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痛愛と狂恋  作者: Hattton
4/4

光あれ


「もっと手えふれー!そんなんじゃ追いつかれっぞ!」


学校に戻れば、綾人のクラスが校庭でリレーの練習をしていた。あの男子生徒も、気を取り直したようで、誰よりも張り切ってクラスを鼓舞してる。


そんな彼は、渡り廊下でじっと見つめる私に気づいたみたい。


そして子犬のように走り寄ってくる。周囲の生徒に囃し立てられ、それをまた手で払うように遮る。


「よう、一人か?なんならお前も一緒に…」


言い終える前に、私はそっと彼の耳元に口を寄せる。


「隙を見て、物置教室に来て、待ってるから」


それだけ告げて、私は走り去った。呆然と見送る彼の熱を帯びた視線が、背中に突き刺さるのを感じた。



校舎の奥の奥にある二つの教室。そのうちの一つに入って、彼を待った。


使われなくなった机、椅子、古い卓球台やらガタがきている棚やら。雑多に並んだガラクタは、夕日に照らされるとなおさら惨めに見えた。


そして5分と待たず、彼がやってくる。


「へえ、こんな感じになってんだな、初めて入ったわ」


いつも通りを装いつつも、全身がこわばっていた。大丈夫、心配しなくても、あなたの期待通りになるよ。途中までは。


窓の外を見ていた私は、そっと振り返る。すると男子生徒の目が丸くなった。口があんぐりとあいて、なんだか間抜けだ。


その視線は私のはだけたシャツの胸元に吸い寄せられている。私はボタンを外してシャツをさらに開き、白のブラジャーを露わにした。


「ちょ…な、な…」


動揺して何か言おうとしている。いま騒がれるのはまずい。私はスッと彼の懐に入り、人差し指でその口を塞ぐ。


ついでに彼の胸に自分の胸を押し当てた。胸がぎゅっと潰れる感覚がする。逃さないように彼の腰を掴んで引き寄せると、下腹部にせり上がってくるものを感じた。


お腹あたりを押し込むような硬い感触には正直辟易するけど、まだ我慢だ。谷口はまだ動揺して、やり場のない手をウロウロと彷徨わせていた。


我慢しないで


このあいだのデートで本気になったんでしょう?


私もまんざらじゃないように見えたんでしょ?あともうひと押しでイケるって確信したんでしょ?


ほら、あなたが目指したゴールは目の前。


私は瞳を潤ませ、彼を見上げた。男子生徒の理性はさらに揺らぐが、それでもまだ細い線をピンと張っているみたいに、踏みとどまっている。


思わず舌打ちしかけた。


仕方なく、やり場のない彼の右手をそっと掴んで、私のスカートの中に誘導した。


私のお尻の下の方に、ザラザラとした手が触れる。その瞬間、ガシッと意を決したように、手のひらに力が入った。


「やん」


お尻を掴まれ、私は小さく、でも艶を帯びた声音で鳴いた。


そこで彼の理性は決壊したらしく、そのまま私に倒れこんだ。崩れるように床で重なり合う私たち。


谷口は自分のベルトをせわしなくかチャつかせて、必死に外そうとしている。唇は私の胸元に噛みつくみたいに吸い付いている。


ベルトの音がしなくなり、彼がモゾモゾとズボンを下げた。


この辺で、もういいか


「キャアア!!やめて!お願い!離して!!」


私は渾身の力を込めて、叫んだ。谷口が凍りついたようにフリーズする。


すると隣の教室。もう一つの物置教室のドアが勢いよく開いた。カツカツと忙しなく廊下に反響するヒールの音がしたかと思えば、私たちのいる教室のドアが開いた。


「な‥にしてるんだ!?」


綾人のクラスの担任の教員は、私に覆いかぶさった谷口を見て絶句した。


「せ、先生!?こ、ここれは!」


谷口はズボンを上げながら、必死に言い訳する。でも教員はそれを聞かず、私に駆け寄ってきた。


なにせ私は震えてたから。身を守るように両腕で自分を包み、涙を潤ませていたから。


「大丈夫か、とりあえずこれ着てろ」と彼女は私の肩に手を置いて、自分のスーツのジャケットをそっとかけてくれた。


「違うんすよ!マジで本当にこいつから‥」


「黙ってろ!!とにかくお前はいったん出て行け!!」


私は何も言わなくてよかった。ただ震えて、涙を流して、彼女の腕にしがみついていればよかった。それだけで覆しようもないストーリーが完成する。


でも悪いことしちゃったな。彼女は放課後にこの隣の教室で一服するのがささやかな楽しみだったのに。これで学校にバレちゃうかも。


私たちを見つけた時に、教員が思わず口から落としたタバコの吸い殻が、廊下でまだ煙を燻らせていた。





学校をサボるなんて初めてだ。この間はバイトをサボりかけたし、ここ最近は初めてのことばかりだ。そんなどうでもいい想像が頭をよぎった。切羽詰まった状況でも、頭のどこかは冷静だったりするんだな。


祈が谷口に襲われたことは、学校に来てすぐにわかった。なにせ学校中がその話で持ちきりだったから。谷口も祈も学校を休んでいた。


俺はいてもたってもいられず、学校を飛び出した。


自宅の最寄駅に到着し、改札を駆け足で通り抜ける俺を、おばあさんが不思議そうな顔で見たい。子供を連れた女性は、訝しげな目で俺を睨んだ。


天気が良い。流石に暑い。体から滴る汗がシャツに張り付いている。こんなに軽やかに足が動くことなんて、果たして何年ぶりだろうか。


俺はたぶん、ほんのすこしだけど、浮き足立っているんだろう。


祈は公園にいた。いつかの俺のように、ベンチに座っている。


「祈!」


声をかけると、彼女は薄く笑った。俺が来たことはそんなに意外じゃないみたいだ。心なしか顔には影が見える。あんなことがあったんだから、当然だろう。


「サボりかい?」


「そりゃ‥そうだろ、はあ、はあ」


「何も走ってこなくてもいいじゃんか」


「走るだろ‥そりゃ」


俺は祈の目をまっすぐに見つめた。でも言葉が続かない。なんて言ったらいいのかわからない。俺がしんどいときは確か祈は…


「一人になりたいか?」


「うん」


「わかった」


そして祈の隣に腰掛けた。これも、たぶん、俺にしかできないことなはず。すると祈りは俺の肩に頭を乗せ、寄りかかった。


「ほらね、だから言ったじゃん」


「…なんの話だ?」


「いずれ私のターンがくるって」


「こんな形で来て欲しくなかったよ」


「ふふ、じゃあどんな形ならいいってのさ」


どんな形でもごめんだ。でもきっと、何かしらの形で、また祈のターンはやってくるんだろう。祈が誰かの支えが必要になることなんて無いと、俺は心のどこかで思ってた。そんなわけがないと、こんな状況になるまで気づかなかった。本当に情けない。


そして支えが必要になったとき、祈が遠慮なく寄りかかれるのは、たぶん俺だけだ。なにせ俺はいままで何度も彼女に寄りかかってきたのだから。


だから、ある程度は、必要とされているのだと思う。


それくらいの自信は持っていい。というか持つべきなんだろう。じゃなきゃまたまたヘッドバットが飛んでくる。


俺は祈りの肩を抱いた。その瞬間、波のような大きな風が吹いた。





少しの間、私たちは黙って、ひたすら身を寄せ合っていた。いままで生きてきた中で、いちばん幸せな時間。こんなことなら、もっと早く襲わせておくんだったな。


学校に戻っていく綾人の背中は、いつもよりすっきりと伸びている気がする。これで余計な荷物を少しは下ろせただろうか?まあ綾人のことだから、また背負いこんでクヨクヨと丸まってしまうんだろうけど。


そうそう、荷物といえば、まだもう一仕事残ってたんだった。さっきまた、あの咎めるような大きな風が吹いていた。だからたぶん上手くいってるんだと思う。



ガラガラの電車に揺られ、私は学校の最寄り駅を降りた。といっても、用があるのは学校じゃなくて神社だけど。鳥居をくぐり、御社殿の下を覗く。いつものように猫がいた。


よかった、ちゃんと死んでる。


ネットで調べた知識だから半信半疑だったけど、本当にユリ科の植物って猫には猛毒なんだ。根っこを細かくちぎって餌に混ぜるだけで済んで良かった。これで死んでくれなきゃ、石で頭を潰すしかなかった。それは勘弁してほしい。服が汚れそう。


猫を持ち上げると、思ったよりズッシリとした重みを感じた。良いもの食べさせてもらいすぎなんだよな。綾人のなけなしのお金から出てる餌だっていうのに、厚かましいったらありゃしない。


でもあなたが嫌いなわけじゃないの。もう綾人に余計な荷物を背負って欲しくないだけなの。


だから、ごめんね。


せめて綺麗なところに埋めてやろう。カタクリの花の側がいいかな。あ…でも自分を殺した毒の原料に囲まれるっていうのはどうだろう?


ま、いいか





「黄色い線の内側までお下がりください」


おなじみのアナウンスが聞こえる。ちゃんと、はっきりと。


谷口は学校を去った。れっきとした犯罪なのだから、たぶん退学だろう。仮に残れる道があったところで、もう学校にあいつの居場所なんてないだろうし。


祈は翌日には復帰した。すっかり元気になったようだが、そう見えるだけかもしれない。だからなるべく側にいようとは思う。しんどくなった時、せめて肩くらいは貸せるように。


俺は「黄色い線の内側」に立った。


何かが変わったわけでも、変えられるようになったわけでもない。母さんは相変わらずだし、うちには金がない。バイトは忙しい。睡眠不足と空腹とは腐れ縁だ。


でも前よりも、ほんの少しだけ、頭がすっきりしている。ほんとうにそれだけだった。それだけでほんの少しだけ、息をするのが楽になる。


新発見だ。死にたくなったら、誰かにヘッドバットをかましてもらうのが良いらしい。


するとポタンという音がした。やがて線路からパチパチと無数の水滴が跳ねる音がしはじめる。見上げれば、本来は真っ白なはずが、誤って水で薄め過ぎた黒い絵の具をこぼしたような雲があった。


正面を向くと、細くてやや鋭そうな雨粒が微かに見える。でもそのさらに向こうには、晴れやかな青空と、太陽に照らされた街並みが確かにあった。まるで世界が二つに分けられたみたいだ。


そして目の前が銀色に覆われた。






神は言った。光あれ、と。


神様はこの世界を作るにあたって、まず光を灯すところから始めた。


そしてこの部屋は、神様が手をつける前の世界を再現したもの。つまり、この世のあらゆる穢れが生まれる前の状態。だから「原初の部屋」と呼ばれている。


3つのドアに阻まれ、わずかな光も届かず。音すらほとんど聞こえず。自分が存在していることすら曖昧になる。


ここに初めて入れられたのは確か…5歳とかだったかな。そのとき私は泣いた。叫びながら、母親や父親の名前を呼び、ドアを叩いて、引っ掻いて、失禁までした。


それでもこのドアが開けられたのは、私が恐怖で気を失ってから。目が覚めたときには自分のベッドにいた。


もう二度とこんなとこに入れられたくない。だから、死ぬ気で間違いを犯さないようにした。常に張り詰め、全身全霊で自分の行動を制御しようとしていた。でもまた入れられた。なんどもなんども、どれだけ気をつけようが、どれだけ両親を喜ばせようが、当たり前のようにこの部屋に放り込まれた。


後で知ったのは、私の行動や言動は関係ないということ。子供の魂は穢れやすいから、頻繁に入れなきゃダメらしい。


大事なのは、穢れを拒絶することではなく、受け入れること。穢れて、浄化し、また穢れてを繰り返すこと。それを魂の洗練と呼ぶ。こうすることで魂は強く美しい輝きを放つ。


筋トレみたいな理論だ。


つまりこの部屋に入ることは、魂のウエイトトレーニングみたいなもの。そして高校生になった今も、週に一度、日曜日には入らなきゃいけない。どれくらい入っているかは、私の話を聞いた母親のさじ加減で決まる。今日は、私の肌感だとたぶん夜中までかかるだろうな。なにせ男子生徒に襲われたのだから、相当な穢れがこびりついているんだろう。


「馬鹿馬鹿しい」誰も聞いてないのをいいことに、本音を口にしてみた。


跪くのに飽きて、ゴローンと寝そべると、硬い絨毯の質感、床の冷たさが伝わる。寝心地は最悪だ。この硬さは冷たさは、この部屋で溶けて死んでいった色々な「私」の残骸なのかな…なんてね。


この部屋でいくつもの「私」が消えてなくなった。


最初に消えたのは「怖い」と思う私。やがて「寂しい」とか「不安」とかもいつの間にか、この部屋で溶けてなくなっていった。そうすると不思議なことに、「嬉しい」とか「楽しい」とかを感じる私もいなくなった。


気づけば私は空っぽになった。


全ての感情は、私にとってはただの動作でしかない。笑うということは、目尻と唇の両端、声帯を意識的に動かすことでしかない。誰かの感情を理解はできても、共感や同調はできない。


そうなると自然と、全ての生き物に興味がなくなる。もちろん人間も含めてだ。


母親、父親、教員、男子生徒、女性生徒、私にとってはその字面以上の意味はない。そこに確かに存在しているが、そこに思い入れる余地がない、地図記号のような存在だ。


強い漂白剤につかり過ぎた皮膚細胞みたいに、いくつもの私がここで死んだ。だから誰よりもしっかりと、浄化されたと言えるかもしれない。


でも、そんな私にもたった一つだけ残ったものがある。それが綾人への恋。それが私の全てになった。


綾人という名前が頭をよぎった途端、ほおを乗せた綾人の肩の質感、私の肩を抱いてくれた綾人の手の感触と温度がありありと蘇る。下半身の一番デリケートな部分が濡れてきた。


ああ、私って本当にダメな女だ。でもどうせ他にやることもないからいいか。


慎重に、突起した一部分に触れ、ゆっくりと撫でる。これ以上ないくらい優しくそっと、撫でる。焦れ焦れしてしまうくらい、優しく撫でる。


きっと綾人ならこんな触り方をする。


何千回と繰り返してきた妄想は、自分でもどうかと思うくらいの解像度で脳裏に再生される。私の手は、今や私の意識から外れ、バーチャルな綾人の手として動き始めている。


「はあ…はあ…ん」


思わず声が出そうになって、服の袖を噛む。そして同時にこれは綾人から借りパクしてるパーカーだったことを思い出した。もう綾人の香りなんて残っていないのに、あの日、私をおかしくさせた匂いが鼻腔に再現され、下着をグッショリと濡らすくらい、体液が溢れた。


綾人、あなたに想いを伝えた日、本当に悲しかった。この恋が絶対に叶わないと知ったから。


でも本当に嬉しかった。あなたが誰のものにもならないことがわかったから。そして、やっぱり、私は綾人の一部なんだとわかったから。


だってそうでしょ?私の中には綾人への恋慕しかない。この気持ちは激しい性欲を連れてくる。煮えたぎるのような怒りを燃え上がらせる。喜びも歓びもくれる。心からの笑顔も涙も、全部あなたを通すことでしか生まれない。綾人がいないと、私は本当に空っぽなんだ。


私には、あなたへの恋しかない。


逆に綾人の中には、少し触れるだけで溢れてしまうほどの感情がある。あまりにたくさんありすぎて、自分すら飲み込んでしまうほどの、深い深い愛やら何やらが満ちている。


でも綾人には、恋だけがない。


ほら、私はまるであなたから抜け落ちたカケラみたいじゃない?


綾人の側にいるとき、綾人を想うときだけが、私は私でいられる。私はあなたに恋がなくて構わない。ちょっと悲しいけど、その悲しさすらもあなたがもたらしてくれたもの。あなたがずっと側にいてくれるなら、痛みも苦しみも愛おしい。


あなたに恋をして、絶対にかなわないと知って、それでも心からそばにいたいと思ってる。そんな女は私以外にいるはずがない。そうでしょ綾人?


だから、ずっとずっと一緒だよ。


「ん…んん!ああ!」


とうとう声を抑えきれず、小さく叫びながら私は果てた。肩と内腿がビクビク痙攣して、湿った息が漏れては引っ込む。


ああ、私はやっぱりダメな女だ。あの男子生徒を追放したのも、綾人のためだったはずなのに、こうして上り詰めて、イキ果てると、結局は自分のためだったんだと思い知る。


肩は綾人に触れられた部分だけが、ジンジンと熱を帯びているかのよう。いっそこのまま火傷みたいにくっきり跡がついてほしい。


この熱を得るため、ただそれだけのために、私はあの男子生徒を利用したんだ。あの男子生徒…名前なんだったっけ?


私は結局、私のためにしか動けない。


だからきっとこの気持ちは恋でしかなく、愛に変わることもないんだろう。


でもそれでいい。むしろその方がいい。


綾人?愛にはもうウンザリでしょ?


私の恋は絶対にあなたを縛り付けない、傷つけない。優しく包み込んで、そうだとわからないほど甘やかに、あなたを支配してあげるから。


第一部 完

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