きまくらなければならないんだ。じゃないと、夢に近づけない。一文字書くごとに、夢に近づく。書かなければ、近づけない。
単純な話。
教室に戻ると、二年生にして早くも受験勉強を始めている周りの生徒たちが、殊勝なことに、校長先生の話を取り上げて議論していた。単語帳をやるのがいいだとか、センテンスで覚えた方ががいいだとか。参考書を読むべきだとか、そんなことより問題をやりまくった方がいいだとか。
だから俺も、考えざるを得なかった。
校長先生は最初から効率を求めるべきではないと言っていたけど、そうだろうか。効率を求めた先に圧倒的な量があるのではないだろうか。先とか後とかなく、ひたすら小説に打ち込める環境に身を置いた方がいいのではないか。
先輩と部室で話すのは楽しい。先輩との会話の中で、初めて知る熟語や思いつくアイデアがある。勉強も教えてもらえる。
だけど、二学期からもそれを続けていて、本当に締め切りに間に合うのだろうか。効率はいいのか。量をこなせるのか。ここまで積み上げてきた一万と数千文字が、無駄になったらどうする。俺の夏休みが無意味になって誰が責任を取れるというんだ。
きっと後悔するに決まってる。
だとすれば、俺が取るべき行動は自ずと決まってくる。
そこまで考えたところで、ガラガラと教室の引きドアが開き、谷松先生が教室にやってきた。今から終礼だ。
今日は始業式だから、午後からの授業はなかった。
教室の時計の秒針が、やけに遅く動いていた。
※
「こんちは」
「こんにちは、黒原くん。そして久しぶり、だね」
かなり急いで部室に来たのに、すでに鍵は空いていて、本仮屋先輩は本を開いていた。
「そうですね、お久しぶりです。先輩早いですね」
「うん、終礼が早く終わったの。先生も気を遣ってくれてるのかな」
「大学受験も、いよいよ佳境に入ってきましたもんね」
「そうだね、なんだかみんな、戦士のような顔つきだよ。見違えた」
「その中でトップ三十位なんですから、先輩はすごいです。一学期末は二十三位とかでしたっけ」
「そうそう。いい感じに勉強してたら順位あがっちゃった」
「天才ですね……その気になれば東大とかいけるんじゃないですか」
「それがねーそうでもないんだよ。一位の子、全教科九十点以上らしい。合計点は私より百点以上高い。その子でも、東大模試はD判定なんだって。上には上がいるって言うけどさ、ここまで顕著じゃなくてもいいのにね」
「でも先輩十分すごいですよ。志望校合格は間違いなしですね」
「ありがとう……リュック、下ろさないの?」
先輩は穏やかな表情でそう言った。
だから危うく俺は「あ、そっすね。下ろしますよ」って言いかけた。そして先輩の対角に座りかけた。いつものように。
その衝動をグッとこらえ、リュックのベルトをグッと握りしめる。そうしなければ言い出せなかった。
「先輩、九月いっぱい文芸部を休部させてください」
締め切りまでの一ヶ月間、直帰する。家で書くか、スーパーのフリースペースで小説を書く。書く量を増やす。効率を求める。
これが俺の出した結論だ。
先輩はしばらく俺の目を見ていた。吸い込まれるかと思った。そのちょっと後、先輩は俯いた。先輩が読んでいた本に影が落ちた。
「そっか」
先輩はパタンと本を閉じ、両手をその上に置いた。
「割り切れないな……」
何やら呟いたらしかったけど、あまり聞き取れなかった。
「うん、いいよ。そもそも私に休部を却下する権限なんてない。黒原くんがしたいようにすればいいんだよ」
形式的な話をされて、俺の胸は痛んだ。
「そりゃさ、せっかく一ヶ月ぶりに会えたのに、また一ヶ月くらいまともに会えなくなるのはすこーし寂しいけど、私は黒原くんを引き止められないよ。じゃあ……」
先輩は立ち上がると、スクールバッグから二本のカフェオレを出した。うち一本を俺の手に持たせてくれた。俺に買ってきてくれていたんだ。
「はい、これあげるね。きっと、家に帰って小説を書くんだよね」
目と鼻の先に、先輩の前髪がある。
「そうです」
「ちなみに、どうして?部室でも、書けると思うんだ」
そうやって理由を聞く行為でさえ間接的には俺の休部を引き止めていると、先輩は分かっているはずなのに。
「今のペースでやってたら締め切りに間に合わないって、気づいたんです。しかも学校が始まったら、自由時間は放課後だけ。今までと同じようにしてたら、無理だって思ったんです。締め切りに間に合わなくなったら、元も子もないって。ほら、締め切り今月末だし」
「そっか」
「……あとは受験期の先輩を邪魔するのもなんだかなと思って。まあA判定出てるから心配ないかもしれませんけど」
「怒るよ」
「え」
「私は黒原くんのことを邪魔だと思ったことは、一度もない。ちょっと邪魔かなって思ったことも……まあうん、一度もない」
「ありそうな言い方だなー」
「冗談!ごめん今は冗談言う時じゃなかったね。ほんとにないよ。だからそれが一番の原因なら、私は全力で引き止めるよ」
「一番は、小説です」
「分かった。なら引き止めない。でも一個聞いていい?」
だから、それが引き止めてるんだって。
「……もちろんっす」
「黒原くん今、焦ってない?」
「焦り……ですか」
俺は内心、ものすごく焦っている。人生で一番焦っている。
小四の夏、終業式の日にもらった通知表を引き出しに忘れたことに玄関前で気づいた時より、焦っている。
中学校の体育祭の日に、あろうことか体操服を忘れた時より焦っている。その日だけ俺の苗字は変わった。
見えないゴール。おぼつかないタイピング。稚拙な文章。
その全てに、呆れるくらいに、そして笑えるくらいに焦っている。
だけどそれを今先輩に言うべきではないと、それは逃げになると、そう思った。
「ないです。全然焦ってないです」
「そっか……でも──」
そこまで言って、本仮屋先輩は口をつぐんだ。言葉を飲み込んだように見えた。
そして一拍。
「ううん、わかった。私は黒原くんのこと応援してるよ。話したいことはたくさんあるけど、一ヶ月後にまた話すよ。逆に黒原くんが話したくなったら、いつでも来ていいから」
「あ、あざます……」
「うん、じゃあ私、忘れ物取りに教室に行ってくるね」
先輩は軽い足取りで部室を出て行った。
俺が帰りやすいように、一人にしてくれたみたいだ。そんなことをさせてしまう自分の気弱さが、少し情けなくなった。
見ると、部室の本はいつもより存在感があるように見えた。俺は本たちに睨まれているような感覚を抱えながら、ドアを少し強く閉めて駐輪場へ駆け出した。
※
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