第31話 アレってドレ
「いつも言っているでしょう。《《 アレ 》》はお嬢様の遊び道具ではありません。それに頻繁に使用してよいものではありません」
「しかし今は急を要します。一分一秒とて無駄にできないのです」
「以前もそう言っていたじゃありませんか。もうその手にはのりませんよ」
聞き分けのない子供をあやすように遇らわれたアメリアは、ムーと膨れながら彼女の胸に抱きついた。なんでもない場面なら健やかで健全な一幕なのだろうが、自分たちの将来がかかっている二人にとっては、それどころではない。リリーとカワズは無意識のうちに「遊びじゃねぇから!」とツッコミを入れていた。
「え、ええ、そうなんですの。今回ばかりはそうも言っていられない状況なのです。叔父様の命がかかっておりますの」
「ランカスター殿下の……? まさかとは思いますが、お嬢様。城下で発生している事件に首を突っ込んでいるのではございませんね?」
「当然、そうなりますわ。もはや一時の猶予もございません。今すぐ《《アレ》》をお貸しください!」
カワズとリリー、そしてアメリアを順々に見つめたハーグマンは、小さく首を横に振り、「ダメです」と丁重に断った。
「なぜですのハーグマン様!? このままでは、本当に叔父様の身が危ないというのに!」
「だからこそです。それほど危険な場面に、お嬢様を関わらせるわけには参りません。今や役を解かれた身とはいえ、これまでに私がお嬢様の身を案じなかった日があるとお思いですか?」
「しかし!」
「ダメなものはダメです。お嬢様に危険が及ぶことは、国益を損なうことに等しいのです。貴方様はこの国に絶対必要なお方。そろそろ自覚いただかねばなりません」
次第に厳しくなる彼女の口調に、二人が気付かないはずがない。
交渉が上手くいっていないことは紛れもない事実で、決裂が迫っているのも明らかだった。
「残念ですが諦めてください。私は貴方様の身を守る義務がございます。絶対に使わせるわけには参りません」
しかし平行線をたどる二人の議論に、いよいよ我慢できなくなる人物がいた。 積み上がったゴミの山を般若のような面で叩いたリリーは、「この不毛なやり取り、いつまで続けるつもり!?」と、決して王族へ向けてはならない言葉でまくし立てた。
「お嬢様だかハーグマンだかハンバーグだか知らないけど、こっちはアンタんとこの連中に、意味不明な濡れ衣着せられて現在進行系で命狙われてんの。今この瞬間にも、あのゴリラ男に殺されるかもしんないの。これ以上無駄なやり取りに、アタシたちを巻き込まないでくれる? それにアレってなんだよアレって。何度も何度もアレアレ言うなし。アレってドレだし!?」
思いの丈を一気に吐き出した妖精に、皆の視線が突き刺さる。
「コイツは死罪確定だな」と冷静に判断する反面、「よく言った」と内心満足したカワズは、わざとらしくまぁまぁとなだめながら、「コバエの言うことも一理ありますよ」と付け加えた。
「コレの言うとおり、俺たちは賊と間違われ、衛兵に狙われてます。しかもなんだかわからないうちに、お嬢様と賊の悪事を暴かなきゃならなくなってしまってます。正直なところ、この状況で俺たちを信じてくれなんて虫がいいことはわかってます。でもどうにかして濡れ衣を晴らしつつ、自分たちの無実も証明しなきゃならない。だからお願いします、アレでもドレでもいい、手を貸してくれ!」
カワズの顔を睨むように見つめたハーグマンは、「アンタたちの言葉を証明できるものは?」と聞いた。もちろんそんなものはないため、カワズは少したじろぎながら「ないぉ」と小さく横に首を振った。
「なんだい、その情けない態度と面は。……お嬢様、貴方は本当にこの不届き者どもに拉致されてきたわけじゃないんだね?」
アメリアがまっすぐ自信満々にコクリと頷く。
彼女の表情を正面に見つめたのち、思いがけず一言の反論もせぬまま頭を掻いたハーグマンは、心の底から湧き出るようなため息をつきながら、「仕方ないねぇ」と呟いた。
「さっすが、ハーグマン様!」
「しかし一つ条件があります。アレをお嬢様が使うことは許可できません」
「え!? ですが、それでは……」
鬼のような表情でリリーとカワズを流し見たハーグマンは、順に指をさしてから、最後にカワズのアゴを指先でくいと上げながら言った。
「アンタだね、アンタがお嬢様の代わりにやるんだ。だったら許可してやる」
ビタリと空気が止まり、カワズが「は?」と聞き返した。
言っている意味がわからない。この屈強なお腕をした、お強そうなお姉様は何を仰っているのだろう。
ふむふむ頷き、ひとしきり考えたが、彼には理解できなかった。
それどころか、目的すら見えないのに、アレでアレをするとは何事だろうか。 彼にはサッパリわからなかった。
「無理無理、無理ですわ、無理。100%の無理ですわ」
「アンタそれでもお嬢様の護衛かい。彼女を助けるためにやってきたんじゃなかったのかい!?」
誰しも一度や二度、理不尽な怒りをぶち撒けられた経験はあるだろう。
しかし生死のかかる緊迫した場面で、それを食らうことは稀である。彼はリアルタイムで、その世にも珍しい経験をすることとなる。
それからしばらくの間、アレ、アレと擬音ばかりが飛び交う『怒りの理不尽説教』を受けたことによって、カワズの豆腐メンタルは無惨にも削り取られた。その結果、アメリアに代わり、カワズが全てを肩代わりして実行することと相成った。
「なぁに心配はいらないよ。《《アレ》》を使いこなせば、必ず上手くいく。《《アレ》》の力を信じな」
落ち着き払ったハーグマンがカワズの首に腕を回し、不敵に笑った。
仕方ありませんねとゆっくり三度頷きながら、アメリアも納得した様子だった。リリーは途中から飽きてしまったのか、こくりこくりと居眠りしていた。
「善は急げ、だよ。アンタら、ボーッとしてないで、さっさと準備しな!」
ビクッとリリーが飛び起きる。
泣きながら何かを呟いているカワズの背中をバンバンと叩いたハーグマンが、気合いを入れるようにアメリアと一緒に両手を高く掲げた ――
……ねぇ、アレってなんですか?
……ねぇ、アレってなんなんですか?
誰か 教えて下さいよ
アレってなんなんですか…………
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