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病が流行っているらしい…

「こほっこほっ、ん……っ、ごほっ」


 翌朝、僕は近くから聞こえてくる咳の音で目が覚めた。

 スピラが苦しそうに咳をしていたのだ。

 僕は慌ててスピラの額に手を当てる。


「熱い……ひどい熱だ」


 どうする、どうしたらいい。

 胸がはためく。呼吸が荒くなり、僕はベッドのシーツを強く握りしめた。

 こんな事になるなら川に遊びに行くんじゃなかった。

 いや、違う。そもそもこの子はずっと実験室に押し込められていた。だから病気への抵抗力が当然低いし、遅かれ早かれこうなることは分かっていたはずだ。不手際があるとすれば、その対策を考えておかなかったことだ。

 保護者失格だ。

 くそっ、くそお……

 今からでも出来ることを考えよう。

 まずは、まずは、そうだ。薬を。

 スピラに使える薬を用意できないか考え、僕はスピラを寝かせたまま工場へ向かった。薬品庫に入り、使えそうな薬草を探す。

 風邪症状を示す流行性の疾患の治療薬に用いられる代表的な薬草はエフェドラだ。エフェドラは咳を鎮め、呼吸を楽にし、熱を下げる。過去にも流行したことのある病気なら、その薬の原料になる薬草が倉庫に残っていたとしても不思議ではない。

 しかし、念入りにチェックしていくが、残念ながらエフェドラはどこにもなかった。

 なんでだ!

 なんで無いんだよ!?

 どうする、どうする?

 混乱するな、落ちつけ、落ちつけ。

 国内で消費されるエフェドラのほぼ全てを海外からの輸入に頼っている。エフェドラと呼ばれる植物自体は世界中の乾燥した地域に生えているが、国内に自生しているエフェドラは薬草として用いられている輸入品と種類が微妙に異なり、薬効を持たない。東方にある大陸に生えている種類のエフェドラでなければ薬効が得られないのだ。

 その輸入品のエフェドラは北回り航路で輸入される。北回り航路とは東方の大陸から一度、この大陸の東側にある隣国の港町に寄港した後、そこから北上してこの国の北部にある最大の港町に向かうルートだ。つまりこの国では北方にある港町が最もエフェドラを入手しやすい。そしてそこから直通で運ばれる王都には十分な在庫が確保されている。

 遠い。あまりにも遠すぎる。

 全力で飛行魔法を使ったとしても、ここに戻って来られるのはおそらく最速で明後日だろう。ただ、これほどの長距離を飛ぶだけの力が僕にあるかは疑わしい。回復する時間を設けるなら更に1日はかかる。その間にスピラの容体が急変することは十分に考えられる。

 だめだ、どこかもっと近くでエフェドラを手に入れられないのか。

 東方から来る貿易船は必ず東にある港町に寄港する。ならその港町でエフェドラを手に入れることは可能なはずだ。そしてその港町は今いるこの町から高山を挟んで東側にあり、王都よりもはるかに近い。単純に距離だけを考えれば、飛行魔法ならおそらく半日で行って帰ることも可能で回復も不要だ。

 問題があるとすれば、その高山を越えられる道は存在しないという事。

 いけるだろうか――

 倉庫を出て、自宅に戻ろうとしたところでグレッゾさんに出会った。


「兄ちゃんすまねえ、また薬を頼みてえんだが」

「……っ、回復ポーションですか。すみません、明後日まで待ってもらえたら」

「それは、困る、困るんだ。薬が全然足りねえんだ。ひでえ有様だった。ここままだとまた2年前みてえに……」

「2年前? もしかして、流行り病が?」

「ああ、昨日行ってきた村だが、寝込んじまって家から出られない奴ばっかりだ。既に死んじまった奴もいる。もうダメかもしれねえ。なあ、兄ちゃんなら良い薬を知ってるんじゃないのか?」


 事態は僕が思っていたよりずっと深刻な状況だった。

 いずれこの町でも同じ様に流行し、その村と同じ状況になるだろう。回復ポーションは根本的な治療にならず、むしろ体調が良くなったと勘違いして外に出る人が増えることで感染が拡大しかねない。

 状況を打開するにはエフェドラを手に入れるしかない。もはやこれはスピラだけの問題ではないのだ。


「薬は……今はありません。でも、東の高山を超えられれば――

「ベルヒレネーを越えるつもりか!? ダメだダメだ、兄ちゃんそれだけは絶対にダメだ」


 グレッゾさんは驚いた様子で大きく眼を見開き、僕の肩を掴んだ。


「グレッゾさん、僕は、飛行魔法を使えます。空を飛んでいけば越せるはずですっ!」

「……飛行魔法だって!? いや、それでもダメだ。兄ちゃんがすげえ魔法士なのは分かった。でもあそこだけはダメなんだ。あの山には、ベルヒレネーにはドラゴンがいる」


 驚愕する。こんな平和な町の近所の山にドラゴンが住んでいるなんて信じられない。

 だが、なるほど、そうすると辻褄が合う。山を越える道一つ作れないなんて妙だとは思っていた。この町の周辺にあまり魔物がいないのも、ドラゴンを恐れての事だとすると納得はできる。


「ベルヒレネーを越えようとした奴は全員帰ってきていない。調査に来た宮廷魔法士達ですらな。死にたくなければあの山には近づくな。いいな?」


 グレッゾさんは強い眼差しで僕を見つめる。

 その言葉は相手を威圧し、委縮させ、恐れさせる。そんな思いの込められたきつい口調だった。


「……わかりました」


 僕はグレッゾさんに軽く頭を下げ、そして顔も見ないまま自宅へと戻った。

 部屋に戻り、スピラの様子を見る。顔を赤くし、淡の絡んだ咳をしていた。


「クー、寒いよぉ」

「うん、熱が出るとき、寒く感じるんだ。あったかくしていたら、大丈夫だから」

「うん……ごほっ、うん」


 この手の流行性の風邪様の疾患が致命的になる事は少ない。ただ、小さい子供や老人の場合は注意が必要になる。特に体力が落ち、抵抗力が弱まっている場合は更に死の危険が高まる。スピラはおそらくそれに当てはまるだろう。

 この辺境の町と村に、そんな人がどれだけいるだろう。王都に比べれば栄養状態のや衛生環境の悪い人も多いだろう。死者が出たとしても、何ら不思議ではない。

 やはり薬が必要だ。

 グレッゾさんとの約束は守れそうにない。

 僕はスピラを毛布で包み、抱えて宿屋へ向かった。

 まだ昼の営業を開始していない静かな宿に入ると、奥の部屋からモーリンさんが出てきた。


「あらあんたは。今日はどうしたんだい?」

「すみませんモーリンさん。お願いがあるのですが、この子を1日ほど、預かって貰えませんでしょうか」

「それは構わないけど……もしかしてその子、流行り病なのかい?」

「ええ。僕はこれからこの子と、この町の人に使う薬を用意しなくてはいけません。どうかその間、誠に申し訳ないのですが……この子を見てやって欲しいのです」


 モーリンさんはスピラを見つめ、少し困った顔をして。


「あんた、それは他の人には任せられないのかい? この子にとってはあんたが一緒にいてやることが一番なんじゃないのかい?」


 僕は返答に詰まった。

 本当にスピラの為を思って行動するのであれば、このまま彼女を抱えて飛行魔法で薬のある町まで飛んでいけば良い。この町にはない、ちゃんとした医療施設に預け、そして彼女の傍にいてあげることが、最も良い選択なのではないか。町にいる患者は後回しでも良いのでは?

 それはきっと天使の囁きだった。善意に従って生きるのなら、そうするべきだ。

 会ったことも無い赤の他人の為に薬を用意する。それは善意ではなく、功名心によるものだ。どこかの誰かを助けた自分に酔いたいだけだ。そんなちっぽけなものに囚われるな。

 ああ、そうだな。そうだ。それがきっと正しい判断だ。


「そうだと思います……」


 でも僕は――


「それでも、僕がやらなくちゃいけない。たぶん、他の誰にも出来ないことだから」


 モーリンさんは小さくため息をついて。


「そうかい。この子の傍にいてやれるのも、あんただけなんだけどねぇ。泣いてもあたしはしらないよ」

「……すみません、お願いします」


 僕はスピラを抱えて、2階の奥の部屋に向かう。

 ベッドに寝かせ、耳元で静かに、スピラに謝った。


「ごめん、スピラ。少し、遠くに行かないといけなくなったんだ。必ず、必ず戻ってくるから、待っててもらってもいいかな」

「う……」


 泣きそうな顔で僕を見る。

 その顔は、嫌だと言っている様に見えた。

 だけどスピラは。


「うん。待ってる」


 そんな、苦しそうな顔で、頷いていたんだ。

 スピラが嫌だと言っていたなら、僕はきっと行かなかっただろう。


「ごめん、本当に、ごめんね。絶対戻ってくるから」

「うん」


 後ろ髪を引かれながら、僕は宿屋を後にした。

 自宅に戻り、準備を整える。

 冒険者が良く使う収納袋をしっかりと体に括り付ける。魔法の力で見た目よりずっとたくさん入る優れモノだ。十分な額の金。回復薬に保存食など、荷物は必要最小限に留めて出発する。


「行くつもりなのか?」


 家を出たとき、グレッゾさんが僕を呼び止めた。

 まるでこうなることが分かっていたかのように、待ち構えていた。


「ええ、すみませんが、そのつもりです」

「そうか……俺も一緒に行くと言いたいところなんだが、すまんな、行ったところで足手まといにしかならないだろう」

「んっ、気持ちだけ受け取っておきますよ」

「代わりに、これを持っていてくれ」


 グレッゾさんは僕の手を掴むと、何か金属質のものを握らせた。

 手を見ると、渡されたのはペンダントだった。

 黒光りする汚れた銀の様な鎖。氷の様に透き通った薄青い石。穏やかに魔力が渦巻いているのを感じる。なんらかの魔道具なのは間違いない。


「グレッゾさん、これは?」

「オオシロフルマという、雪山に生息する白い鳥の魔物の魔石を加工したペンダントだ。それを肌身離さず身に着けていろ。雪に紛れ見つかりにくくなる。ドラゴン相手には気休めにしかならないだろうがな。それと身体が雪に慣れて、埋もれてもしばらくは息が続く」

「これっ、かなり高価なものなんじゃ」

「そうだよ! だから必ず戻って来て俺に返せよ!」


 グレッゾさんは大げさな身振りでそう言うものだから、笑ってしまった。


「ふふっ、わかりました」

「必ず、生きて帰れよ」

「ええ、約束します」


 グレッゾさんと目を合わせ、拳を付き合わせた。

 ペンダントを首にかける。壁の様にそびえる高山、ベルヒレネーには雪が積もっているのが見えた。

 もう迷っている時間はない。

 飛翔する。

 その向こうの港町を目指して。

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