とんでもない子に出会ってしまったらしい
薄暗い部屋の中、大きな三つの鍋。そして大型の濾過装置を作動させながら、僕は半目で書類作業を並行処理していた。もう夜中になるが、まだまだ作業は終わらない。
ちなみに昨日と一昨日は徹夜している。
「あのぉ……クウレリイ先輩、すみません、私先に失礼します」
「う、あぁ、まだいたんだ。あー、ごめん。お疲れ様ぁ」
本来、こちらから声を掛けて帰らせないといけなかった部下が、申し訳なさそうに帰って行った。
大量に作っているのは回復薬として用いるポーションだった。主に体力の回復や傷の治療を目的に用いられるのだが、戦時下という事もあり高需要が続き、連日フル稼働でポーションを作成している。ちなみにポーションなどの医薬品製造は公共事業で流通品の9割以上を国が製造している。ついでに残業を増やしても大して収入は増えない。クソである。
死ぬ気で作っても、まだ上は作れ作れと言ってくる。ギリギリ実用レベルのポーションを大量に作ると今度は瓶の方が不足したりする。意識が飛びそうになりながら在庫管理表と注文書を睨み付けた。
文字と数字がぐにゃぐにゃに崩れ、ミミズの様にのたうちまわる。
やばい。意識が飛びそうだ。
鍋の加熱は自動では止まらない。もしここで寝たら大量の廃棄が発生してしまう。
右手で頬をぺちぺちと叩きながら意識を呼び戻そうとするが、ぼやけた視界は戻らない。
よし。眠気覚ましに数分歩こう。
そう思い立ち上がり、出口の方へ向かうと、部屋の外から何か物音が聞こえた。
何かが倒れるような音。そして沢山の足音。
何だ?
無警戒に扉を開けると、何かが走り去っていくのが見えた。
子供……?
きっと、その時は疲れで正常な判断が出来なくなっていたのだろう。その子供の影の走って行った方向に、何故か足を運んでいた。この通路の先は薬品庫があるだけだ。
閉まりきっていない薬品庫の大きな扉を開け、灯りを付けて中を見回す。
棚の並ぶ広い倉庫の一番奥に、人影が見えた。その方向に向かって歩いて行くと、体に何かがぶつかり、尻餅をつくように転倒してしまった。目の前には、裸の少女が立っていた。大きく手を広げ、道を塞いでいる。その腕も、足も細く、まるで骨に皮が張り付いているようにすら見えた。10歳から15歳くらいだろうか。まだ成人とは呼べない、細い少女。
言葉にならない声を発し、威嚇するように僕を睨み付けた。
その少女の向こうに、同じように痩せた少女達が小さく蹲って固まっている。
綺麗な長い髪と肌だった。
傷一つ、アザ一つない。
きっと、誰かと争った事なんて無いんだろう。拘束魔法を使えば捕まえるのは容易い。
しかし、思いとどまってしまう。
汚れの無い足。明らかに外から来たのでは無い。
忍び込んだのではなく、逃げだそうとしているのだ。
何から? 何処から? どこに? 手引きした仲間がいる?
立ちふさがる少女の目は怯え、手は震えていた。
馬鹿な。とてもそうは見えない。
拘束して、通報して、その後はーー
なんだ? なんで迷っているんだ?
同情しているのか。彼女達が、被害者に見えるのか。
……だからなんだ?
拘束魔法を放とうと、挙げようとした腕が重い。何も出来ないまま、ただ時間だけが過ぎていく。何か会話をして情報を引き出すか。しかしその情報の信憑性は疑問だ。そういうのは専門の機関がやることだろう。何をするにしても、まずは、拘束を。
そう思った時、少女達の体が、口が、急に光る輪に縛られた。
拘束魔法。放ったのは僕ではない。
「ふぅ~危ない危ない。局長にぶっ殺されるところだった」
背後には制服の男が立っていた。
見覚えがある、上の階の生体魔導研究開発局の職員だ。魔法で疑似生物を作り、労働力として用いる研究をやってる。高コストになりすぎるため実用性は低いらしいが、まさかその材料としてこの子達を使っているのか?
「その子達、どうするんです?」
「はぁ……めんどくせえなあ」
男は僕の頭を掴んで、地面に押しつけた。
「この事は誰にも話すなよ? 話せばーー
「わかった、わかったから!」
結局、僕はその時、何も出来なかった。
男に拘束され、連れて行かれる少女達が、僕を、冷たい目で見ているような気がした。
「くそっ!」
誰もいなくなった倉庫で、僕は一人地面を殴りつけた。
それから数日後。
国家憲兵による立入検査が唐突に行われた。武装した憲兵達がやってきて、職員全員拘束され、一人ずつ事情聴取をされることになった。どうやらこの建物の職員全員が対象のようだった。
少女達を見つけた日に何をしていたか細かく聞かれ、そして、僕は何も隠さずに全てを話した。そして、僕は牢屋にぶち込まれた。
なにもわるいことしてないのに。
ただ、牢屋の生活はそれほど悪くなかった。ちゃんとした食事が出るし、久しぶりに十分な睡眠が取れた。ポーション製造は、まあ……誰かが頑張っているだろう。
一週間ほどして、僕は別の施設に移送された。山ほどの書類を渡され、小部屋に押し込まれ、この書類の処理をしろと言う。指示を出した憲兵も内容について全く知らないと。
やべー内容なんじゃないのこれ。
一枚一枚、目を通していく。ところどころ黒塗りされた文字だらけで謎な専門用語の多い書類を慎重に。
その書類に記載されていたのは、生体魔導研究開発局で密造されていた人造人間についてだった。人類よりも優秀な人類を人為的に創る研究。
恐らくは教会の定める禁忌に該当するのだろう。
教会は魔法を用いた人命の操作を固く禁じている。その行いは魂を歪めるというのだ。教会という組織は聖国の支部組織で、同時にこの国の法を一部担っている。いわゆる聖国法というもので、聖国は世界を法で支配していると言って良い。本気で世界の秩序を守っていると自負しているのだ。もし教会に楯突こうものなら絶大な戦力を有する聖国と戦争になり、最悪国ごと滅ぼされる。おそらく隣国と戦争している今、聖国と揉めるのは絶対に避けたいのだろう。
教会の定める禁忌の代表的なものとしては回復魔法がある。傷を癒やすのは教会が定めた治癒師による奇跡のみ。明らかに教会の利権を守るための法にしか見えないが、回復魔法は効果が不安定で奇形を生み出すことが頻繁にあるため合理的な面もあった。
渡された資料から推察するに、回復魔法を問題なく使える種を生み出したかったようだ。元々、生体魔導研究開発局が担当していたのは生き物ような組織を有する装置。ほぼ屁理屈だが、これに回復魔法を用いることは禁忌ではない。小さな歯車など細かな部品を必要とする複雑な装置は修復魔法では直せない。面倒な部品交換が必要なく、回復魔法ですぐに直せる装置があれば便利だろうという事で、実際これは(製造コストに目を瞑れば)まあまあ上手くいっていた。
人造人間は、その研究の延長線上にある。理屈の上では人ではないのだから禁忌では無いと主張できる。が、どこからが人でどこからが人でないのかーーそれを教会の判断を待たず勝手に決めるのは、明確に禁忌に該当する。
と、国が判断したのだろう。僕は全く興味が無いし、関わり合いになりたくも無い。
さて、なになに。
個体名:Bmrd-Imp-Prim
原料:死んで間もない子供の内蔵と巨大蛇の血液、エルフの毛髪、巨人の骨、子ワイバーンの瞳、トロールの皮ーー
エグい。
製造過程を想像しただけで吐き気がした。
続きを読んでいく。
再生力と筋力に優れ、常人の2倍から3倍程度の身体能力を持ち、Bmrd-Imp-Primは実験体の中で特に活動的である。反面魔力の適性は常人未満であった。潜在的危険性中。接触時注意。
資料に記載されている顔を見ると、僕をつきとばした少女だった。あの細い体で、常人の2倍以上の力があるのか。もしちゃんとした食事をとり、トレーニングをしたならどれほどの力を発揮できるだろう。
次のページを見ると、派遣部署と推薦理由を記入するようになっていた。
まさかこの子達の進路を僕が決めろというのか。
大きくため息をつく。
この子達はちょっと変わった孤児として扱われ、事情を知らない教師に僅かな時間で画一的な最低限の教育を施され、必要最小限な生活環境が与えられ、少しずつ仕事に慣れさせ、最終的には一般人と同様に扱われる。
そして少女達の出生については闇に葬られるのだろう。この事件に関わった人間を出来るだけ少なくした上で、一応人道的な方法で事を収めたいらしい。僕がこんな事をするのも、一応中間管理職に相当するからか。この子達の製造に関わった連中は檻の中か、処刑されてるだろうし。
処刑、という言葉が思い浮かんだときに、この子達も消してしまえば全て無かったことに出来るのに、と。本気で思ってしまった。そうしないのは利用価値があるからか。
首を横に振る。
この子達には、少しでも穏やかな未来を提案したい。
いくら身体能力が高かろうが、兵役なんてのは論外だ。教育水準が低くても筋力を活かして働ける所となると建設業か荷役作業か。今後伸びるかもしれないけど身長がネックだよなぁ。う~ん、建設業の方が多少マシか。
気が重くなる。
でもやるしかない。
どの子も何かしら突出した能力があることに驚く。教育すれば宮廷魔法士を軽く超える者やアイテムボックスや空間転移などの希少能力持ちまでいる。っていうかこの子が脱走を企てたよね絶対。
進路を決めやすい子もいればそうでない子もいる。悩みながら一人ずつ進路を記入していくが、最後の一人だけどうやっても進路が決まらなかった。
個体名:Bmrd-Gen-Decim
原料は全て黒塗り。筋力は並以下。魔力は検出不能。意志薄弱。実験体の中でも特筆して虚弱。特記能力不明。潜在的危険度高++。肉体的接触、あらゆる意思疎通を禁止。視界に入らない、入れないこと。
険度高++って、3段階で評価しとけばいいだろうと思っていたら想定以上のが出来ちゃったんだな、2回も。ちなみに危険度高+は転移能力の子だった。
どうするんだよこれ。
対応困難な危険度高の上、つまり対応不能の更に上。もしかして殺処分すら危険だと判断されたのか。色々酷い。製造した奴は何がしたかったんだろう。原料が全部黒塗りなのも法的にまずいものだからだろう。あるいは今の戦争に関係するものかもしれない。
決まらないまま一日が過ぎ、そして書類は回収されてしまった。
僕はようやく解放されたが、同時に転勤を命じられ、今の職場には戻れなくなってしまった。
2年前まで稼働していた僻地の小さな医薬品工場で現在は無人。領主が開発を諦めた寂れた町だった。人口も減少が続き、このままだと消滅の可能性すらある。そんな町への転勤を命じられてしまった。どうやら左遷らしい。
別に構わない。今の職場で働くのもだいぶ疲れた。昇進したいとも思わないし気力もない。どうせ次の職場も長くても数年で、そのうちまた転勤になるだろう。引っ越しの費用も十分に出してもらえるようだし、特に不満も無かった。
行きつけの定食屋に行き、昼間から白身魚のフライをつまみにちびちびと酒を飲んだ。白ワインがいつもより辛く感じる。この味も今日で最後になるかもしれない。
ぼんやりと昔の事を思い出しながら酒を飲んでいると、どうやら飲みすぎてしまったらしい。会計を済ませ、ふらつきながら自宅に向かう。集合住宅の狭い階段を上り、玄関を開け、ふらつきながらゆっくりとベッドに座り、そのまま倒れて横になった。
なんだ。
なんか、温かいなぁ。
ぐるりと体を反転させて反対側に顔を向けると、目の前に女の子がいた。
「へぇっ!?」
顔が触れてしまいそうなほど近い。
少女は無言、無表情で僕を見つめている。
飛び起きてベッドから離れると、転倒して尻餅をついてしまった。どたんと大きな音を立て、そして音に苛立った隣の部屋から壁を殴る音が聞こえた。
なんだ、なんだなんだ、お酒の飲みすぎで、僕は幻覚でも見ているのか?
少女はベッドから降りて、立ち上がり、ゆっくりと歩いて近づいてくる。
少女は裸だった。
骨に真っ白な皮が付いただけの様な、ガリガリの細い体。風が吹けば倒れてしまいそうだ。
青みを帯びた腰まである長い銀髪。くりっとした大きな瞳。深い海に沈んでいく宝石のような美しい瞳だった。そして、見えてしまっている。身体、全部。
僕に近づいた少女は、屈んで僕に小さな手を伸ばした。
僕は、その手を掴むかどうか、躊躇してしまう。
あの夜の事を思い出す。僕は本当は、こんな風に、手を差し伸べたかったんじゃないかって。
少女の手を掴み、立ち上がろうとすると、少女の身体は僕の手に引っ張られて倒れてしまった。仰向けになった僕の身体に覆いかぶさるように、胸元に少女の身体があった。
軽い。
このまま抱きしめてしまったなら、潰してしまいそうだ。
体を起こした少女が、僕の体の上でぺたんこ座りになって見下ろしている。
「ええと……まず服着て、服。お願いだからっ、目の置き場に困るから!」
「ふく?」
「服」
「ふく?」
「うん、服!」
どうやってここに入って来たのかはわからないけれど、まさか全裸でここまで来たということはないだろう。たぶん。
きょろきょろと周りを見回す少女。
殺風景な部屋の片隅に、白っぽい、ベージュっぽい布の塊が転がっていた。あれじゃないのか。
「ほらっ、あれあれっ!」
指さすと、少女はとてとてと歩いて布の塊を掴むと、拙い動きで頭から服に体を通した。どうやら後ろ開きで背中側を紐で縛るようになっている。隙間からお尻が見えるんだが。
というか、この服は、病院着じゃないのか。
見てられないのでガウンを持ってきて羽織らせた。丈が長すぎて袖が床に触れてしまっている。転倒してしまわないか少し不安だ。
「おー」
裾が揺れるのが楽しいのか、持ち上げたり回ったりしている。
可愛い。とても可愛いのだけれど。
たしかこの子は……Bmrd-Gen-Decim
書類に描かれた姿と外見が一致している。危険度高++の子だ。こんなほっぽり出して自由にしていいのだろうか。接触禁止だったと思うけれど。
ただ、本当に接触に問題があるのなら逃げ出したときに一緒に逃げた他の子にも影響があったはずだ。そして、それに出くわした僕にも。引き取り先がないから接触した経験のある僕に押し付けたのだろうか。
「とりあえず、座って」
絨毯の上に2人で座って向き合った。
「色々聞きたいことはあるんだけど。ええと、僕のとこに来るよう言われたの?」
「行くところが無いって」
そうだろう。そうだろうな。僕が何も書かなかったんだから。
僕のせいだ。
謝りたい。
ごめんと、そう言おうとした。
「だから、行きたいって、言ったの」
「え……」
「それが一番いいって、思ったから」
静かに笑みを浮かべた少女の姿は、儚げなようで、しかしどこか超然として、全てを包み込んでしまうようで。それは明らかに何かの力によるものだと理解できたが、確かに魔力ではない。
かつて見た聖人が成す奇跡とも違う。
ただ、身体をすり抜けていく、安らぎのような何か。直感でしかないけれど、これが邪悪なものには思えなかった。
「本当にいいの? 遠くに行かないといけないし、大変なところだと思うし、楽しい事なんて無いよ?」
「うん」
「そっか……」
その問いは、僕自身への問いでもあった。
この少女のほうが、僕よりもよっぽどしっかりと現実を見つめている。
僕は未だに、どこか納得のいかないものを納得させようと理由をつけているだけで、前を向けていなかった。
「ええと、僕はクウレリイ。って、もう聞いてるかな」
「クウ…リ……クー?」
「うん、いいよ。君は?」
「ん……」
少女は返答に詰まっていた。いままで彼女はどのように呼ばれていたのだろうか。もしかしたら名前を呼ばれるという事も無かったかもしれない。生魔研の付けた個体名も名前と言って良いかどうか。
少女の顔がどんどん暗く、悲しい表情に変わっていく。
どうしよ、どうしよ。
「じゃあ、僕が名前を付けていいかな?」
「うん」
少女は目を見開き、小さく笑顔を浮かべる。
言い出したものの、名前を付けた事なんて無いしいい案もない。
生魔研のつけたGenはたぶん古い言葉を基にしていると思うんだよなあ、生むとか、そういう感じの意味だったような。彼らは少女達を形質や機能でしか見ていない。形だけのものではない、命あるものとして名をつけるなら。
「スピラ……は、どうかな?」
「うん、うんっ」
こくこくと頷く少女。
僕を指さして呟く。
「クー」
そして自分を指さして。
「スピラ」
「うん、そうだよ」
スピラは微笑んで僕を見た。
この少女が接触も禁止されるほど危険な存在とはとても思えなかった。
この子と辺境の町でうまくやっていけるかはわからない。
でも、楽しくなりそうな予感がしていた。