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表面張力  作者: フジイ イツキ
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繰り返される出来事

淡いブルーの長椅子に腰かけたまま、何時間が経過したのかそんな事すら渉は気にも留めなかった。ぼんやりと履いていた薄汚れた白いスニーカーのつま先を見つめたまま、耳の奥でドクドクと聞こえる鼓動が、響いていた。

 頭の中は、真っ白だった。思考回路が全く作動せず、胸の片隅に漂う恐怖感が、じわじわと迫り来る。

「患者さんの付き添いの方ですよね。ご家族と至急連絡取ってください」

 渉の前に駆け寄った看護師が、淡々とした口調で話しかけた。

「あ………でも。俺、同居人なので………」

 顔を上げ、渉が困りながら答えると、髪を一つにまとめお団子髪にした看護師の目つきが更に鋭く釣りあがった。

「時間がないんですよ!! 急いで下さい!」

 厳しい口調の言葉が、渉の身をビクンと震え立たせた。

「あ………はい」

 渉が答えると、むすりと険しい顔をしながら看護師は立ち去った。そうして、渉は小さくため息を吐くと、自分のリュックの中から、出かけ前に見つけて入れて置いた凛のスマートフォンを取り出し、アドレス帳を検索した。

 自分以外の個人情報を見るのは気が引けたが、渉はスマートフォンの画面をスクロールしながら、検討もつかない凛の家族を捜していた。

 見ず知らずの名前や店の名前らしいものが連なる中、渉は“父”と一文字登録されているそれを見つけると、ごくりと唾液を飲み込んだ。

 何をどう、話せばいいのか。凛自身があまり自分の話をする女ではなかった。それ故に、家族の話など全く聞いたことがなく、親子関係の背景すら未知の世界なのに、今、この現状をありのまま話す事に、渉は躊躇してしまっていた。しかし、先ほどの看護師の厳しい口調と緊迫した状況を振り返り、渉は思い切って電話番号をかける事にした。

 電話が使用可能な場所に移動すると、朝方と言う時間のせいか部屋はがらんとしていた。

 腕時計を見ると、朝、7時になろうとしていた。スマートフォンを耳に当て、緊張し出した渉は、コホンと咳ばらいをし喉を整えた。コール音が続く。番号からさっするに、父とは登録してあったが、実家の固定電話だと渉は察した。

「………はい。真下ましたです」

 電話の向こうで、女性の声が聞こえた。母親だろうか、渉は一呼吸置いて口を開いた。

「あの………凛さんと同居している、佐伯 渉と申します。突然のお電話すみません」

「………何でしょうか?」

 渉の耳に、女性の不信気な雰囲気が漂っているのを感じた。渉はそれでも、気持ちを引き締めてその女性に話しかけた。

「凛さんの、お母さんでしょうか?」

「えぇ。そうですが」

「凛さんが、朝早く体調を崩して、救急車で病院に運ばれました。東京の○×付属大学病院です。今、集中治療室で手術しているのですが………心筋梗塞らしく、看護師さんから、至急ご家族を呼ぶようにと………」

 渉が話し終わる間もなく、ガタンと大きな音を立て、母親が受話器を落とし、渉はその音に驚き身体がビクついた。そうして、凛の母親の声が遠くから聞こえ、

「おとーさんっ!! 凛がっ! 凛がっ!!」

 泣き叫ぶ声が、響いた。駆け足の音が大きくなり、受話器を取った父親が、電話を代わった。

「もしもし! 凛がどうしたんだっ!!」

「あのっ………凛さんが、心筋梗塞で救急車に運ばれて、手術中なんですが、看護師さんが、至急、ご家族を呼ぶようにと………」

 渉は、緊張しながら電話の向こうの、凛の父親に説明した。

「君は、凛の何だ?」

 冷静な態度で、威厳のある口調の父親の声が、鋭く渉の耳を刺した。

「同居人です。今朝、仕事に行く支度をしてましたら、急に胸を押さえて苦しそうにうずくまっていたので、救急車を呼びました」

「嘘じゃ、ないんだな?」

「はい。時間があまりないようなので、看護師さんが至急親族に病院に来るようにと言われました………なので、お願いします。東京の○×付属大学病院まで来てください」

「わかった………2時間くらいでそちらに迎えるかと思う」

 電話を切った後も、ドクドクと早く打ち鳴らす鼓動が耳の奥に響いていた。

「ご家族と、連絡付きましたか?」

 集中治療室の前に戻ると、さっき渉に声をかけた看護師が、話しかけた。

「はい。2時間後くらいにご両親が来るそうです」

「そう………」

 と、看護師が渉の答えを確認すると、足早にかけて行った。


 凛の両親が病院に付いたのは、電話から3時間ほど経過した後だった。高速道路で事故があり、渋滞に巻き込まれた。お線香の匂いが充満している霊安室で、息を引き取った凛と再会した両親が、狂ったように号泣していた。渋滞が無ければと、悔しそうに鼻水をたらし、涙声でボロボロと涙をこぼしながら、父親が言っていた。

「心筋梗塞だなんて………凛はまだ、今年で40よ………そんな若さで………」

 肩で泣きながら、凛の母親が眠ったよう顔をした、冷たくなった凛の頬を撫でながら、話しかけていた。渉は、静かに霊安室を出ると、凛を両親に託し病院を後にした。

 湿度の高い、べたついた空気が身体にまとうと、じわじわと汗が身体から流れてていた。何も考えられないまま、渉は重い足取りで部屋のあるマンションへ戻った。

 金属製のキーホルダーがぶつかり合う音が響き、マンションのドアを開けると、部屋の中は、数時間前まで凛が生存していた状況のままだった。

 いつも、身支度をしながら、コーヒーを啜っていた。化粧ケースがローテーブルの脇に置いてあり、そのそばに凛が座るクッションがあった。麻素材のカバーは色違いで、淡いピンクが凛、淡いブルーが渉用だと、凛がある日雑貨屋で購入して来たのだった。

 両膝を外側に折、ぺたんとそのクッションの上に座る凛の姿を、渉は思い出した。出かけるぎりぎりまで、スエットを履き、上半身は服を着て化粧や髪型をセットするそのアンバランスな姿も、数時間前の日常だった。

 手際よく化粧を重ね、ショートカットの髪に華やかな香りのワックスを付、短い横髪を耳に必ずかける。

 渉は、リビングに立ちすくんだまま、凛が死んだ事が自分の夢なのではないかと、真っ白な頭の中に叩き込もうとしていたが、微かに衣服に沁みついた線香の香りが鼻に付き、ふと我に返った。

 急に苦しみだし、丸くうずくまった凛の姿の後、瞬時に息を引き取り白い布をかけられ、眠ったような顔をしていた凛の顔が目に焼き付いて、消えなかった。受け入れきれない現実と、居心地の悪いこの部屋で過ごしている事に耐え切れず、渉は部屋を出た。すると、にわかに、空模様が変化している事に気が付き、傘を手に取り出かけた。


 雨が降り始める前の匂いと、その雰囲気が渉は嫌いじゃなかった。晴れより雨。昼間より夜が好きだ。静と動なら、渉は静を好んだ。

静と動。凛はどちらかと言うと動の印象だった。

良く笑う。仲間とスポーツやバーベキュー、イベントがあれば率先して参加し、それらをとても楽しんでいた。

凛と時間が合えば一緒に食事をし、テレビや借りてきたDVDを観る。仕事の休みが互いに合い、予定がなければ、一緒に出掛ける事もあった。

 恋人同士。渉は、自分が胸の奥でそれを望んでいる事に気が付いていた。しかし、実際のところは、凛には男が居たようだし、凛にとってはただの同居人にしか過ぎなかったのだと、渉は思っていた。

「19の時に、家を飛び出して以来、まったく連絡もなく、家にも帰ってこないで、こんな姿になって………なんて親不孝なんだお前は………」

 凛の父親が、霊安室で凛に泣きながら話かけていた事を、渉は思い出した。そうして、きっと凛は19の頃から、誰かの部屋を転々としていたのだろうかと思っていたが、それは口には出さなかった。

 駅前を通りすぎ、大学の体育館の脇を通ると、雲行きが怪しくなり次第にぽつぽつと雨が降り始めた。

 黒い傘を開いて差すと、渉はふいに1年前、凛と出会った時の事を思い出した。

 こんなふうに、雨の日で、ちょうどこれから向かおうとしている、この先の公園のベンチに座っていた。スーツケースが隣にあり、これから出かけるにはのんびりで、雨に濡れている事に、あまり困っている様子がなかった。

『濡れますよ。よかったら、この傘使ってください』

 散歩しに来ていた渉が、ベンチに座っていた凛に傘を差しだした。ゆっくりと、顔を上げつぶらな瞳と潰れた形の悪い鼻をした、お世辞でも美人とは言えない顔をした凛が、渉を見た。

『いいです。濡れるの好きだし。暑いから、丁度いいし』

 薄く笑んだ凛がそう言うと、スッと顔を渉から逸らして正面を向いて、シャッターをぴしゃりと閉めたような、関わり合いを避けるような雰囲気を醸し出した。

 渉は、諦めて立ち去った。そうして、公園の周りを散歩しながら、半周歩いたところで、池の向かい側に未だ、凛が座っているのが見えた。

 放っておこう。そう、考えたが、1周すると渉は再び凛の元へたどり着いた。

『やっぱり、これ使ってください』

 びしょ濡れで、着ていた白いTシャツが肌に張り付き、ピンクのキャミソールが透けて見えた。

『いいよ。その代り、君の部屋に行ってもいい?』

 凛はにこりと笑みながら、渉に問いかけた。30代半ばくらいだろうに見えた、渉にとって、無邪気に何の疑いもなくそう言った凛に、面食らったがなぜか、すんなりとそれを受け入れた。

『いいですよ』


 1年前に出会ったのが、まるで今日のように思えたのは、公園の坂道でそれと似たような光景に出くわしたからだった。

 デジャブのような、実際のその光景に、渉は足を止めた。

 傘も差さず、大きめのスーツケースを引きながら歩く女性がこちらに向かて、歩いている。俯きながら歩いているせいで、渉には気が付いなかった。広い額を出し、後ろで髪を束ね、デニムパンツにグレーのカットソーがびっしょり濡れ、歩きにくそうなヒールのあるサンダルを履いていた。

 出会った女性に、あの時と同じように傘を差しだしたが、またも断られた。重なる記憶に、どこか胸の奥が締め付けられ、くすぐったいようなそれでいて切ない気持ちで苦しかった。

 ようやく、傘を受け取ってくれたが、駅まで一緒に入れてくれと言われた時には、渉は拍子抜けしてしまい、ずぶ濡れになったお互いの姿と吹き出し、クスクスと笑った女性を見て、感情と言う感覚が呼び戻ってくると、ふっと渉も思わず自然に笑んでいた。そうして、凛の死んだ後なのに、笑う事が出来た自分自身に、内心驚いていた。

 数時間前まで凛が居た部屋に、再び一人戻ることが、渉にとっては不安な事だと、病院から戻って来た時の感覚を思い出すと、渉は女性を部屋に誘っていた。

 誰かに一緒に居て欲しいと思えた事も本心だが、この過去の繰り返しのように出会った出来事を、繋とめて凛と一緒に居るような錯覚で、自分自身を誤魔化したいとさえ思えたのだった。

 けれど、再び部屋に戻ると、凛の残存した形跡達に現実を目の当たりにされ、渉の感情がしっかりと戻った。そうして、哀しみが身体中に沁みわたると、喉の奥が重く苦しさを感じ、瞼が熱くなってくると、いつの間に涙をボロボロと流していた。



お読みいただきありがとうございました。

今回は、渉サイドのお話でした。

今後も、夕雨季と渉の交互にストーリは進みます。お読みにくい印象を受ける方もいるかもしれませんが、

どうぞよろしくお願いいたします。

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