第8話 誠意の形
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深層2階 セーフエリア ――
「ちょっと。ちょっと聞いてるの!? いい加減 離してったら」
手の中でうるさい小生物を解き放つと、緑色の円球がふらふらと浮かび上がった。プンスカ腹を立てた様子の小生物は、自分を掴まえていた人物にイライラをぶつけるように、彼の鼻面に指を突きつけながら悪態をついた。
「ちょっとアンタ、か弱い女の子を握り潰すつもりなわけ。どこの誰だか知らないけど、レディーの扱いがなってないんじゃない!?」
青筋立てて鼻先をつつく煩わしい物体を、ハエを払うようにパチンと弾いた。するとさらに勢いを増して、カワズの目の前を飛び回った。
「酷くない!? いきなり叩くなんて酷すぎない!? こんなに可愛い可愛い妖精様を、なんの躊躇もなく叩くなんてどんな神経してんのよ、この人でなし!」
空中でムキーと地団駄踏んだ自称妖精は、美しく輝く魅惑の羽根を羽ばたかせながら旋回し、今度はカワズの頭にのり、後頭部をポカポカ叩いた。イラついたカワズはすぐに妖精の背中を摘まみ、ポイと投げ捨てた。
「ひどーい。一度ならず二度までもー!」
無視して歩き去る彼の前方に飛び出した妖精は、顔の前を八の字に回りながら、「べー」だの、「いー」だのと煽り倒した。しかし無視を決め込んだカワズは、「虫が飛んでるなぁ」の一言で完全黙殺した。
「ちょっと無視しないでよ。待て、アタシを無視するな、このヒューマンめ!」
髪の毛を引っ張り、まぶたを捲りあげ、力の限り抵抗する妖精にほとほと嫌気がさし、カワズは再び彼女の足を掴まえ、目の前で宙吊りにしてやった。
逆さ吊りにされた妖精は、エッチだの変態だの口撃しながら、指先から水の塊を放出し、彼の目の前で弾いてみせた。
「なにしやがんだ、コバエ!」
「コバエですって!? 誇り高き妖精族のリリー様に向かって。ムギギギ(怒)」
「妖精ってのは、もっと静かで、おしとやかで、かつ優雅って相場が決まってんだ。キサマなどはコバエで十分!」
「コバエ言うな! それにアタシには " リリーさま " って立派な名前があるの。二度とコバエって呼ぶなよ、このネクラ男!」
「喧しい、コバエ」
「美しいリリー様だっつってんだろ、このハゲ、○すぞ!」
デコピンでリリーを弾いたカワズは、「アホくさ」と切り上げ、置いていたリュックを背負った。全身で怒りを露わに飛び回るリリーは、中指をたてたり、放送禁止用語を連呼しながら、空中でペシペシと尻を叩いて挑発した。
「静かにしろ。こっちはお前のせいで酷い目にあったんだからな、少しは自重しろよ」
「それはこっちのセリフですぅ~。どこの誰とも知らないネクラヒューマンに、このアタシの、あーんなところや、こーんなところが惜しげもなくグリグリ触られたのよ。こっちの身にもなりなさいってば!」
互いに剥き出しにした牙をぶつけ合い、子供のように相対する。
「だいたいなんなんだ。魚の腹から出てきたかと思えば、ギャーだのピエーンだの叫び散らかしてモンスター呼びやがって。嫌がらせか!」
「叫んでませ~ん。美しいリリー様による、美しすぎる深層の実況中継で~す。ざんねんでした~」
「んだとコラ。……いや、待てよ。よくよく考えたらテメェ、アイツに食われて腹の中にいただけじゃねぇのか!?」
「うーん……。まぁそうとも言うかな(テヘペロ♪)」
「テヘペロじゃねぇし。それが助けてもらった野郎の態度か!」
リリーの頭をゴツンと小突いたカワズは、もう用は済んだからとセーフエリアを出ていく。しかしそうはさせじと、リリーは彼の服を掴み、「待ちなさいってば」と引き留めた。
「まだなにかあんのか」
「だから待てって言ってるじゃない。このわからずや!」
興奮して肩で息するリリーは、呼吸を整え、どうにか心拍数を抑えつつコホンと咳払いし、少しだけ顔を赤らめながら言った。
「まぁ、あれよ。……一応お礼は言っておくわ、…………ありがと」
「…………で?」
「でって何よ?」
「まさか、そんなくだらん一言のために呼び止めたわけじゃあるまいな」
「それだけ、ですけど……?」
指で丸を作ってみせたカワズは、取り立てでもするように凄味をもたせて言った。
「言葉なんぞいらん。誠意ってのは形で示すもんだ。チミにとって、誠意って何かね、あぁん!?」
「うわっ、こいつアレだ、いわゆるクソだ。バチクソド腐れヒューマンだ、妖精、いいえ、人類の敵よ……」
「なんとでも言え、世の中カネだ。カネさえあれば、つまらん仕事もせずに済む。よーく覚えとけ、バーカ!」
しかし見るからにリリーの姿は見窄らしく、どうやら金はせびれそうもない。カワズは、ふぁ~と欠伸し、野良犬でもあしらうように「シッシッ」と手払いした。