第28話 衝撃の江戸の蕎麦
それでも僕たちは、江戸城を右手に眺めながら白壁の続く武家屋敷町を抜け、下町に入った。屋台蕎麦も数軒見かけたけど、とりあえずは正直蕎麦を食べてみるってことで、浮気はしない。
またもや畑が増えて、大根の緑の葉の連なる先に浅草寺が見えてきたときには、僕、それこそ地獄に仏で「これで救われる」ってくらいの気持ちになった。
たぶん、是田も同じ気持ちだったはずだ。
正直、もう、歩きたくない。
足の親指と人差指の間は、マメが潰れてずるムケ状態だ。
本当に辛いんだぞ、これ。
北東の方には、建物が密集した一群のエリアが見える。
吉原だ。
あの女衒が変な気を起していなかったら、佳苗ちゃんはあそこにいたはずなんだ。そう考えると、人生ってのはわからないものだよね。
浅草寺の境内には、老若男女というか、もっぱら男ばっかしがいた。女性は少ないんだなぁ、やっぱり。
佳苗ちゃんが周囲の視線を集めているのがわかる。まぁ、いくら僕たちが頼りない貧弱でも、2人いたのは良かった。1人だったら、佳苗ちゃんに声を掛けてくる男がたくさんいたんじゃないかな。でもって、そのガードがしきれないところだったと思う。
で、筋としては信心深くお参りしてから蕎麦を食べるんだと思うけど、もう、動きたくない。背もたれのない幅広いベンチみたいな台に、僕と是田は倒れ込むように座った。
佳苗ちゃんは腰に手を当てて僕たちを見下ろして、「半日歩いたぐらいで、なんなんですか?」って非難の眼差しを向けてくる。
相当に修行した強い娘だからこそここまでスタミナがあるのか、一般的な江戸の娘がみんなこの体力なのかはわからない。
でも、言いたいことはある。
「僕たちをもっと大切にしろよっ」ってことだ!
そして、ようやくお昼が食える。
蕎麦だ、蕎麦だっ。
で……。
「らっしゃいませっ!」
って、声を掛けてきた若い衆に、僕はのろのろと指を3本突き出す。
「蕎麦、3つ」
ようやくそう、喉から絞り出す。
ああ、僕、のどが渇いている。
ここでようやく、そう自覚したよ。
で、待つほどもなく、蕎麦が……。
……ってか、これが蕎麦か?
とりあえず、じっくり眺めてみて、うーん、うーん、うーん……。
あのさ、つまりさ、こういうことだ。
まずは、その、まあ、蕎麦なんだけど。
ざるの上に、量はたくさんある。山ほどある。
太い。
黒い。
それが、どんより、べっちょりと盛り上がっている。
まぁ、半分がた、蕎麦の香りをした糊、いいや、粘土だ。あー、保育園に通っていたときに、遊んだなー、こういう粘土で。
で、なんで蕎麦が、こんなことになっているんだろう?
おそれをなして、僕、蕎麦に箸を伸ばせないまま、なにも考えずに汁を一口飲んでみる。
……なんだ、この違和感は?
蕎麦汁も、あまりに僕たちの時間のものと違う。
しみじみ見つめて、ってか、意識して見ればこれ、醤油の色じゃない。
頭の中で、反復と検索を繰り返して……。
げ、これ、味噌だ。
醤油はどこだ?
で、味噌だけど、味噌汁じゃないな。
舌に残るざらざら感は大根おろし……。それと味噌の混合物だよ、コレ。
あまりに意表を突かれて、僕、全身が固まってしまった。
そんな僕の横で、是田は蕎麦を手繰って啜り上げるというのとは程遠い行動に出ていた。
箸で粘土を切って、それをそのまま汁に沈めてから、もぐもぐもぐ、くっちゃくっちゃくっちゃ、と。
そして、その上で、青空を見上げてさらに固まっている。
この反応、これ、相当に不味いと感じているんじゃないだろうか。
僕も意を決して、とても箸では持ち上げられない大きさに固まってしまった粘土に挑む。
べっちょりした粘土を箸で切り取るようにして、蕎麦汁に浸けて口に運ぶ。
うーん、べとべとで、コシも薬にする程の量もないんじゃないかな?
で、一体なんなんだ、コレ?
見た目粘土だったけど、食べても粘土だ。
めまいがするほど不味い。
味噌の塩味が救ってくれなかったら、吐き出しているところだ。
僕、きょときょとと周りを見渡す。
このお店、露天だから、全部丸見え。
ああ、蕎麦粉100%でつなぎは入っていない。
でもって、繋がらないから太くするんだ。
でもって、打った蕎麦を、なんと茹でずに蒸してる。
でもって、蒸して熱々のを冷水で締めるなんてこともしない。
この、でもって三連戦のあとは、客が来るタイミングに合わなければ、そのまま放置されて自然に冷めていく。
これじゃ、粘土ができあがるの、当然だ。
同じ粘土っぽくても、蕎麦がきの作り方の方が絶対うまい。
そもそも、太いといったって、蕎麦切りに打つ意味がないよ、これじゃ。
いくら料理をしない僕だって、そうめんくらいは茹でることがある。
汁の用意をして、薬味を切り、最後に時間との勝負でそうめんを茹でたら、一気に水に入れて冷やす。
でなきゃ、でろでろになってしまう。
残業帰りの夜中に独り寂しく自炊して、不味いそうめんを食うほど悲しいことはない。だから、せめて段取りだけはきちんとして作っているんだ。
そこから考えると、このお店の蕎麦、すべてが美味しい麺類の作り方の真逆をやっているんだな……。
さらに周りを見回すと、いろいろと見えてくるものがある。
うまいうまいと、喜んで食っている客なんかいない。
食わないと死ぬ、財布が軽くて安く食わないと帰れない。そういうときの食い物なんだな、蕎麦は。そう言えば、元々救荒食だったしな……。
良くも、現代の蕎麦まで洗練されたものですよねぇ。
そして、柳家喬太郎師匠の「コロッケそば」は名作ですっ。




