第1話 里山の守り人
現代化が進み、はるか昔の精霊や悪霊のほとんどは忘れ去られていた。
そんな世の中を許せないと感じた霊界がもう一度、人の世を支配しようと動き出していた。
第1話
「おばちゃん! ラムネ一つ!」
山あいの町を流れる風が菅原鏡花(すがわらきょうか)の髪をサラサラと流れていく。
こんなにも心地いい町にも霊界からの使者が訪れることに彼女は嫌気がさしていた。
こんなことがなければ、良い休日だったのになぁとラムネを片手に鏡花は伸びをした。
「なあ、おばちゃん。 この辺りに祀られてた神様とかっているの?」
店のおばさんは少し考えた後、言った。
「ちょうど開発の時に、駅の辺りにあった小さな祠をずらしたんよ。 今は山のふもとの神社にうつされたよ。」
「そうなんだ! おばちゃん、ありがとう!」
鏡花には使者の出現の確証と疑問が同時に浮かんだ。彼女はたまに予知夢のようなものを見る。夢の中で誰かがあれをしろ、これをしろ、というのだ。その声の通りに言われたことを行うと、すぐにそれが鏡花の役に立つのである。数日前、夢の中で山あいの町へ行き霊について調べろと言うのだ。だから、この辺りで蔑ろにされている霊がいることはわかっていた。しかし、それがしっかりと神社に移されていたことは想定外であった。
飲み干したラムネの瓶を自転車のカゴにのせ、鏡花は山のふもとへと向かった。町の南西を流れる川のほとりを進んでいった先に神社があると地図には書かれていた。川を流れる風が気持ちいい、そう思いながら自転車を加速させていった。
周りの風景が少しずつ山に溶けていく。眩しいくらい青く輝いた空の下、鏡花は神社の入り口へとついた。両脇に草木が生い茂る参道を歩いていった。
「この感覚……まさか!」
神社の社殿に近づくにつれ霊界の空気がどんどんと濃くなっていく。鏡花は走り出した。社殿の周辺を一通り見て周り、移された祠の社も見たがそこに霊はいなかった。
再び、霊界の空気が濃くなってゆく。しかし先ほどまではとどまっていた霊界の空気が波のように広がっていっていた。
「そうだ……霊界への扉が開いているんだ……。」
社殿の裏手へと回ると、黒い穴が口を開けていた。鏡花は迷わずその中へと入っていった。
奥へ奥へと足を進めていく。霊界の冷たさが鏡花の首筋を撫でていく。
「誰だ、貴様は!」
鏡花は歩みをとめ、手袋と呪符を取り出す。
「人間が自ら入ってくるとは面白い。これでわざわざ外に食らいに行かずとも良い。 冥土の土産に聞かせてやるが、俺はここの土地を支配していた土虞羅だ!」
「あら、そう。 じゃあ私も冥土の土産に教えてあげるけど、私は菅原鏡花。 あなたを倒す討伐者よ!」
「ふっ! 人間がたてつくとは。 喰らえ!」
土虞羅は霊界の砂を地面からすくい、鏡花めがけて投げつけた。
「これは霊界の砂だ。 その砂に含まれる霊気が貴様の感覚を鈍らせていくんだよぉ! まあ、感覚のない貴様に何をいっても無駄だがな!」
鏡花の視界がかすんでいく。音も匂いも何もかもが、ぼやけてあやふやになってしまう。
(まずい…。 なんとかしなきゃ、だめだ!)
「花よ咲け…! 大手毬(おおてまり)!」
大きな白く丸い大手毬の花が宙へ咲く。花から散った花びらが雪となって辺りにしんしんと降り積もっていく。
「ふん! 霊界に長くいた俺にとって雪の寒さなんか怖くもねぇ!」
土虞羅は勝ち誇ったかのように叫んだ。
「ええ、そうみたいね。 でも雪が舞っていた霊界の砂を地面へと戻してしまったから、あなたは振り出しに戻ってしまったのよ。」
「それはお前だって…。」
「同じことって言いたいの? でもね、私はあなたがもしかして熱に弱いってわかっちゃったわ。」
「な、なんだと…。」
「咲きなさい! 狐百合(きつねゆり)。」
鏡花が呪符を宙へと放つ。徐々に全身に火をまとった狐が現れ、土虞羅に向かって駆け抜けていく。
「これは私の使い魔、紅よ。」
最初はうまく、紅を避けていた土虞羅だが、あたりに立ち込める熱気にやられ、俊敏さを欠いていた。ついに紅が土虞羅に噛み付く。土虞羅は痛みに耐えかねて地面へ倒れ込んだ。
「なぜ、霊界から出てきてあなたの土地の人々に危害を加えようとするの?」
鏡花が聞いた。
「はぁ…、それは…、奴らの尊敬が足らないからだ…。 俺から土地を奪った神と同じ神社に…祀られてたまるかよぉ!」
土虞羅は最後の力を振り絞り、鏡花に襲い掛かろうとする。しかし、あっけなく紅に頭を踏みつけられ、再び倒れた。
「あなたに反省の意思がないことはわかったわ。 咲き誇れ、蓮華鏡。」
倒れていた土虞羅がハスの花びらへと包まれていく。そしてそこに大きな一輪のハスのつぼみが生まれる。
「ここはどこだ! 俺は土地の支配者だぞ! ただでは済まないぞ!」
土虞羅の怒鳴り声がハスの中に響き渡る。
「あなたは今、鏡の世界にいるの。 その世界のものは全て中で跳ね返り、外と交わることはないわ。 まあ、中にいるあなたには聞こえないでしょうけれどね。」
土虞羅が渾身の力でハスの壁を叩く。瞬く間に壁に力が伝わり、土虞羅の背中が波打ちハスの底へと崩れていく。そしてハスの花びらが再び開き、白くほのかにだが華やかに咲き誇る。
まるで、土虞羅の魂を浄化するように。