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痛みを知るから優しくなれる  作者: 天野マア
2章 立ち上がるために
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焦りを胸に飼いならす


 月がのぼり窓から僅かに光が指す。明かりをつければいいと思うが残念ながら今いる人間は僕1人そんな持ったないことはしない。水を入れたバケツとモップを握りしめ学び舎の長い廊下を最後の仕上げに拭き上げる。夜故に寒さに手が悴むがすでに1ヶ月近いことこの生活をしている為慣れてしまった……そういえればいいが、いかんせん寒さは中々慣れない。1日中寒ければまだ違ったが昼間は暖かいぽかぽか陽気むしろ寒さよりも眠気の方が手強い。昼夜共に敵が手強すぎる4月頃、中々キツイ季節だ。

 

 そんな事を考えていると掃除はすぐに終わってしまう物だ。道具を片付け僕は教会に足を向ける。教会までは少し距離がある。教会に向かう最中他の建物も見えるが何処も明かりは付いていない。いや宿舎のいくつかの部屋には辛うじて明かりがまだついているようだけがどの建物も1階の明かりは付いていない。そんな時間だど今僕が一番行きたい場所食堂なんかは絶対に開いていない。


「今日も来たのか」

「はい、哀れな子羊にご飯を恵んで下さい」

「わかった、では準備ができるまで祈っておけ」


 老神父は表情をピクリとも変えずに奥に消えていった。教会に入り女神像の前で片足を着き両手を組み目を瞑る。一応将来のことなど祈ろうとするのだが頭に浮かぶのは食べ物の事ばかり、といっても大したもではない。パンを1つと肉のカスが入った野菜のスープ、変わることのない定番の晩ごはん。それに誰かと食べる食事はやはり悪くはない。

 

 空腹だと鼻が敏感になる。僅かに香るコンソメの匂い、目を瞑り意識を集中するとより匂いを鮮烈に感じる。さすがに邪念が湧いてしまっても僕は悪くないだろう。

 

「出来たぞ、今日は何を祈った」


 煩悩まみれの僕に音もなく背後に立った神父はそう問うてきた。いつもの問答に一文一句変わらない言葉と声色。それに習い僕もいつもと変わらぬ言葉を返す。


「明日も良い日になりますように」

「今日は良い日だったのか」

「いや、全然。でも今はいい気分だから明日の幸せを祈るんだよ」


 気分が落ち込んでる時に明日の事さらには幸せを祈っていると卑屈になりそうになる。だから気分の良い時に祈るのだ。


「では食事だ」

「メニューは?」

「パンと野菜のスープだ」

「僕は育ち盛りだしお肉もいっぱい入ってるよね」

「ああ、()()()()()昨日よりも一つまみ多く入れてある」

「そりゃどうも」


 立ち上がり歩く神父の後を追う。いつも通りの会話、いつもどおりの時間そして……。

 

「もう夜明けか」


 教会で今日そして明日、最後にして最初のご飯を食べてから剣の素振りを始めた。次第に空の濃い青色が薄くなり始めた時ようやく手を止める。といっても頬から汗が一滴落ちるくらいの時間長く見積もっても30分くらいだ。


「寝るかな、30分しか素振りしてないけど」


 汗を袖で拭き睡眠を取るため宿舎に帰る。これが今の僕の日常。この場所の名はルドレヴィア、王都の東側に位置する冒険者の施設。そして現在僕は冒険者の再教育プログラムを受けている。何故そうなったのか? それはひとえに僕のワガママが原因だった。



 何故僕はルドレヴィアにいるのか? 理由は冒険者の再教育プログラムを受けているからである。1ヶ月前のシリウスでの事件の後僕は大変怒られた。冒険者と領兵の合同作戦で下級冒険者が先陣を切った。例えそれが1人の冒険者が起こした暴走であり対外的にはグレゴールは関知していなくても監督責任を取らねばならない。


 ただこの件でグレゴールが罪に問われることはない。その理由は暴走した冒険者その素性が関係している。僕は迷いの森の森番で尚且つマティアスの件が理由で領主は僕に甘い。それに森番である以上僕は領主の部下という考え方も出来るわけで、支部長と領主二人の部下が問題を起こしたという互いに問題を追求しずらい状況も生まれてしまった。そのためこの問題は互いの胸の内側に隠しておく事で話は終える。


 犯した罪が隠される以上誰も僕を罰する人間はいない。だがそれに納得しない人間が1人いた。


「はぁ、それはこっちも把握している。身体検査の書類はダムジンから正しい数値の物を貰っている。それにだわざわざ経歴に傷を付ける事はないだろう。お前本当にわかっているのか前科者がどれだけ世の中で生きにくいか」


 ギルド長のグレゴールは机に座りながら大きなため息をつく。そう僕は今ゴネていた。全てを帳消しにされ納得しない僕は今までしてきた過去の悪事を自ら告発しているわけだ。

  

 子供だから前科が着くということがこれから歩む道を己で険しくする行為だと気付いていない。そうグレゴールは思っている筈だ。


 世間は甘くないそれはわかっている。それは組織内の冒険者であっても、いや組織内だからこそだ。経歴に傷がついていれば憶測を呼ぶ、陰口などはまだいいほうだ。問題を起こされた際例え相手が悪かったとしても傷があれば僕の意見など聞き入れられない可能性がある。それに経歴に傷を持つものは善良な人が害を与えてよいという心の免罪符になる場合も、これから何かをやらかすのではないかという疑念というレッテルを貼り今後の人生を生きていく事になるのだ。


「でも偽装は犯罪でしょ、それに自分の意志でその書類を提出している」

「問題ない。その事実を知っている者は俺と秘書のエリサ、後はお前の担当のステラだけだ」

「でも僕のやった事には違いない」

「悪いな証拠がないんだ。全て正しい内容で書類を作り本部に渡してある。残念ながら()()のお前を裁いたら俺達が市民に反感を買われちまう」


 わかっていた。グレゴールはこういうは小細工は完璧にこなしている。今か証拠を探した所で覆せる物は何一つ出てこない事も。だから正直に心の内を曝け出さないと。一度強く息を吐く。言うんだこの傷は自分の原点になるものだから、例え消える罪だとしても己の手で清算したいと。


「ごめんなさい」

「何がだ?」


 グレゴールは僕に慈愛を込めた目を向けながら言葉を待っていてくれる。いや楽しんでいるようにも見えるな、グレゴールはいい人だ。だからこの言い方をすれば間違いなく僕のやりたいようにやらせてくれる。

 

「ギルド長の顔に泥を塗る行為だってのはわかっています、それでも僕の我儘を聞いてください」

「なんだ?」


 勢いよく頭を下げたためギルド長の顔は見えない。再び顔を見るのが少し怖い、でもこれから我を押し通すにはこの程度では怯んではいけない。顔を上げ真正面からグレゴールの目を見る。


「やり直したいんです。もう一度歩き始める前にしっかりと清算したいんです。それにこの傷は恥になんてならない。激闘を嬉そうに話す歴戦の戦士が肉体に刻んでいる傷を慈しむように間違いなく僕を形作る誇りであり原点になる。だからお願いします」


 背を曲げ頭を深々と下げ続ける。僕にはお願いしか出来ない。こんな子供じみた考えで誰も得をしない選択をする、フフ僕は愚者だ。それでも大切にしたい。生きる意味を見出したこの傷を背負って短い人生を歩んで生きたい。


 わすかな沈黙。その後に大きなため息が再び聞こえた後場に生まれていた重い空気が和らいだ。


「まったく、罪を揉み消せと言われることがあっても本人から罪を作れと言われるとはな。しかも罪を被るとかじゃなく誰も望まない得をしないと事を選択するか。わかった男の門出だ泥を被ってやる」

「ほんとですか」

「男が決めた事だ、なら応援するしかあるまい。ただな……」

「ただ?」


 ギルド長は目線を下に言い淀む。


「ステラには自分で言えよ」

「……はい? 何の事ですか?」

「そうか知らないのか……はぁしょうがない教えてやる。俺が言わないとステラも隠すだろうしな」

「隠す? 何を?」

「ステラはな……」



「ステラさん」

「はい、こんにちはロスト、今日は元気ですね」


 いつものようにステラさんは鉄仮面を被り淡々と受け流す。担当受付と冒険者というドライな関係から少々かけ離れる会話だがこれは僕から聞かねばならない事だ。


「ギルド長から聞きました。合宿のこと」


 ステラさんが僕に裏でしようとしてくれた事それはギルドが主催する技術向上の為の合宿への参加権利を取ってくれたことだ。この合宿はただの合宿ではない。S級冒険者やA級冒険者をギルド自ら長期間雇い伸び悩む時期であろう初級冒険者を抜けたばかりの冒険者を指導する。当然倍率も非常に高い、近年本部に圧力を掛け強引に割り込もうとする貴族たちも多いと聞いた。ギルド長からは聞いた話ではグレゴールの名前を出さずにステラさんの力だけで勝ち取っていたらしい。


 その話を聞いた時彼女は決して僕に無関心でなくむしろ心配してくれていた事を始めて知った。嬉しく思いつつも彼女が作ってくれた機会を不意にしてしまった事が申し訳なくて、心の中がぐちゃぐちゃになりながらここに来た。


「私もお父さんから聞きました、ロストは再教育プログラムを受けるそうですね」

「はい、すいません」

「良いんです私のことは、でも困ったなこれじゃ恩返しができないよ」

「え」


 いつもの鉄仮面のステラさんはそこにはいない。目に涙を堪えながらなんとか笑みを崩さぬよう耐える彼女がそこにいた。


「私は貴方の頑張っている姿に救われたんです。今年で王都の学校に行く私に取ってこの合宿は貴方に送れる恩返しのつもりだったんです」

「えっとそのすいません」


 流石に僕はステラさんの顔を見れずに俯くしかない。何も返答のない時間が3分ほど流れた後誰かに優しく抱きしめられた。足元を見ると黒いヒールに頭を撫でる優しい感触。そして亜麻色の髪が上から流れてきた。


「許しませんでも良いんです。今のロストを見ていると何かが吹っ切れたみたいなので、頑張ってください応援しています」

「ありがとうございます。僕頑張るから」

 

 そう言い終わると僕の頬に手が伸びる。ステラさんは僕の左右の頬を手で摘み、顔を強引に自分に向かせた。


「ちゅままないで」


 そして頬を強く引っ張った。


「まぁ私が解決させて上げられなかったことについては業腹なのでこれからも根に持ち続けますので、あしからず」

「そんな」


 彼女は少し悔しそうに笑っていた。それが僕に向けられた彼女の始めての笑みだった。



 そして問題を起した冒険者が受ける再教育プログラムが行われているルドレヴィアにやってきたわけだ。

 一つ誤算があるとすればステラさんが持ってきた合宿の開催地と奇しくも同じ場所だったということだ。 

 まぁグレゴールの仕込みといえばそう思えなくもないけども。流石に上位冒険者との一対一の指導は受けさせて貰えなかったが、経歴に傷がある冒険者も知識を得ることは許してもらえた。西棟が研究施設だからなのか? かなり講義のレベルは高かったが本には書いていなかった知識、それを知るだけで世界が広がっていくようでとても楽しかった。

 

 そんな結意義な時間を過ごす中で大きな問題も存在した。それは貴族だ。

 

「おい、犯罪者これやっとけ」

「嫌だけど」


 金髪碧眼の貴族でしかない外見をした男にそのまま箒を手渡される。拒絶はしたが言葉を合わせる気はないようで取り巻き5人と共に廊下の真ん中を王の如く歩き去っていく。そして取り巻きの中には先程身にならない講義をしていた教師も混じっていた。


「エリック様、私の講義はいかがだったでしょうか?」


 教師は姿勢を低くしながら器用にエリックの歩幅に合わせその後を追っていく。そしてこの場には僕を除いて誰もいなくなった。


「しょうがない、やるか」


 時間は15時、講義が終わり本来なら掃除をして宿舎に帰宅するはずだが廊下には僕以外誰一人掃除用具を持つ人物はいない。当然だ今ここにいるのは全て貴族だ。


 ルドレヴィアの合宿に参加していた将来有望な冒険者は? 彼らは自分の派閥を作り外で楽しく模擬戦をしておりこの東棟には近寄りもしない。他の僕と同じ経歴に傷を持った冒険者は? 皆冒険者という職そのものをやめていった。


 正直学び舎だけ合って東棟はかなり広い。まぁ貴族様が満足する学び舎だそのせいで1人で掃除をしていてはいくら時間が合っても足りない。正直僅かな命、こんな掃除していられないという焦る気持ちがないわけじゃない。でもそれはもう学んだことだから、腐らず、焦らず、機を待つ。


 そして掃除を終えるとだいたい時間は深夜の2時頃だ。休憩をせず、食事も取らず、お腹をすかせた僕は教会に向かう。夕食の時間くらい休憩すればいいが宿舎の食堂に行っても出るものは生の人参一本くらいだ。


「上からの指示でお前ら犯罪者に使う予算を貴族様のお食事に回させて貰った」

「はあ」


 肩を落とし呆れたように料理人に返してしまった。まだ料理人からの謝罪があれば多少呆れずに返せたのだろうが。料理人の僕を見る目が汚らしいと侮蔑を宿した物だったので流石に呆れを隠せなかった。別に料理人に呆れたわけではない……多分。そもそもここルドレヴィアは再教育プログラムが普段から行われている場所だ。それなのにこの料理人の態度。普段の料理人を変えてまで行う貴族の優遇措置に力が抜けてしまった。


 食事の出ない食堂に行っても意味はない。なら休みを取らずに掃除を早く終わらせる方が幾分かは建設的だ。そして僕は最後の砦であるルドレヴィにある唯一の教会に向かった。敷かれたカーペットを独り占めにし片足を着き両手を合わせ祈る。


 同じ間違いはもう起こさない。でも不安なんだこのまま僕が何も変われなかったらどうしようと。実は高位冒険者達に教わりに行った事があるのだ。最上位のSランク冒険者にこそ会えなかったが意外にも彼らは気前のいい人達でアドバイスだけならとその環に僕を迎え入れてくれた。しかし高位冒険者は皆口を揃えて僕に言った「君に教えられることはない」と。奇しくもシリウスの剣術家見たいな事を言うなとその時は思っていた。そしてせめてものアドバイスとして、


 ー己を見つけろー


 それだけで君は今より格段に強くなれると。こちらも口を合せたように高位冒険者は皆述べていた。実は裏で結託しているのではないかと一時期は怪しんだが信じてみることにはしたのだが。


「わからんよも〜〜」

「荒ぶっていますね。だが今日の雑念は健全だ。普段の煩悩まみれの祈りよりよっぽど良い」

「ご飯できんですか?」

「ああ、でもしっかりと祈らない者には祝福を与えないですよ。ほら文言だけでいいのでもう一回」

「はい……えっと女神グローリア様に捧ぐ……」


 それにこの祈りの時間。自分を見つめ落ち着きを取り戻すにはちょうどよかった。それにしてもこの教会。


「僕以外誰もこないね」


 信心深いものは誰1人いないのかと世も末だと呆れるばかりである。



 教会を出ると今日最後の締めだ。夜空に向かって剣を振るう。シリウスの自宅振っていたような焦りはない。


 上段、中段、下段、袈裟、斬り上げ、薙ぎ、突き、ただ丁寧に剣に捧げるように。また聞こえるようになってきた武器の声。それがまた心に平穏をくれる。


「今日は掃除が早く終わったから夜空の月が綺麗に見えるな」


 根を詰めすぎてもしょうがないそれにだ。

 

「明日は西棟にあるラボにも行くんだ少し早めに切り上げたほうがいいかな」


 優しく夜空に微笑みながら考えていると肌がひりついた。剣を抜き右に構える。獣のような殺気、持ち主は簡単に見つかった。月光を背にそれは立っている。仮面を被っているため顔は見えないが長い黒髪が風により靡いていた。体型からして女性であることは間違いない。いや女装趣味の剣士という線もないことはない。足を開き攻撃に備える。


 僕はこの夜の事を生涯忘れない。彼女? は僕に人生で初めての体験をさせてくれた間違いなく初めての人なのだから。



 仮面の人物は剣を抜くと屋根から飛び乗りこちらに襲い掛かってくる。距離を詰める速さに下を巻いた、その鋭さはまさに人狼。鋭い速さは身体能力が高いだけでは生まれない。技術により生まれる架空の速さ、しかし確実に存在し実在する。もう1つ僕が足を止め守りを選択したのは仮面の人物に理性を感じなかったからだ。言葉が通じぬ獣には策を巡らせるのが一番だ。

 

 僕も剣を抜くが、あえて初撃は回避に徹した。

 

(独特な剣、正確には刀か)


 このタイミングで最もやってはいけない事それは初撃を受ける事だ。屋根から飛び降り一切の力を逃すことなく加速に付け加えこちらに走ってくる仮面の人物。その初撃は先程の言った行動全ての勢いが乗っている。とてもじゃないが受けきれない。こちらの動きに対応するように足を止めたのならば仕切り直しになるでありがたい。仮面の人物が刀を上段に構え振るうタイミングを見切り一歩後ろに下がり刀の間合いから抜ける。


 派手な音はない。空気を切り裂くヒュンという音。剣の軌跡から逃れたものの目の前を高速で過ぎ去る刀、そして生まれたカマイタチのような剣圧に不思議と心が踊った。そこで今まで眠っていた鍛冶師としての本能が叫ぶ、彼女の剣筋を見てみたいと。終わらせるのならば剣気を吐ききったこの場だったのだろうが続けるのであれば不要な考えだ。


(それに理性がないならこのまま続けよう)


 剣を抜き今度は僕から斬りかかろうと距離を詰めるがそんな事はお構いなしに僕よりも半歩出遅れた彼女は攻めっ気を強め突っ込んでくる。


 そして互いの間合いの中、先に攻めたのは仮面の人物だった。体を縮め滑り込むようなすり足で僕の胸元に入り、右の切り上げから返す一振りで逆袈裟、勢いを活かし右回りに回転する事によって力を増幅させ横一線に刀を振り抜く。一連の連撃全てのタイミングであっても仮面の人物は受けを成立させており、まさに攻防一体。さらには納刀しそのまま間合いを詰め密着状態から体を回す事で剣を振るうスペースが無いにも関わらず抜刀術を敢行する。


「流石にそこまでやられると死んじゃうからね」


 先程とは違う、腕の振りに趣きを置いたものではない。振るのではなく置く抜刀術、鞘から剣が抜けていたのなら僕の体を斬り裂く事が出来ただろう。体を使う抜刀術、その利点は動きをコンパクトに出来る点だ。間合いとは近すぎても遠すぎてもいけない。ノーガードで殴り合う、そんな距離で剣を振るっても取り回しの悪さが足を引っ張る。ただ間合いの適正化はとても重要な事だがそれだけで勝てるほど戦い甘くなく浅くない。それにだこの仮面の人物の今の思考はもっとシンプルで愚直だ。避けられない距離で必殺の一撃を放つそれしか考えていない。密着しては剣を振れない、では密着したまま剣を使うにはどうするか? 剣を振るうのではなく体を回す。体が回れば剣を固定しても相手に当たる。それが実行されれば間違いなく僕の体はお腹から上下に分断されていただろう。だからこそ出来る選択肢は刀を抜かせないことだけだ。

 

 仮面の人物が前に出ると同時に僕自身も前に出て距離を潰す。軸を合わせて飛び上がり彼女が抜刀術の為に刀を抜くその直前に柄頭に向かって同じく剣の持ち手その先端をぶつける。

 

「惜しいけど、ここまで」

 

 これは僕に取っても悲しい事だ。何故ならこの方法は戦いの終わりを表していた。剣を収める事は同時に理性を取り戻す事と同義だ。もう少し見ていたかったそれが紛れもない本心だ。正直惚れた。僕は今まで剣士を舐めていた。流派毎の技に主眼を置き基礎をおざなりにする。そういう連中ばかりが僕の目に今まで写っていたからだ。剣の基礎、唐竹や袈裟斬りなどは剣をどうすれば活かせるかという剣主体の考え方の物だ。そして流派とはその基礎から対人戦を意識し弄っていったものでありそれ自体があくまで苦肉の策、必要に迫られて作られた物だ。


 でもそれって剣に対して失礼じゃない? 武器とは牙なき人間が戦う為に作られた。あくまで技に主眼をおかず、武器と対話し、武器を活かすことに注力して欲しい。そんな思いからか僕は剣士に苦手意識を持っていた。いやもしかしたら僕はそんな武器を蔑ろにする流派を嫌っていたのかもしれない。最も効率的に武器を活かす事ができる基礎があるのに流派で様々な要素を足していく技術が気に入らなかった。そして強いと呼ばれる人ほどそれが顕著になり僕の中ではそれが汚れのように感じられていた。己より強い人に勝ち目を作る為、ただ純粋な斬り合いから逃げている。だから鉄の剣で鉄を斬るそんな当たり前の事が難しいとほざくんだと思っていた。でも違った。彼女の理合いの深さが常識を壊してしまった。同時にようやく気付いた、僕のスタートは剣士ではなく鍛冶師だと。


 左手に持っている鞘を振るえば僕の勝ち、そう油断があった。柄にかけている力は腕だけのものではない。飛び上がりその勢いを使っているため力の弱い僕であっても確実に刀を抜かせないように工夫をしていた。ただ今回は油断をしていなくても対応は出来なかっただろう。


「え」


 僕は宙を舞っていた。混乱はしているが何が起こったのかは理解できている。

 

 仮面の人物が行ったことは刀を持っている方ではない手での迎撃。柄を持っている僕の右手首を取りそのまま重心を利用し僕の体を上へと投げる。飛び上がった後地面に足が付く前だった為、片腕のみでも行えたのだろう。宙に浮き無抵抗になった僕の頭の位置がちょうど地面側に向いたタイミングで仮面の人物は上段を振るうように僕の右手首を振った。


 地面に叩き付けられうような痛みは感じない。代わりに感じたのは一瞬の浮遊感と誰かの腕の中に収まるような感覚。


「危ない、やらかすとこだった、はは」


 仮面の人物は僕をお姫様抱っこで受け止め、呑気な笑い声を出している。最後の抵抗として左手を動かし仮面の人物その内側を覗く。


「やっぱり女性だ」


 そして僕と彼女との戦いは一度幕を閉じた。

拙い文ですが読んで頂きありがとうございました。


また読みに来てくだされば大変うれしいです。


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